あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

闇の中

2008-08-31 22:37:28 | 立ち止まる
ずっと書こうと思いながら、ずっと書けずにいた。
携帯ですらすらと書けるような、心躍るものではなかったからでもあるが、それ以上に、自分が感じたことをじっくり炙り出してみたかったからかもしれない。

先週水曜日、美術館の後に映画館に向かった。その映画を撮られた阪本順治監督によるティーチインが行われると知り、この日を選んだ。その映画とは…

闇の子供たち』を観ようと思ったのはなぜだろうか。子供たちの置かれている現実の過酷さに対する問題意識からというのは嘘ではないが、自分の中にある何かを確かめてみたかった。

ドキュメンタリー作品ではないが、現実とフィクションの区別がつかなくなりながら、スクリーンに映し出される世界に不合理さや憤りを感じていた。そして、自分にできることは、そうした現実があるということを知ることだと思っていた。

映画のラストで一人の男の死が描かれている。自分が過去に犯した罪(その時は罪という認識はなかったのだろうか)の重さに耐えられず、死を選んだのだろう。その内容は違えども、子供の夢や希望を奪うという罪の重さを、僕を含めた大人たちはきちんと認識しているだろうか。

実は、子供を愛おしい存在だと思っているその気持ちの先に、小児性愛(ペドファイル)があるのではないかという不安がよぎることがある。性愛は大人の女性との間でしか成り立たないと思いながら、大人の女性との関係がうまく築けない自分がいて、ふと心に隙ができたらとか、ある程度のお金があったら…って、考えすぎだろうか。

自分の中にある何か…それをはっきりと確かめることはできなかった。ただ、この映画を観てこうして自問自答することには大きな意味があったのだと思う。そして、この不安を抱えながら歩いて行けば、道を踏み外すことはないような気もする。

その前に、思いを寄せる人とうまく関係を築くことが必要だ。
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友だち

2008-08-31 21:24:02 | 見上げる
ここ数日、先日観た映画『きみの友だち』の原作本を読んでいた。

映画の設定とは違う部分があり、それは当然ではあるが、それでもスクリーンに映し出されたみんなの顔が蘇ってきた。それとともに、幼いころから今までに出会った「友だち」を思い出していた。
そう言えば、僕も恵美ちゃんと同じく、たくさんの友だちは必要ないと思っていた。でも、恵美ちゃんと違うのは、僕には由香ちゃんのような大切な友だちが残らなかったことだ。

今朝、ラストまで読み終えたら雲が見たくなった。幸いに大荒れの天気も峠を越えたとのことで、カメラをバッグに入れて車に乗り込んだ。
山の方に行けば「もこもこ雲」に出会えるのでは…と、西へと向かったが、出てきたのが遅かったので相模湖I.C.で高速道を降りた。

湖畔の駐車場に車を止めて売店や食堂の立ち並ぶ遊歩道を少し歩き、食堂に入った。うな重のうなぎは昨秋高知で食べたのと同じく本格的なうなぎとは違っていたが、それなりの値段だったので納得した。不味くもなかったし、今度来たら鮎の塩焼きを食べてみようか…

食事を終えて湖畔から空を見上げた。山に囲まれていたからか、さまざまな表情の雲が現れていた。僕はバッグの中からカメラを取り出し、恵美ちゃんと同じようにその雲を写真に残した。

この写真を、友だちに送ってみようかな…
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