伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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こどもの笑顔

2015-09-23 18:46:52 | 心の時代
少子化問題が騒がれるようになったのは最近ですが、
日本の出生率は戦後ずっと低下しています。


昭和30年から50年ごろは、夫婦に子どもは二人が良い、
という認識が広まっていたのでしょう。
その後再び低下が始まりました。

少子化は課題だと言われながら、なぜ改善しないのでしょうか。
もしかすると、その理由は「誰も困っていない」から。

個人レベルでは、子どもが欲しくても授からない
不妊症の方もいらっしゃいますが、
ここでは、社会風潮について考えます。

地方都市の商店街がシャッターを閉めたままなのも、
空き家が放置されているのも、
当事者にとっては、税金対策上そうしておくことが得だから、
合理的判断の結果そうなっています。

社会として少子化になると何が困るのか。
 ・社会保障の担い手が少なくなる。
 ・労働者が不足する。
 ・国内市場が縮小する、など。

でもこれって、
今生きている大人の都合ですよね。
 ・自分たちが高齢者になったときに、社会保障の担い手が少ないと
  年金や福祉が心配だ。
 ・日本の企業が稼ぐための労働者が不足すると困る。
 ・企業が作った商品の買い手が少なくなると困る。

子どもって、今生きている「大人」や、その集合体である
「社会」を支えるだけの価値しかないのでしょうか。
それ以外の価値はないの?

もし、社会の風潮として、
「子どもを産むと、損か得か」とか、
「少子化だと国の経済にマイナスだ」とか、
子どもの価値を経済的な損得だけで考える国があったらぞっとします。

そんな国に生まれる子どもは不幸であり、
こんな考え方をしている国に、子どもは増えないでしょう。

日本では、「保育所のこどもの声がうるさい」、
という訴訟が起きたり、
住民の反対で保育所の建設が難航するケースが相次いでいます。


こどもって、そこにいてくれるだけで
素晴しい存在なのではないでしょうか。
役に立つから存在価値があり、
役に立たなければいらないもの、ではないはず
です。

私の長男が生まれる時、難産でした。
「どうか母子ともに健康で、五体満足で生まれてください」
と神様、仏様、ご先祖様にお祈りしたあと、はっとしました。

もし障害を持って生まれてきたら、この子は親からも愛されないのか?
そんなかわいそうなことは考えられません。
「障害があってもいいから、どうか生きて生まれてきて」
心から願いました。

少子化が続いたら、
「子どもの笑顔が見られなくなる」
「子どもの声が聞けなくなる」
このことが社会にとって大問題なんだと認識されなければ。

子どもの存在そのものが、
社会にとって宝なのだ、という意識になっていかなければ、
その社会に子どもは増えていかないと思います。




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