物語の中の九里と思っていた人物が、実在の人物と判明しました。
九里亀治郎 です。(亀次郎と書いてありますが、本当は亀治郎?)
帝国大学赤門由来 三田村鳶魚 (えんぎょ)作
http://books.salterrae.net/amizako/html2/mitamuraakamonn.txt
お役があるにもかかわらずお酒を飲みすぎ、酩酊し、松平肥前守の泊まる宿に掲げてある札を取ったり、足蹴にしたり、、、正直に白状しないためますます怒りをかい、とうとう一名はさらし首に、九里と大井は遠島に。。。
品川宿の大狼籍
「相聾が喰合をする一っ鍋」という落首が出来た。
一件の相手は、盛姫を頂戴した松平肥前守斉正(初名直丸)が帰国掛け、
頃は天保七年三月十七日、場所は東海道の第一姑品川宿。
第四十四号永姫のお婿さん一橋民部卿斉位が、川崎辺へ出遊の途中、
雇従《こしよう》していた徒士《かち》中島吉太郎・平井東吉・九里亀次郎の三人で、
昼食に宿場の茶屋半七方へはいって、つい一杯が嵩じて、お供先にはあるまじき大酩酊、
目の前の往来に建ててある関札、松平肥前守旅宿と大書しているのを見て、お目障りになるから取り除けよう、と言い出した。
大名の道中には、宿割ズ目バ先発して、投宿の箇所はあらかじめ関札を建てる例であった。
一橋の酔ッばらい徒上は、同じ大御所様のお婿さんでも、九州の田舎大名と俺の旦那とは違う、
一橋家は一御三家(尾・紀・水)よりも公方様に近い御親類の御三卿(田安・清水・一橋をいう)だぞ、と妙に相婿なのが癩であったらしい。
三人は同輩の止めるのも聴かずに、関札を取り除けようとした。
そこへ佐賀侯の旅宿に当った品川宿本陣の下男が飛んで来て、佐賀の家来衆へ無断でお取除けになっては成りません、と遮って言っても、酔いに気の嵩《かさ》んだ連中は、耳にも入れない。
たちまちに関札を抜き取った。
下男が驚いてその関札を持ち帰って、本陣の勝手の膳の上へ置くのを、追い掛けて来た吉太郎が見て、我々どもが見ていると思って、わざと大切そうに下へも置かぬのは、面当てをするつもりなのか、何の田舎大名が、と土足に掛けて関札を踏み躁った。
サア大変、両家の交渉は凄じい。鍋島は田舎大名でも姉婿である。
無礼者を当方へ引渡せ、と真向大上段に構えた。
けれども、一橋が承知しない。
ついに法外の狼籍、松平の御称号を認めてあるものを土足に掛けた大不敬、
肥前守は勿論、家来一同の恥辱、と幕府へ訴え出たので、中島は獄門、平井東吉・九里亀次郎●大井源次郎が遠島、そのほかに三人押込めになった。
公方様の息男息女というのが、妙に家来の鼻息を荒くする。
この騒ぎの二十三年前の文化十一年三月十六日にも、紀州へ婿にいった菊千代が目黒へ出掛けた際、やはり品川で加州と大悶着をやっている。
web上【江戸幕府の刑事訴訟手続き】(不敬罪)ー 再建の殿様 にも詳しく載っておりました。それを見て、実在の人物と判りました。
九里の曽祖父の本名は「大井」関係ありそうでしょうか??