
美作守の下に見える【後藤喜三郎】⇒ 戸賀十兵衛 の系と思われる。
高治本人邸かもしれない。



この喜三郎は【後藤喜三郎高安】とある。
高治と同じ喜三郎なので、親子か孫子と思われる。
では、高恒はどうなのだろう…
姓氏と家系 第24号では
後藤三郎左衛門尉高種(1475,1482年に見える)
後藤但馬守高恒(はじめは三郎左衛門尉)…高種の息と思われる
そして、跡に後藤但馬守(はじめ三郎左衛門尉)、津川城主の後藤播磨守実方の息が但馬守の養子として入ってくる。
その息に高治がいることになるそうだ。
つまり、高恒の曾孫の年代となる高治である。
高安は高治の兄弟か息であろうと思われる。

永禄6年(1563年)、六角家中でも特に信望のあった重臣・後藤賢豊親子を観音寺城内で誅殺してしまう。(観音寺騒動)のあとの時代
この方は、後藤対馬守氏豊のことと思われる。
*****

【山崎源太左衛門】…盛家は、また次回に!
