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後藤氏周辺(2) 後藤氏と三善氏 の関係 そして 近藤氏とのつながり

2020-02-04 | 後藤氏

後藤基清の養父であった後藤実基は、(wikipedia)

藤原北家秀郷流の流れを汲む北面武士・藤原実遠の子として誕生。

京において源義朝に仕え、平治の乱では義朝の長男・義平に従軍する。乱の後の動向は明確ではないが、『平治物語』によると京において義朝の娘・坊門姫(後に一条能保室となる)を養育したとされる。

治承4年(1180年)に義朝の遺児・頼朝が挙兵すると、養子・基清と共にその麾下に参加。平家追討の戦いでは源義経軍に加わり、屋島の戦いに際しては、平家軍が海上に逃れた後にその城塞を焼き払い、反撃意欲を絶つという活躍を見せている。

相模三浦一族とその周辺史 鈴木かほる著 にも言及がある。
この本の系図によると「一条能保室」となった坊門姫は「頼朝」と同じ母親=熱田神宮娘の由良御前となる。
https://books.google.co.jp/books?id=MFJI9SU6RaAC&pg=PA55&dq=%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%AE%9F%E5%9F%BA%E3%80%80%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E4%B8%89%E6%B5%A6&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwi5zbro2rbnAhVE62EKHXeTBXsQ6AEIKTAA#v=onepage&q=%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%AE%9F%E5%9F%BA%E3%80%80%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E4%B8%89%E6%B5%A6&f=false

===*===

三善康信の叔母が頼朝の乳母であったように、頼朝の妹である坊門姫の乳父母が後藤実基であったのだ。
この三善康信が後藤実基の孫にあたる基連を猶子として康連の兄弟とする。

基連の兄基綱が1181年生まれという事は、それより下の基連なので1185年位の生まれと思う。
三善康信は1140年の生まれである。やはり九里の祖蓮忍入道の時代と一致する。
という事は、基連の息あたりが大田乗明・富木常忍の時代となる。

それ以前から後藤氏と三善氏のつながりがあったかもしれないと『藤原実基・実遠』も調べてみると、

『源家累代の郎従、後藤実基・基清播州後藤氏の系譜を
たずねると、後藤内則明に行きつく。則明は源頼義の郎等七騎のうちの一人』と出てきた。

また、『藤左衛門尉公広為後藤内則明所子養 / 後藤実某 鎮守府将軍藤原秀郷之裔也、父曰実遠為左衛門後藤実基伝』ともある。

『左衛門尉藤原公広(藤原秀郷流)が、則明の養子として迎えられ(ココで斎藤流に入る)、後藤を名のることとなった』ともある。

つまり、斎藤流と秀郷流を併せ持っている後藤氏のようである。
始めは斎藤流の則経に秀郷流の公広が入り、二回目には同じ秀郷流のなかで佐藤氏から実基の養子として基清が入っている。

基清は「佐藤仲清」の息なので、西行が叔父となる。

===*===

藤原則経は、藤原則経 - 実は藤原惟忠の子とwikipediaにあったので、この周辺を探してみると以下のような近藤氏系図の中に含まれていた。





ここで、近藤氏・大友氏とつながっていく。
近藤国平・近藤能成の系図へとつながっていく。

中原久経と共に活躍した近藤国平 や 武藤頼平・近藤能成と近い関係にもあった後藤氏である。
その近藤氏は文行から分かれ義経の家臣であった佐藤氏にもつながっていく。








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