THE RECKLESS MAN*

過ぎ行く時~後悔は少なめなMY LIFE を送ることをモットーに、日々、テキトーな日常を書き留めています。

伝説の引退スペシャル~堀江陽子・ヨウコ・ゼッターランド

2013年10月14日 | 日記

こんばんみ!夜は、けっこうヒンヤリしてきましたね、Tシャツ一枚だと肌寒いです。それから、明後日くらいに強烈な台風26号が来襲する予報なので、お出掛けなどは控えるしかなさそうな感じです。

みなさんは、3連休いかがお過ごしでしたか?天気も良かったので、行楽地に出掛けたりしていた人はとても良かったんじゃないでしょうか?自分は、連休前の金曜日に出掛けただけで連休は、トレーニング、バレーボールと飲みで終わり。今日は出掛ける予定だったのですが、相方の調子が悪くなってしまい中止~自宅で、録画番組などを観て過ごしていました。

一昨日は、練習後いつもの面子で居酒屋~まあまあ飲んだので、翌日お腹がピービーになり胃腸薬などをのんで夜の練習に備えました。日曜日の練習、先週はすごく少なかったのですが昨日は10人でみっちり、がっつり汗かいて来ましたぜ。

最初は、な~んの問題もなくいつものように練習をしていたのですが、シート練習(3分×6回)の途中で『ドッ!』と疲労が襲って来てめちゃくちゃしんどかった~(前日の飲みが祟った!)(;´>ω<)=3声を出すのも途中からキツかったんだけど、仲間にはいつも偉そうなこと言ってるので『しんどい時こそ…!』って自分にも言聞かせながら歯~食いしばって、いつもより大声だして頑張って来ました!└(゜∀゜└)ハッスル!ハッスル!!


練習の内容も、いつも時間がなくなってやりたいメニューをやり切れないでいたのですが、昨日は全部クリア~『満腹』ごちそうさまでした!練習後、翌日が休みということもあり、練習に参加したメンバーほとんど全員で駅前の居酒屋で(〃⌒0⌒〃)ノ口 乾杯ッ!.:゜+ 最近、練習に参加しだしたO君も初参加でいろいろお話し出来たのでとても有意義でした。


しかし、電車の終電の時間もありO君はみなより早く帰宅、電車組が少し早く帰った後にガキンチョもいたので大人しく撤収~いつもよりお早いお開きでした。


今日は、完璧なOFF~ブログで書くことも今日はないかな?なんて思っていたら、録画していた番組『伝説の引退スペシャル』で『堀江陽子』が特集されていたので観ていたら、おし!これだ!って感じでパソコンを開いてカタカタブログを更新している所存であります。


彼女を知ったのは、自分が小学生6年生のとき、姉が彼女と同い年でバレーボールをしていたので姉が購読していた『バレーボールマガジン』に載っていたのを見たのが最初でした。その頃の自分は、サッカーをやっていたのですがテレビで放映されるバレーボールに興味を持ち始めていたころで、姉の『バレーボールマガジン』を楽しみによく開いていました。


姉の代の中学の東京代表は、家のすぐ隣の中学校の足立14中と、堀江陽子の文京10中。文京10中は、全国制覇してバレーボールマガジンに大きく特集されていたので良く憶えています。彼女は、その後、中村高校~早稲田大学~アメリカ代表、日本の実業団で活躍するのですが、今日の番組を観て初めて何でアメリカ代表になったのかの経緯を知りました。


番組を観ていて、自分の高校時代の一学年上の先輩の母親が中村高校で堀江陽子のお母さんとバレー部で同期だったのかな?中村高校はバレーボールの名門なので、OG会などよくやっていたようで、その機会とそのコネを活かし堀江陽子のサインをもらっていた先輩がいたのをふと想い出しちゃいました。


で、堀江陽子がなんでアメリカ代表になったか?って話し、当時はただ日本代表に選ばれなかったから彼女はハーフ(父親がアメリカ人)だったしそれを活かしてアメリカ代表になったんだと単純に思っていたら、そこそこ複雑なお話しだったんだな~と…。


ま、簡単に話すと当時の女子のバレーエリート(全日本や実業団に入る面子)は高校卒業と同時に実業団へ入るのが女子の慣例だったそうです。堀江陽子も当然、バレーボールで日本代表を目指していたわけでその道を歩むつもりだったらしいのですが、お母さんが自分は大学へは進学出来なかったので娘の陽子さんには大学へ進学して欲しいとの要望、進路で悩んでいた彼女のところにバレー関係者が大学へ通いながらも実業団で練習出来るという話しをもって来たので、彼女は安心して大学へ進学したのですが…


実際、大学へ入学してみるとその関係者から『実業団での練習の話しはダメだった…』と一方的に反故にされ、結果、当時の早稲田大学バレーボール部は同好会レベルのチームそこで練習をすることを余儀なくされた彼女の実力は自然に低下、大学入学当時はユニバーシアードなどの日本代表にも招集されたもののそれ以降代表に招集されることはなくなり、卒業間近になっても実業団からのオファーもなくバレーボールの日本代表を諦めかけていたときにそれを不憫に思った母親がアメリカ代表での『トライアウト』の話しを彼女に持って来た。


日本代表の道でオリンピックに出るという彼女の夢は断たと思い、彼女は一大決心~アメリカのトライアウトを受け、見事アメリカ代表に選出されて帰国。それと同時に国籍もアメリカ国籍を選択、アメリカ代表でオリンピックに出る決意を固めたその直後、日立の監督からの誘いを受けたのだがその誘いを断った。運命の皮肉、ほんの少し山田監督の誘いが早ければ堀江陽子は日本代表としてオリンピックに出場していたかもしれなかったと言うことだ。


その後、アメリカ代表でバルセロナで銅メダル、アトランタと計7年のナショナルチームで活躍し日本へ帰国、ダイエーオレンジアタッカーズで活躍した。


ほ~と言った感じでした。男子は、大学で活躍してから実業団~ナショナルチーム入りって方が多いけど?確かに女子は今でも当時と変らず、高校卒業したら実業団って道はかわらないね。それが何故なのかは分からないけど、それぞれ男子、女子の連盟の方針なのかな?


まあ、複雑な日本バレーボール連盟のお話は放っておいて、女子も男子もバレーボールで再び金メダルを獲るときが来るのだろうか?



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