goo blog サービス終了のお知らせ 

蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

安曇野の駅シリーズ 穂高

2006年01月19日 | 駅&鉄道
安曇野を代表する駅といっていいだろう
 穂高駅。外観は穂高神社をイメージした社殿型



ここはすでに標高546メートルあり、北アルプス燕岳・槍ケ岳へ登る表銀座コースの下車駅で、
登山者にはすっかりお馴染みである
ホームから下って改札口へ向かう正面の看板。確かに


駅前に北アルプスの険しさと登頂の喜びを象徴する親子像
写真左:小川大系作(73歳の力作)「登頂」
写真右:背面の銘板。土台は約2メートルくらいあり、ゴツゴツした石の肌が北アルプスの
険しさを表現していると思う


余談だが小川大系は本名を孝義といい有名な荻原碌山の少し後の、穂高出身の彫刻家です
驚いたことに穂高図書館の入口奥に写真作品以外にもたくさん並んでいるではないか!

写真左:天空ヲユク    写真中:水の精    写真右:鱒投網

実際はもっと暗い空間である

職員に聞くと、預かっているが保管場所がなくて・・・。美術館を造る予算もなくて・・・
痛むのではないかと心配である

昨年10月に「暗いなあ、彫刻がもったいない」と撮影したロビー。ここにあったのが大系の作品だったのだ。
左端の親子像は駅前の「登頂」像の習作と思われる



穂高といえば碌山(本名は荻原守衛)、碌山といえば黒光(本名は良)
黒光は新宿中村屋(カレーとパンとかりんとう)の創業者・相馬愛蔵の奥方。
その奥方が田舎の穂高へお嫁入りの際持参した洋画を見た碌山が、触発されて
絵画を志しそして日本近代彫刻の先駆者となった

碌山美術館は穂高駅から徒歩7分、踏み切りのすぐそばにあります
常念岳の険しいゴツゴツとした景色が好きだった碌山の気概を深く反映している
作品がいっぱいあります。Web上から割引入場券入手可。



学校の後輩や町の有志、全国からの寄付によって建てられたと聞いています
本館の壁に碌山の銘「LOVE IS ART. STRUGGLE IS BEAUTY.」(愛こそ芸術 相克が美)
黒光への思慕を表に出さず、礼節をもって接した碌山の最後の作品「女」は、
黒光に似ているという説がある。碌山は30歳の若さで世を去った
写真で見る黒光さんはたしかに魅力的です。
新宿駅の中村屋売店に”黒光まんじゅう”がありました


もうひとつ余談を
同じ穂高出身でやや埋もれた存在だが山本安曇(本名菊一)は碌山の信頼篤く、
碌山作 安曇鋳のブロンズ像2点「女」と「北條虎吉肖像」は当時文部省美術展に
出展しているほどです。
「女」は当時の政府買い上げとなり、東京国立近代美術館に現存しているという。
北野進著「美術史の残照」-碌山と安曇の周辺ー 2004年発行に詳しく記され、光をあてている
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安曇野の駅シリーズ 梓橋

2006年01月18日 | 駅&鉄道
安曇野とはどこからどこまでを指すのか?
穂高へ移住して直後からこの疑問をもっていた。当ブログに関連記事があります
自作安曇野圏内の駅(全14駅)をたずねるシリーズ
味のある木造駅舎が多く、この先当分ないとは思うが改築されないうちに記録しておこう。

 梓橋駅
ここは我が棟梁の最寄駅であり、思い出の駅でもある。2004年4月、訪ねたT不動産さんから
駅へ向かう道すがら小林工務店との出会いが、安曇野移住へのきっかけになった。
駅舎に特筆すべきものはないが、ホームにあるこの看板が旅情を誘います


駅やJR東日本で聞いても、いつ誰が建てたのかわかりません
国鉄時代の駅長のアイディアではないかと想像できる

もうひとつの名物
同じホームの北寄りにりんご並木がある。けっこう大きいので何年も前に植えられたものだろう。
今ではJR社員有志「梓橋りんご倶楽部」が大切に育てているという
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州のひとつのへそ 松本駅

2006年01月16日 | 駅&鉄道
長野県には大きな駅がふたつ。
北信(飯山や野沢など)地方へは長野駅が玄関口となり、上高地や安曇野・白馬方面への入口駅はJR東日本松本駅である

 さて松本駅
改札へ上がる正面階段の左にこの表札があります



初めて松本駅に降りたのはいつだったか?思い出せないが、表札だけは鮮明に記憶している。
実にいい字だなぁ・・・と。松本が好きになった瞬間である
この度改めて表札の撮影に行ったのが上の写真。表札のたどった歴史が明記してあり
・明治35年6月15日 篠ノ井西条松本間開通により開業。
・昭和17年4月1日 改築された2代目駅舎は22年2月4日焼失
・資材不足に泣くも 昭和23年4月28日再建された
 その折、駅舎の落成記念にと、当時南安曇郡豊科町(現安曇野市豊科)在住の
 曽山 環翠先生の揮毫(きごう)木彫による表札を正面に設置。
 昭和53年の松本市でのやまびこ国体開催を機に老朽駅舎を改築することになった
・昭和52年9月1日駅舎取り壊しとともにお蔵入りとなる
・昭和60年7月市民からの要望で駅のシンボルとして掲げられた(推進団体に感謝!)

この駅にはもうひとつ名物?があります
到着を知らせる女性の自動アナウンス「ま↑つもとぉ~」
独特のイントネーション(節回し?)で、一度聞くと忘れない響きだ。

JR東日本長野支社企画課K氏に聞きました
20年以上前に松下電器自動放送システムを導入する際、プロのアナウンサーに依頼して今も採用している。ちなみに長野駅のアナウンスも同じアナウンサーだということですが、こちらは標準的なイントネーションなので、気づかなかった。

気になるレリーフもある



「お」はお弁当のお、手前の看板は時刻表の立看板。3階改札口入ってすぐ左の駅弁屋台の後ろにある壁面レリーフがかわいそう!
実はこれも駅のシンボルとして輝いていた「カモシカ」のレリーフの一部分がみえているのだ。
鉄平石のモザイクは大らかな素晴らしいデザインのレリーフである。大きさはおそらく3×4メートルくらいはありそうだ。
これについてもJR東日本長野支社に聞きました

昭和24年当時の駅長が松本博物館長に相談し、九州の故松本画伯に制作していただいた美術作品だったのです(ずっと以前の市民タイムスに掲載記事から抜粋)
なんてもったいないこと!故人もさぞかし悲しかろう。

市民タイムス2006年1月1日発行の記事から
現在大掛かりな改装中で、橋上駅舎になる。今年6月には西口と東口を結ぶ広い自由通路が出来る。通路と西口(アルプス口)広場の完成は平成19年の市制施行100年を目途にし、その後東口(お城口)の再整備がされる。個性を埋没させない造りであって欲しい


あの表札と壁画レリーフとアナウンスのReuseを切に願う
特にレリーフは高さを充分考えて大いなる構図を生かして欲しい


次のblog停車駅は「島高松」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする