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九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

九里家伝承と東家・西家の関係ー

2025-04-15 | 九里バラバラ情報
ーー書いたまま眠っていた記事をブログにあげておこうと思いますーー

http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/d35656f450855192afd0fef2074bd6b4?fm=entry_awp


九里家の伝承「広田与三左衛門重元、累世江州小幡ニ家ス、織田信長公城ヲ安土ニ構フ、時ニ小幡ノ住民ヲシテ城下ニ移サ使ム、後城傾類ニ及ビ信長公ノ八男、武蔵守信吉道ト公、館ヲ同州高野邑ニ建ツ。復タ小幡ノ巨家ヲ移シ館下ニ置ク、乃チ重元其一人。此レ自リ高野ヲ以テ居住ト為ス、慶長四巳亥九月廿四日卒ス、本源院天景宗祐居士ト号ス。・・・九里与三左衛門、故有リテ性ヲ改ム、九里者母方ノ性也・・・」と。(滋賀県中世城郭分布調査4)

近江の城郭探訪さんよりお借りしてきました。

以前から気になっていた⬆
「琵琶湖の浮城」成澤 邦正著 と 絡めて考えてみました。

本書よりかいつまんで書いてみます。
『小倉(小椋)右京実澄は、片田舎の一国侍ながら宮廷奥深くまで聞こえた一流歌人で、
妻が飛鳥井雅親の姫だった関係上で京の文化人と交流があった、、、、、』
 
九里三郎右衛門高雄は、この文人小倉実澄の元で学び育った関係、孫の照に、困った時には小倉氏を頼りなさいと常々言い含めていた可能性もあると思うのです。

小倉実澄が没した後であろうか、小倉氏は幾つかに別れ、小倉西家、小倉東家、他となっていたそうです。
そこで九里も西氏・東氏というように名乗ることとなったのではないでしょうか。

やがて、小倉氏は織田信長に加担したため六角佐々木に倒されるのですが、家臣たちは織田に従った者、また、蒲生氏の配下となった者がいたそうです。

織田に従って行った者が【九里甚左衛門正貞】加賀の流れになり、
蒲生氏の配下になった者は豊臣秀吉に派遣された会津に付き従って行ったのではないでしょうか?






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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (jikan314)
2025-04-15 15:28:03
kunorikunori様
私も、難しいのでさぼっていた記事をこれから、半年に掛けてアップしようと、思っております。
新しいblogには、記事検索機能など使いやすい所をと思っております。
私の場合、過去記事の平仄が合わせる為に、過去写真などを使える用になればと思っております。
YouTubeも使えると良いのですが。
フェイスブックやXなどで、収益性が下がったのでしょう。タダで使っていたので、文句は言えないですね。
拝読している方々もかなり動揺していますね。NTTも!と。
返信する
自分の記事を (kunorikunori)
2025-04-15 22:18:26
>jikan314 さんへ

自分の記事全ての中から、或るキーワードを探してくれることには、私もかなり助けられました。
ソコがだいじですね!
ありがとうございます!
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