goo blog サービス終了のお知らせ 

九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

余市 旧下ヨイチ運上家とその周辺

2025-04-15 | 日記

ーーー書いたまま眠っていた記事をブログにあげておこうと思いますーーー

余市へ行ってきました。

1635年(寛永元年)上ヨイチ場所、史料に登場~とあります。

写真は【下ヨイチ場所の運上家】で、解体し古い木材を使用しながら作り直したものだそうです。

中もしっかりと見学できるようになっており、素晴らしく行き届いた文化財でした。

説明してくださった方から詳しくいろいろなことを教えていただき、本当に楽しく有意義な時を過ごすことができました。有難うございました!!

1806年(文化3年)ロシア船が北海道に来るようになり、幕府からあわてて遠山の金さんのお父様にあたられる遠山金四郎景晋が様子を見に13日間滞在したこと。

また、その遠山(幕府目付)と共に村垣差左太夫(勘定吟味役)による西蝦夷地調査がなされ、「西蝦夷日記」が残されているそうです。



その1キロ弱過ぎたところには【旧余市福原漁場】があり、写真はその味噌や醤油の蔵になります。



今頃アジサイがきれいな北海道。



新しい世界を垣間見るって、ほんと、楽しいですねぇ~~♪


2025年 あけましておめでとうございます。

2025-01-01 | 日記
新しい一年、2025年 令和七年が始まりました。

*****

今年で此のブログを始めて10年目に突入することになる。
気を引き締め、違った角度から「九里氏」を見ようと思っている。

秀郷流の中の足利氏について…どのくらい資料が揃っているのかもわからないのだが、見てみようと思っている。

佐貫広綱という人物がいて、相撲人であったという。
此処で、一つ思い出したのが『長田雅』である。


ここが、ちょっと引っ掛かっているので、この辺りから始めたいと思う。
因みに、此の佐貫氏は藤姓足利氏の一族 である。


上記の【2.鎌倉幕府と佐貫氏】の記事には、非常に大事な事が載っていた。
『藤姓足利本家があっけなく滅亡した背景には、本家の一門への統制力が低下し、佐貫広綱のように頼朝陣営に走る者が出たことも大きかったと考えられる。その後広綱は、源平の争乱では源義経・範頼らに従い上洛し、寿永三年(1184)二月の一ノ谷合戦に有力武将として見える。
一方で同年三月には、「上野国住人讃岐四郎大夫」が近江国蒲生保(滋賀県東近江市)を私領と称して住人を責め、御供田を押領しているので百姓らが耕作できないとして、感神院が訴えている。』

蒲生保を私領に…とは、驚いてしまった。
その後此の蒲生保を足掛かりにし、何氏かに地頭職を与え、代わりに住んでいた者がいたのではないだろうか?

など、など、新しい角度から九里氏の周辺を探ってみようと思う。

*****

では、今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。

皆様にとりまして良き一年となりますよう心より祈念いたしております。


明日は【九月九日 重陽の節句】 そして秘密の…九里の日

2024-09-08 | 日記
九月九日、
最近出会った記事に、
『この日に菊の花を浮かべたお酒やお茶を飲んで、こうなりたい!こうありたい!こうしたい!を語らうと、不思議と叶う』と出ておりました。

今年は、私も願いつつ家族に語ってみようかと思います。

友人とピアノの4手(連弾)や2台ピアノのための曲(コンツェルトなど)をはじめ、また、自分の弾きたい曲も練習を始めたのが6月あたり。

で、7月の終わりに「ばね指」なるものになってしまい、弾きすぎかもしれない?とかなり練習にブレーキをかけました。

でも、でも、本当は、思い切り弾きたい時に弾きたいという気持ちがくすぶっているのです。
しかし、それをすると、もしかすると取り返しがつかない、もう一生弾けない手になってしまうかもしれないので、それも困る~~。

願いは
手の不調が改善して、思うようにピアノを楽しみたい!

以前撮った動画、1分のみですが願いも込めて公開です。…メールで送れませんでした。。。。
何か方法を考えますネ。
You Tube 創ってみました。


忘れてはいけないのは【九里】と最近動きのあった【坂橋・さかはし】などなどご先祖様のこと。

たとえ全て分かったとしても自分自身に何か変化があるわけではないと思うのですが、どこで、何をして、どのような生活を送っていた人々で、何故北海道に渡ってきたのか…
幾多の戦争や天災や病気などに見舞われながらも、生き抜いてきた子孫が今現在生きている人になるので、先祖がいなければ私たちもいない。
そこに、妙な凄みを感じています。

9月9日、そのようなことを考えさせられる日でもあります。
明日 重陽の節句 です。

追悼 Maurizio Pollini  (You Tube 付)

2024-06-16 | 日記
中学、高校時代の憧れのピアニストといえばポリーニ(Pollini)で、何度聴いても人間業とは思えない美しさと速さなのであった。
今思い返すとその頃Polliniは30歳代で、風貌も美しく、活動も華やかな絶頂期であったのかもしれない。

札幌にも一度だけだがコンサートに来てくれた。
音のきらめき、透明感!
なんの曲を聴くのかよりも、音のシャワーや色・光を浴びに行ったような気分であったと思う。
その後東京やイタリアでもポリーニの音楽会に出向いたが、札幌で聴いた音が一番輝いていた!

ありがとうございました、ポリーニ様!! どうか安らかに♪
2024年3月23日(82歳没) 

1991年

2019年




みなとみらい 称名寺と金沢文庫 国立国会図書館  

2024-03-14 | 日記
「みなとみらい」から志木市・柳瀬川‥‥につながっているのを見つけて、本当に驚いた。
都会は生物のようにいつも動いているんだ。頭の中の地図を書き換えなくてはならない。

以前よりも乗り入れ?が多くあり、突然「栗橋行」と言われても…
細かな情報をスマホでチェックしなくては怖ろしくて乗車できない。

一番遠い地名ばかり書かないで「○○経由」など、書き入れて欲しい。


*****


金沢文庫、称名寺の仏像や涅槃図、南宋の文書等が展示され、充実していた。
涅槃図のなかのブッダの母 や 龍・・・見ごたえあり!

(個人的には)入り口付近の北条氏のパネルをじっくりと読むと鎌倉の中期以降の流れがわかり学びになった。

この文庫からトンネルを抜けて称名寺に出ると太鼓橋・池など浄土式庭園が迎えてくれる。
のーんびりした空気が良い! 
鎌倉時代から平安時代にワープするトンネルだったようだ。
夕方で写真は撮らなかったが。



次の日、国立国会図書館でカードを作り、調べものを4時間以上したが、あまり収穫なく帰ってきた。
下調べもしていったのだが、、、、残念。これも、練習かな。。。と思う。もっと上手に調べたい。

さらに、ホテルに帰着後、大物を逃して(笑)いたことがわかり、コピーを依頼したが、見たことのない本のコピーを依頼するのは難しいもので、何ページから何ページと言われても、、、、でアバウトな依頼しかできない。
しかし何とかGETしたい情報だ。

*****

吹雪の中、札幌に帰宅したら、冬道で拾った枝に桜が咲いていた!


久々の都会、楽しかったような、俊敏になったような…疲れたような。
でもたまには活を入れに行った方が良いような気がした。