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九里 【九里】を探して三千里

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【行慶】は、源政長、そして宇多源氏へとつながっている。

2017-11-15 | 熊野氏
昨日みつけた「(1159年)平治元年、三所権現遷座 導師  前大僧正行慶 役人法橋二人能智行勝 阿闍梨二人教智倫圓 先達二人長厳慶尹 本宮別当湛快」(近江輿地志略)だが、この中の【行慶】が
どのような人物なのかが気になったので調べてみた。
行慶
1101-1165 平安時代後期の僧。
康和3年生まれ。白河天皇の皇子。母は源政長の娘。大僧正行尊に天台をまなぶ。保延(ほうえん)元年摂津四天王寺(大阪府)の別当。権(ごんの)僧正となり,仁平(にんぴょう)2年近衛(このえ)天皇の護持僧。同年近江(おうみ)(滋賀県)園城寺(おんじょうじ)。永万元年7月16日死去。65歳。通称は桜井僧正,狛僧正。

上記の「母は源政長」に注目してみたい。
コトバンクによると、
源政長
1038-1097 平安時代中期-後期の雅楽家。
長暦(ちょうりゃく)2年生まれ。源資通(すけみち)の子。内蔵頭(くらのかみ),刑部卿となり,正四位下にいたる。宇多源氏の神楽をうけつぎ,子の有賢(ありかた)につたえた。堀河天皇の郢曲(えいきょく)(歌謡),笛の師。永長2年閏(うるう)1月4日死去。60歳。


源資通
1005-1060 平安時代中期の公卿(くぎょう),雅楽家。
寛弘(かんこう)2年生まれ。宇多源氏,源済政(なりまさ)の子。寛徳元年(1044)参議,のち従二位。管弦にすぐれ,源経信に琵琶(びわ)をおしえた。和歌もよくし,伊勢大輔(たいふ),菅原孝標女(たかすえの-むすめ)らと交遊があった。康平3年8月23日死去。56歳。

源済政(なりまさ)
天延3年(975年) - 長久2年2月(1041年))は、平安時代中期の貴族。宇多源氏、大納言・源時中の子。官位は正四位上・播磨守、贈従三位。
六位蔵人・式部大丞を経て、長徳年間に従五位下に叙爵。阿波権守、五位蔵人、信濃守、右少将、左少将を経て右中将にまで昇るが、公卿昇進は果たせず、修理権大夫や太皇太后宮亮など京官や、讃岐守、近江守、丹波守、播磨守など地方官を歴任し、位階は正四位上に留まった。
管絃の名手としても知られ、宮中での御遊でしばしば笛を担当している。

源時中
平安時代中期の公卿。左大臣・源雅信の長男。致仕大納言と号す。
そして、父雅信の息(つまりは時中の弟)に源扶義がいる。

源扶義
源 扶義(みなもと の すけのり)は、平安時代の貴族。官位は正四位下・参議。字は源叔。
その息が、源成頼

源成頼
天延4年/貞元元年(976年) - 長保5年8月7日(1003年9月5日))は、平安時代中期の貴族。宇多源氏、参議・源扶義の長男。官位は四位・近衛中将。古くから佐々木氏の祖とされ佐々木成頼とも記される。

つまり、行慶は遡ると源雅信にあたり、佐々木氏も遡ると源雅信に突き当たるということである。





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