熊野別当となる田辺氏・新宮氏・藤白鈴木氏と佐々木氏との関係は源為義と鳥居禅尼・熊野別当第十九代行範・鳥居法眼重氏、だろうか。探せば、もっと接点はあるのかもしれない。
次に、九里氏は「近江国御家人井口中原系図」にあるように「中原氏」の一員とすると、九里氏も物部氏系である。
wikipediaの熊野国造によると、
「熊野国造(くまののくにのみやつこ、くまのこくそう)とは、熊野国(紀伊国牟婁郡、現在の和歌山県南部と三重県南部)を古代に支配した国造。饒速日命の後裔で、物部氏や穂積氏とは同祖とされる。」とある。
九里氏の系図の中に「住熊野」とある以外に、江州中原氏には多賀氏・井口氏がいて、熊野氏にも至っている。そして戦国時代~江戸初期にかけて親しかった「永田氏」も熊野に多い苗字のようである。
もう一つ「鹿苑日録」の中の「虎上司」「正虎」も楠氏であり、楠木正成の子孫であり、(熊野快慶から繋がる)橘氏の系図に「正虎」が載っている。
そして九里氏の系図の「九里氏の祖=九里太郎」のひとつ手前【経任】にも「改橘氏」とある。
橘氏につながっている楠木氏も気になっている。
この正虎=虎上司は、九里源兵衛に蘊蓄を…いや、演説?をしてくれる人物である。
「天文六年(1537年) 四月
三日 兼康来。出口中血。
…
侘事 九里源兵衛方へ 以虎上司演説。
…」
下の系図の(59)の中ほどに正虎がいる。
http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-kitsu-kusunoki.html
http://kusunoki.komusou.jp/masatora.html
上は、素晴らしいHP 私もこのように一人一人に焦点を当てたいが、九里氏は情報が足りない!のが悩み。
鹿苑日録の九里源兵衛と水茎岡山城の浄椿/また忠富王記の中の九里員秀が、人間として少々の想像がつく程度で、他は名前以外の情報はほとんどない。(悲)
いや、ひとりいた。
江戸時代後期は九里八郎右衛門政敬は渋い顔で少し出てくる。(私の曽祖父の高祖父)
ともかく、この正虎が「西孫三郎ノ兄」と呼ばれている事。と江州中原系図のの西氏と関係があるのかを調べる時が来たようだ。
http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/9adc2f11cd908eab89a2f26f678067d1
