栗太郎のブログ

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「さよなら渓谷」 吉田修一

2013-06-27 01:17:23 | レヴュー 読書感想文

破滅へ向かうふたりのはずなのに、なぜ笑みがでるのか。
いつ死のうか思いつめているはずなのに、なぜ穏やかな顔でいれるのか。
未来などなく行きずりの暮らしのはずなのに、なぜ暢気にいちゃついていれるのか。
簡単に死んでもらっては気がすまない相手なのに、なぜ抱かれるのか。
死んでも死にきれず、その原因を作った相手なのに、なぜ自分から求めるのか。

読んでいて、かなこが、いや夏美が、とても狂おしい。

他人からみれば、ごくありふれた、むしろ慎ましすぎる若夫婦にしか見えない尾崎とかなこ。
そのふたりに過去、何があったか知れば、とても不思議で、まったくもって奇怪な今のふたり。
隣家で起きた幼児殺人事件は、この物語への導火線なだけで、そっちの結末は物語の核心には関係がない。
ただ、事件がなければ、誰に知られることない慎ましい若夫婦のままのふたりだったのだ。

ふたりの間には愛はない。というか、この物語のなかのどこにも愛はない。
あるのは、後悔と贖罪だ。
希望もない。最後の尾崎の行動が希望なのかといえば否で、もう尾崎には、かなこのそばにしか居場所がないのだ。
かなこはかなこで、尾崎に抱いてほしいとせがむのも、警察に嘘の通報するのも、彼女なりの自傷行為なのだ。
かなこにとっては、尾崎はもう彼女の一部であり、彼女と同体なのだから。
そんな、愛も希望も、未来の夢もない物語なのに、なぜ僕は冷めきっていないのだろう?
幸せになることを望まない、堕ちてしまったふたりを目の当たりにすることで、自分の足元にあるささやかな幸せがいとおしくなるからだろうか。

軽率に人生を踏み外してしまった事件を、尾崎も夏美も、ずっと引きずって生きている。
忘れようとしても、意識から離れず、忘れそうになっても、周りがそれをぶり返す。
そんなふたりが再会し、あるとき唐突に逃避行へ旅立つのも、お互いが似たもの同士だと自覚しているからだろう。
立場はまったくの逆なのに、同じ心を持ってしまっている。
あ、これはTVドラマ『それでも生きていく』の、瑛太と満島ひかりのふたりから感じたざわつきと同じだ。ただあっちには希望が残っていたけど。

記者の渡辺が、しつこく調べようと食い下がるのも、どこか、ちょっと間違えば自分が踏み外していたかもしれない人生じゃないかって気付いているからだろう。
まるで、尾崎をもうひとりの自分なんじゃないかって思いながら。
そして読んでいるこっちも、もし、自分が尾崎になってしまっていたら、渡辺になっていたら、女性ならば、かなこなら、小林なら、と自分を投影してしまう。
物語のなかの人物の名前が、ごくありふれた名前ばかりなことで、自分の身の回りにもありえる感覚も増してくる。
いつの間にか、夏の日差しのなかで首筋に汗を垂らしている気分になって、彼らの人生と自分の人生が紙一重なのかも知れないと、またまたざわつく。


読み終えて、さっそく映画を観た。むしろ、映画を観るために先に読んだのだ。
真木よう子の怪演が見事。かなこそのままだった。剥き身のカミソリをぎゅうと握っている気分だった。
そっと握っている分にはいいが、カミソリの柄を誰かにつかまれて、気を抜くと引き抜こうとされそうな、そんな危うさだ。
ここまで役に入り込んだら、このあと、かなこが抜けなくて相当心が病んじゃったんじゃないかと心配してしまう。
たぶん、TVドラマ『最高の離婚』のときの、突拍子もなく狂気に触れたようなあの演技は、上原灯里じゃなく、かなこだったんじゃないかと振り返ってしまうほど。
大西信満の自損自棄の演技もよかった。身を捧げて自分を棄てた男にしか見れなかった。
小説と違ったのは、ラスト近くの渡辺夫婦。こちらでは唯一、希望の含みを持たせている。このくらいの救いがなくてはいたたまれないのかも知れない。

エンディングテーマは、真木本人が歌っている。
主題歌はこうがいい。上手いとか関係なく、映画の余韻に浸れるものがいい。
僕は、大物ミュージシャンだかの歌う、映画本編と無関係の歌が最後に流れてくるのが嫌だ。
契約のときになってのこのこ出てきて手柄を持っていく上司みたいだからね。
真木の歌声を聴きながら、遠くに渓流のせせらぎと蝉の声を感じ、かなこはこのあとどうなったのだろうと切ない気分に沈んでいった。


と、とくとくと僕が言ってることが分からないなら、読むべし。これは、スジをいじってはいけない物語。余計な一言が興ざめを招く。
感じ方は人それぞれ。僕の満足度は、7★★★★★★★

さよなら渓谷 (新潮文庫)
吉田 修一
新潮社


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