九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

佐藤氏と蒲生氏の接点

2022-08-05 | 蒲生氏

 

 

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春日井市関田町と名古屋市西区比良の地図

2022-02-20 | 蒲生氏

佐々氏の拠点であった春日市↑

 

比良城のあった↓

 

 

佐々氏・蒲生氏・多賀氏・長野氏が秀郷流であったとすると、中原九里氏に大いに関係がある。

 

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秀郷流と蒲生氏・近江長野氏・近江多賀氏・近江佐々氏、常陸太田氏・小野崎氏・那珂氏・常陸江戸氏・小貫氏へと続くようである。

2022-02-20 | 蒲生氏

日本通信百科事典に見つけた記載に私の調べたことを追加していく(青)

これは正しいのだろうか?わからないがmemoしておこうと思う。秀郷流の公通が実在していないとの説もある。

 

藤原公通 (秀郷流)藤原秀郷の曾孫、知常(千常入道)[1]の孫、常文(知方/千方入道)[2]の子、公光の弟、太田通延[3]・那珂通直[4]・小貫通近[5]の父。

 

知常(千常)は、知時(千時)蒲生氏近江長野氏近江多賀氏近江佐々氏の祖)・知晴(千晴)奥州藤原氏の祖)の弟、知国・知種の兄。

常文は文脩(文修/文条(文條)とも、文行・兼光・条方(條方)の父)の弟、知萬(ともかず/ともかつ/ともたか/ともまさ)の兄。

常陸太田氏藤姓太田氏/常陸藤原氏・小野崎氏の祖。

那珂氏・常陸江戸氏の祖。

小貫氏の祖。

 

佐々氏(さっさし)とは、日本の氏族。約2系統が存在する。

佐々氏 (近江国)近江佐々氏、後に尾張佐々氏と呼ばれた。

藤原北家魚名流の藤原秀郷の庶長子の知時(千時入道)[1]を祖とする。

近江国伊香郡余呉郷佐々村[2]を本貫とした。

  • 現在の滋賀県長浜市余呉町佐々大字(場所はわからなかった。)

佐々良輝(権僧都)の代に佐々木氏近江源氏)の嫡流の六角氏の郎党となった。

同族に蒲生氏近江長野氏[3]があった。

その後裔は戦国時代尾張国春日井郡(山田郡)関田郷[4]に移住して、隣接する比良城[5]を拠点として、織田信長に仕えた佐々成政[6]が著名である。

後に主家の六角氏の系統と仮冒した。

佐々氏 (肥前国)肥前佐々氏とも呼ばれる。肥前瀧口氏肥前松浦氏(相神浦氏)[7]一門。肥前国松浦郡佐々郷[8]を本貫とした。

Tracker
  • 知晴・知常・知国・知種の兄。
  •  
  • 現在の滋賀県長浜市余呉町佐々大字
  •  
  • 直系に近江多賀氏があった。
  •  
  • 現在の愛知県春日井市関田町
  •  
  • 現在の愛知県名古屋市西区比良町周辺
  •  
  • 六角頼起(佐々良輝(権僧都)の岳父)の女系の後裔で、佐々貞則
  • (下野守)の孫、成宗(盛政)の子、松千代丸の父。

 

 

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蒲生俊賢

2019-02-14 | 蒲生氏

今まで、なぜか蒲生氏については深く調べてこなかった。
蒲生郡にあった九里であるのに、なかなか接点が見いだせていなかったのだが、秀郷流周辺を調べていると「蒲生俊賢」の名が出ており、秀郷流でもあり、宇都宮氏の流れという。

これは、関係がないはずがない。
灯台もと暗し…だったかもしれない。

九里は近江に入って以来、蒲生郡にいたはずであった。(和歌山の系図に拠ると蒲生郡の石寺:六角氏家人)

俊賢はもともとは惟賢を名乗っていた。
蒲生太郎。権七。仕右大将家領江州蒲生郡。
ここから9代目に秀胤という人物が出てくる。法名が浄椿という。

椿は、ポトリと花の首が落ちるため縁起が悪いと言われ、武士の中ではあまり使われないらしい。が、他にも椿のついた法名をみた記憶がある。


・蒲生秀胤。 左衛門尉。法名浄椿〔続群書類従蒲生系図作常椿〕。
・九里は、浄椿 員秀の子?刑部伊賀。

年代が違うような気もするが、蒲生氏のことはまだよくわからないので、気に留めておくことにしようと思う。



蒲生氏の系図を見るとその中に小堀氏や小倉氏がいて何だかうれしい!

そしてさらに、本日分かったことは蒲生氏の配下の者に暇を出された「岡田氏」がいた事。

なぜ蒲生氏の中に??織田信長経由だろうか。



九里氏の系図は、最初の五代分と和歌山の系図なので、戦国時代の九里の系図は見たことがない。
どなたか、お持ちではありませんか?








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