いいのか、これで。
かつて『火怨』を読んで、心躍らせた読者がこれで納得できるのか。
僕は、『火怨』のなかで、天鈴が「嶋足、名を語るのも憚られる男」という回想をしていたのを憶えている。
その嶋足が、最後の烈心篇でほとんど出てこないじゃないか。
アザ麻呂にしたって、広純と大楯を討つ理由が、その程度の描写でいいのか。
ふたりを討ったあと、多賀城の焼き討ちに触れないなんてありえるのか。
天鈴なんて、結局口ばっかじゃないか。
嶋足なんて、蝦夷を陥れようとする弟に何もしないじゃないか。
「憚られる」というのは、嶋足が蝦夷を見捨てたということだったのか。
たぶん、本物のアザ麻呂は、虐げられた蝦夷の行く末を案じるというよりも、無計画に広純と大楯を討ったのだと思う。
信長を殺めた光秀のように感情先行で行動を起こした結果、朝廷に蝦夷討伐の口実を与えてしまったのだろう。
そして、本物の嶋足は、そもそも出自が蝦夷ではなく移民なのだから、大楯と同じように自分を蝦夷とは思っていなかったのだと思う。
アザ麻呂の乱のあとの彼の人生をみると、まるで無関係のようにだんまりを決め込んでしまっているのだから。
「風の陣」は、これで完結らしい。
必ず最後には、嶋足がやむにやまれぬ理由で蝦夷を見捨てる(もしくはそう見せかける)だろうとの期待があった。
アザ麻呂の散り際は、哀しさと鮮やかさがごちゃ混ぜの見事な末路だと期待していた。
なのに、これで『火怨』に結びつけるには、なにかが抜け落ちているように感じて仕方がない。
『火怨』は、焔のごとく沸き立つ蝦夷の怒り、怨念じゃなかったのか。
それは、ふたりが叶えようとしても叶え切れなかった、死んだあとも陸奥の地に染み込んだ執念ではなかったのか。
全然納得なんてできやしない。
まさか、このあと続編があって、つじつま合わせをする、ていうことなら不満も収まるが、そうしたところで納得のいく結末に落ち着くとは思えない。
だいたい、何篇、何篇って、順番が分かりづらい。巻数をつけてほしい。
満足度は、1★
「風の陣(1)立志篇」レヴュー
「風の陣(2)大望篇」「風の陣(3)天命篇」レヴュー
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