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あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

父と僕の終わらない歌

2025-05-29 22:57:37 | 映画を観る
比較的大きな仕事を先週終えたこともあり、今日は休暇を取った。
まずは、ずっと先延ばしにしていた家の用事を済ませ…って、済んではいないんだけど。

当初はそのあと、一人カラオケに行こうかと考えていたんだけど、ちょうどいいタイミングだったので映画館に向かい、前売券を購入していた『父と僕の終わらない歌』を観た。

冒頭から寺尾聰さんの歌声が流れてきて、それだけでもとても贅沢な気分になったのは、きっと子どもの頃に『ザ・ベストテン』で『ルビーの指輪』など寺尾さんの曲を聴いていたからだろう。その独特の響きの心地よさは、そうした思い出が無くても感じられるものだと思うけど、連続1位の記録などを目の当たりにしていた人は、僕も含めて特別な思いがあるだろう。

寺尾さん演じるアルツハイマー型認知症を患った父と、松坂桃李さん演じる息子の関係を軸に物語が展開していく。認知症が進み、家族や仲間との関係にも影響を及ぼしていく中での、父と息子の繋がりが描かれる。決して美談だけではなく、本人と家族の苦しみが観ている側にも強く伝わってくる。

アルツハイマーだけではなく、どんな病気も、そして怪我なども。だからこそ、日々を大切に、そして懸命に生きていく必要がある。そんなことを考えさせられたけど、それよりも、登場人物みながいい人だったことが印象的だった。そんな作品、たまにはいいじゃないか。

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ルックバック(4回目)

2025-04-10 21:36:56 | 映画を観る
ここ最近体調が良くなかったので、診察を受けることにして、午後は休暇を取得した。診察は夕方からなので、その前に映画『ルックバック』を観に行った。先日から「日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞 受賞感謝上映 」と銘打って再上映が開始されていたので。そして、ネット配信を利用していないのと、劇場で観たかったというのもある。サラリーマンには行きにくい時間帯の上映だったので、週末に行くか、それとも諦めるか…という感じだったけど、忙しい合間にこの日ならという日を選んだ。

前回観たあとにここに感想を書いたのであまりいろいろとは書かないけど、「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いているの?」という京本の問いへの答えを改めて考えた。答え合わせをするつもりはないので敢えて書くことはしないけど、そうだよなって思えた。前回感想を書いたときにもそこに触れるような内容を書いていたけど、今回改めて作品を観て、そのことを実感した…と思えた。そして、扉を開いてからの京本の人生は充実したものだった…とも。


時間帯が悪いからか、観る人はそれほど多くはなかったけど、僕と同じく中年男性も少なからず見られた。幅広い年代の方々の心に響く作品だということを改めて感じた。


帰りに新宿駅前で、取り壊されていくALTAビルを見かけた。テレビ時代の終焉とまではいかないものの、時代の変遷を感じながらその姿を見つめた。
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35年目のラブレター

2025-03-20 21:47:03 | 映画を観る

映画『35年目のラブレター』を観た。

映画館で予告編を観て気になり、前売券を購入したんだけど、その前に観たい作品が2つあり後回しにしてしまっていた。昨夜行こうと思っていたものの、母の体調が悪く見送り、祝日の今日、当初の予定を組み替え朝一番の回に行った。

可笑しくてクスりとしてしまう場面も少なくなかったけど、ずっと涙が止まらず、堪えるのに苦労した。そうしなければ嗚咽になってしまっていただろう。多分それは僕だけでなく、劇場内のあちこちからすすり泣く音が聞こえてきていた。

実話をもとにした作品だそうだけど、主人公の保と皎子だけでなく、多くの登場人物がいい人で、心が温かくなった。特に、働き口を探す保を迎え入れ成長させた、笹野高史さん演じる寿司店の大将と、皎子の親に代わり育てた、江口のりこさん演じる彼女の姉は、登場シーンが少ないながらも強く印象に残った。そう、安田顕さん演じる夜間学級の先生も印象深い。

主人公二人を演じた笑福亭鶴瓶さんと原田知世さん、若い二人を演じた重岡大毅さんと上白石萌音さん、それぞれが適役で、気持ちを持っていかれた。そう、原田さんと上白石さん、見た目の印象が違うなって思っていたんだけど、終盤のあるシーンで二人の声が似ていることに気付いた。厳密に言えば似ているとまでは言えないのかもしれないけど、二人とも優しい声の持ち主で、聴いていて心地いい。声の高さもあるだろうけど、発する力というか、空気感のようなものなのだろうか。

僕は独り身で、女性の気持ちを慮ることはこれまでほとんどなかった。もっと早くそれを知っていたとしても、生き方が変わったとは思えない。ただ、より生きやすかったかもしれないな。

映画の余韻と共に当初行こうと思っていた場所へと向かった。

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知らないカノジョ

2025-03-16 21:32:24 | 映画を観る

映画『知らないカノジョ』を観た。

いつからだったか、miletさんの歌声が好きになった。最近になって、以前ドラマの主題歌になった『Ordinary days』を口ずさんだりしている。そう、NHKのドキュメンタリー番組でナレーションもされていて、その語りがまた優しくて、ずっと聴いていたくなる。

そんな彼女が映画に出演されると知り、観てみたくなった。

先日観た『ファーストキス』とはまた違うものの、こちらも夫婦関係について描かれていた。それは僕には縁がなかったものだけれど、それぞれで描かれていた「言葉」について、若干の後悔とともに受け止めた。

miletさんと中島健人さん、とても似合っていて、そして、会話のシーンがとても自然に感じられた。

『ファーストキス』の結末は、あれはあれでとても素敵だなと思ったけど、この作品の結末もまた、それとは違うものの、こうであってほしいなと思えるものだった。ついつい現実的な展開を考えてしまいがちだけど、ファンだじーなんだから、何でも許されるだろう。ただ、納得できるものであってほしいし、納得できるものだった。

そう、miletさんによる主題歌『I still』も心に残り、これから何度も聴きたい。

 

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1ST KISS

2025-03-12 22:07:08 | 映画を観る

映画『ファーストキス』を観た。

観たいと思った理由は、そのポスターを映画館で観て気になったから。そこから伝わってくる空気感というか、雰囲気に惹かれてチケットを購入した。最近は封切りしたと思ったら上映終了していたということも少なくなく、ちょっとだけ心配したけど、この作品に関しては封切り後1ヵ月以上経つけどまだ多くの方が観に行かれているとのことで、安心したからという訳ではないけどようやく観に行った。

平日の夕方過ぎからの上映ながら、それなりにお客さんが集まっていた。そう、僕のようにおじさん一人でという方もちらほらと見かけて、またひと安心…

物語は、松たか子さん演じるカンナが、松村北斗さん演じる夫・駈の運命を変えるべく、汗だくになりながらも奮闘する…なんて書くとコメディっぽいけど、まさにコメディっぽい部分もあって思わずクスりとしてしまったり、吹き出したりしてしまった。でも、タイトルからイメージする通り、ラブストーリーだった。

結果を変えるために何度も試みては上手くいかないということを繰り返すカンナの姿は、演じる松さんの魅力もあってとてもチャーミングで、年齢なんか関係ないというか、年齢を重ねたからこその魅力なのかなと思いながら、彼女の姿を見つめた。

終盤、カンナは別のアプローチを試すことを選択した。そこで物語の視点が転換し、グッと心を掴まれながらラストまで物語の世界に浸った。そう、その終盤を観ながらふと、映画『ショーシャンクの空に』でモーガン・フリーマンさんが演じたレッドの事を思い出した。

そして、恋愛と結婚の違いについてとても興味深い台詞があった。若い時にこんな作品と出会えていたら、素敵な恋愛を経て結婚を…なんて、まあ、それは運命を変えても難しいかな。

ラストシーンにまたフッと心和まされ、そして涙を誘われたけど、それはぜひ劇場で感じてもらいたい。

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夜明けのすべて(映画)

2024-02-24 10:00:16 | 映画を観る

もうすぐ3月になるというのに、今年に入って初めての記事をようやく書いている。書きたいことがなかった訳ではないけど、書くのが億劫になっていたのかな… 動画の方は週1本に近いペースで上げているんだけど。

さて、こちらも今年に入って初めてになる映画鑑賞。一本目に選んだのは、瀬尾まいこさんの小説を上白石萌音さんと松村北斗さん主演により映画化された『夜明けのすべて』。原作を読んだのは2020年の秋で、このブログにも感想を書いた。藤沢さんが山添くんの髪を切るシーンはとても印象に残っている。いつかこの作品が映画化されるだろうとは思っていたし、それは期待とともにあった。その報せは、二人が主役という驚きと共に届けられた。そう、朝ドラ『カムカムエヴリバディ』で夫婦役を演じた二人じゃないか!って。まだドラマの余韻が心の中に残っていて(今もだけど)、嬉しさと共にその報せを受け取った。で、映画のSNSをフォローしたりして公開日を待った。

最近の映画は封切り後2週間ほどで上映館・上映回が少なくなるパターンなので、公開2週間以内に観に行こうとは思っていたけど、言い訳や別の用事などで先送りにしていた。ようやく選んだのは三連休前の木曜夜の回。ちょうど特別な上映だったので館内はほぼ満席。そして、僕のようなおじさんの姿は見られなかった。まあ、それはいいんだけど。

小説の細部までは鮮明に覚えていないものの、正直冒頭から「こんな設定だったかな?」という思いが生じた。ただ、それは違和感を伴ったものではなく、次第にスクリーンに映る物語に引き込まれていった。そして、主演の二人は当然ながら朝ドラの二人ではなく、その動き、語る言葉、纏う空気感が、疑いようなく藤沢さんと山添くんだった。それは、三宅唱監督による演出によるところだろうけど、主演に二人を選んだ時点で賞をあげたいくらいな…って、それも三宅監督への賛辞になるかな。

映像化するにあたって、その時間の長さも含めてさまざまな設定に手が加えられていたけど、そのいずれもが瀬尾さんが描く世界を「映画として伝えるためには」という気持ちからのものだったのだろうことが観る側にも伝わるものだった。そして、主演の二人に注目しがちだけど、二人が勤める会社の社長を光石研さんが演じられていたのが嬉しかった。昨年のドラマ『帰らないおじさん』でも素敵なおじさんを演じられていたけど、この人が社長さんだから二人は大丈夫って、何が大丈夫だかとは思うものの、そう思った。ちょうど翌日朝の番組で光石さんのインタビュー番組が放映されていて、改めてそう感じた。

いま、この感想を書いていて、改めて本を読んだ時の感想を読み返して、もう一度この本を読んでみたいと思った。そして、今の僕は「誰かに光を当てたり水を差したりすることができる存在」になりえているだろうか。

僕を含め、人々がより利己的になり、また周囲からも自分自身からもスピードを求められる時代になり、それは何もしなければますます加速していくだろう。そんな中、ほんの少し立ち止まり、現実と自分の想いとのギャップを、まずは噛み締めてみよう。そこからどの方向に、どれくらいの速度で歩き出すかはその人それぞれ。でも、噛み締めた時間はきっと無駄にならないと信じたい。

さて、僕はどっちに歩いていこうか…

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マイ・ブロークン・マリコ

2022-10-23 19:02:10 | 映画を観る

映画『マイ・ブロークン・マリコ』を観た。

永野芽郁ちゃんが骨壺を抱えて飛び出していく予告編を映画館で観てからずっと気になっていた。封切りからしばらくたってしまっていたからか上映時間や上映回数は限られてしまっていたけど、かえって朝早い時間の方が時間を有意義に使えると思い、洗濯を済ませてから出掛けた。

映画館に着いてすぐ売店に行くと既にパンフが売り切れているという。見逃してしまうときはもちろんだけど、こういうときに「もっと早く観に来れば…」と後悔する。で、気持ちを切り替え劇場に入った。

始まってすぐ、「マリコの死」という衝撃的な報せからかなりのスピードで物語が進んでいく。それはきっと、芽郁ちゃん演じるシイノの気持ちが動いていくスピードだったんだと、いま改めて思う。マリコの遺骨を奪い抱え疾走し、最初で最後の二人旅に立つ。旅の途中で二人の時間を振り返る。子ども時代から大人になってから、そして、つい最近まで。消灯後の夜行バス、ローカル電車、路線バスと、その時間の流れは微妙に変化し、そして、その中で行ったり来たりするシイノの記憶の中の二人に、観ている僕も痛みを感じていた。

でも、その中からふと感じた。二人の分かちがたい関係を。それはまるで「一心同体」のようだと。マリコのことをウザったいと思いつつも、突然彼女が命を絶ったことはシイナ自身の痛みだった。

最後の二人旅は、二人を明日へと向かわせるものとなった。そこにいた、窪田正孝くん演じるマキオの、自らの経験を経ての穏やかさは、シイノだけでなく、観ている僕の心も温めてくれたようだ。

マリコの存在が彼女のすべてだったというシイノの孤独、そして、自らを追い込むことでしか生きていけないマリコの諦めのような感覚。それらは僕も持っているということを、映画を観終えてから強く感じた。程度の差はあるけど、程度の問題ではないというのと共に。公式サイトで監督のタナダユキさんが書いている「理不尽が押し寄せ、ついに自分を壊すことでしか生きられなくなっていったマリコ」という言葉を読み、改めて実感した。

観逃さなくてよかった。そして、もう一度二人に触れてみたい。その時には、パンフレットが増刷されていてほしい。

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そして、バトンは渡された(映画)

2021-11-14 08:32:20 | 映画を観る

瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』が映画化されることを知り、まずは瀬尾さんの作品がまた映像化されることを嬉しく思った。そして、主人公の森宮優子を演じるのが永野芽郁さんだと知り、その嬉しさは僕のゲージ一杯(高いか低いかには触れないけど)に振り切れた。で、彼女の母親・梨花を演じるのが石原さとみさんで、僕の頭の中で梨花と石原さんがシンクロしたのを思い出す。

その情報に触れて以降、公開日がいつかと楽しみにしていた。けれども、他の多くの映画作品同様、この作品も流行り病の影響を避けられなかったのだろう。とはいえ、待ちに待った作品を観ることができた。

3年前に原作を読んで以降、あらすじは覚えていたものの、作品の詳細についての記憶が薄らいでいたことは、映画を観る上では逆に良かったのかもしれないと、観終えた後に思った。

さて、瀬尾さんの作品での愉しみは食事のシーンだと、多くの瀬尾まいこファンが思うところだけど、映画でもそれは伝わってきた。優子と田中圭さん演じる森宮が食事をとるシーンでは、単にその食事が美味しそうというだけでなく、その時のやり取りが父と娘の繋がりを緩やかだけど強いものにしているんだなと思える。そして、その時のやり取りの内容が、互いが今どんな状況なのかを掴む手段になっている。書いてしまうと当たり前のことなんだけど、自分の家庭(母とだけれど)を顧みるとそれとは程遠い。そして、こんな風に子どもと触れ合う機会がないのだと思うと、少し寂しく思う。もちろん、積極的ではないにせよそういう生き方を選んだのは自分自身だから覚悟はしているけど。

だからこそ、小説でも今回の映画でも、泉ヶ原も森宮も、梨花の思いもよらない行動とその行動力によって家族を作ることができたことを羨ましく感じた。今の僕にそんな状況が訪れたとしたらすぐに受け入れられる自信はないけど、でも、すぐに断りはしないし、実現する方法を探るだろう…な。

小説とはまた違うストーリーが用意されていたけど、どちらがいいか悪いかということではなく、それぞれが独立した作品で、それらを感じればいい。そう、映画のそれとそこに触れる台詞に、先日から読んでいるある本のことを重ねた。感想は読了したら書くけど、会えないことと別れとは違うんだろうということかな。

映画を観終えて街を歩くと、以前の賑わいがだいぶ戻ってきていた。そして、親子連れを見かけては温かな気持ちになれた。日差しの暖かさもあったけど、きっとそれだけではなかった、と思う。

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ドライブ・マイ・カー

2021-09-25 08:11:26 | 映画を観る

祝日に出掛けることはそんなにはない。買い物くらいは行くけど。たぶん、人混みが好きではないからだろう。休日とは違うのか?と問われてもすぐに答えは出てこないけど、考えた挙句に「祝うこともない」なんて言葉を反射的に発してしまうかもしれない。

そんな祝日に映画を観に出掛けた。

映画『ドライブ・マイ・カー』は、映画祭で賞を獲ったという理由ではなく、霧島れいかさんが出ているからという、自分の中ではスッキリとした理由を掲げて前売券を買っていた。上映館が少なくなっていく中、それでも日比谷の映画館では日に3回上映されていて、ソーシャルディスタンスを確保するため1席ごとの提供となっているとはいえ、この日もあと2回は満席だった。

さて、上映前に入手した情報の中で、霧島れいかさんの次に重要だと思ったのが「上映時間約3時間」だった。当然ながら催す方を心配したのに、なぜか売店で「ウーロン茶L」を注文していた。咳き込んだ時に喉を潤すためだったけど、合わせてお手洗いに行かなかったことを、上映前に多少後悔した。

物語は静かに始まり、静かに進んでいく。そんな中、この作品のタイトルにも通じる車(赤いSAAB900)の独特な、そして存在感を誇示するようなエンジン音が響く。映画を観ながらぼんやりと、僕もその車に同乗しているような感覚がしてくる。ベッドで抱き合っていた夫婦の仕事、そして、家族のことが少しずつ明らかにされていく。10数年夫婦が使い続けてきた車は、夫婦と共に時を過ごしてきた。ドアを開閉する時の軋み音も、後席に乗り込むときのシートの音も、その時を経た証に感じられた。

音。妻の名は音と言った。その声の音は優しくもあり、強く主張してくるような感じもした。霧島れいかさんをキャスティングした理由に彼女の声があったのかな… その声は、夫の心に深い傷を負わせる出来事でもまた、どこか魅力的だった。

その傷を覆い隠すように過ごしてきただろう男は、突然に妻を喪う。そしてその数年後、ある仕事に携わる中で男は再び妻と、妻の思いと向き合う。

途中、3時間ほどの上映時間が気にならなかったとは言わないけど、それよりも、その3時間のドライブは刺激的だった。家福という男が演劇に携わっていることから、映画には舞台の、そして稽古のシーンが多く登場した。そして、車の中での登場人物の会話が、意識的に演劇的な演出を施されているように感じた。そう、小津安二郎的なカット割りも、車内で撮影するという制約があるとはいえ、それをむしろ効果的に利用しているように思えた。

様々なものを失った男は、それでもなお生きていく。ラストシーンの解釈を披露するつもりはないけど、男は歩き続けていくのだろう。ふと、以前観た『トニー滝谷』を思い出した。同じく村上春樹さんの作品をベースにした映画で、イッセー尾形さんの物静かな演技が印象的だった。

僕は、失うことを恐れて手に入れることを避けていた。憧れた人はいたけど、その思いを伝えることで関係が壊れてしまうことを恐れていた。家福という男も、妻の別の姿と対峙することを避けていた。幸せだと言っていた夫婦生活を壊したくなかったのだろう。

過去の選択を悔やんだところで、その時はそれが正しいと思って選択したのだから…と、自分に言い聞かせてみるものの、心の奥ではパズルが上手く嵌っていない。不意に涙が溢れてきたのはそのせいだろうか。

 

冷房の効いた約3時間のドライブを終え夕暮れ少し前の劇場を出ると、昼間の暑さの余韻なのか、空気が生暖かく感じられた。でも、それがどこか心地よく感じられた。淋しくとも、これからも歩いていこう。

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すばらしき世界(2回目)

2021-05-09 09:51:46 | 映画を観る

映画『すばらしき世界』を再び観た。

2月に観てから、買い求めたパンフレットに収載されたシナリオを読み、また西川美和監督が原案とした佐木隆三さんの『身分帳』を読み、近いうちにまた観たいと思いつつなかなか時間が取れなかった。そうこうしているうちに上映館も上映時間も限られてきた中、下高井戸シネマで上映されることを知り、この日を選んだ。そう、4年前の1月にここで『永い言い訳』の上映と西川さんのティーチインが行われ、足を運んだ場所だ。

さて、ゴールデンウィークからここでの上映が始まり、多くの方が来られていると知り、早めに行って整理券を受け取った。今日はまだそれほどではないらしく、肩透かしにあった気もしないでもなかったけど、安氏んではある。そして、開場までの2時間余りを羽根木公園までの散歩に充てた。

映画館に戻ると、広くはないロビーに多くの人が集まっていた。コロナ禍で苦境に立つ映画館を少しでも応援できればと、トートバッグを購入した。そして、暑い中散歩してきたので「コーヒー牛乳もなか」も。館内は食事禁止とのことで、テラスに出て急いで口に入れた。かき氷ではないので頭痛には襲われなかったものの、急いで食べるものではない。

空席はあったもののそれなりに席が埋まり、この作品に対する関心の高さが窺われた。そして僕は、初見となる誰かの機会を奪わなくて済んだことに安堵した。近くの方が持っていたコロッケのにおいが途中まで気になったけど。

映画を観始めると、場面展開が速く感じられた。初見では次に何が起きるかとハラハラしながら観ていたけど、2回目なので流れは記憶に残っているからだろうか。だからと言って面白くなかった訳ではなく、初見の時には感じなかった、気付かなかったことがあって、西川さんの作品づくりの丁寧さを改めて感じた。

そのうちの2つだけ挙げさせてもらう。

風呂場で津乃田が三上の背中を洗うシーン。カメラはその背中に自分の思いを伝える津乃田の顔を捉えるものの、三上の表情は映されないし、彼の台詞もない。それを入れてしまうことで観る側の感じ方を固定しまうのを避けたかったのだろうか。背中を流す津乃田もまた三上の表情をその背中から感じるだけだ。初見の時もこのシーンで涙したけど、改めて観てこのシーンのすばらしさを感じた。

そして、職を得た三上を周囲の人たちが祝福するシーン。彼らは三上に対し、怒りを感じても我慢することを促す。我慢できなかった過去が三上を獄中に括り付けてきたことを知っていての「思いやり」の言葉だけど、続く職場でのシーンで、同僚に虐められれまた笑いものにされる仲間を思い怒りを感じる彼が取った行動は、自分の心を殺すものだったと感じた。そして、映画のラストはそれを象徴するように感じた。

確かに、周りに起こるすべての事象に首を突っ込んでいたら生き辛くて仕方ないだろう。けれどもそれが、誰かの命に係わる切迫した問題だったり、また世の中の理不尽さから来るものだったら、見過ごしてよいのだろうか。手を打つべき時に手を打つべき人が見過ごしていたからそれが起きているのではないか。

話は逸れるけど、今も続くコロナ禍についても、手を打つべき時に手を打つべき人が対応していたら、今とは違った…もちろんいい方向に…様相になっていただろう。誰かの気づきを抑え込んだりごまかしたりするのではなく、またその誰かの行動を傍観し失敗したら冷笑するのでもなく、より良い形で手を打っていくことこそ、上に立つ者の責任ではないかと。

こんな状況だからいつになるかはわからないけど、またこの作品を映画館で観たい。そしてその時は、西川美和さんのティーチインも合わせてと期待している。次の作品までにはとは思うけど、寡作な西川さんのことだからそこは大丈夫だろう。

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