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あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

心の奥を探求する

2025-04-12 22:24:31 | 美と戯れる
昨夕、仕事を終えた後に東京国立近代美術館で開催中のヒルマ・アフ・クリント展を観に行った。展示会のチラシやポスターを見て気になり、目星を付けていたこの日、開場時間が延長される金曜日の会場に向かった。

冒頭に展示されたデッサンやスケッチ画に、アフ・クリントの基本的な描画レベルの高さを感じるとともに、それがどのような経緯でチラシに載った抽象的な作風へと変わっていくのかに興味を持った。

フォルム研究、スタッコ・ロゼット


スケッチ、子どもたちのいる農場[『てんとう虫のマリア』]

何となくだけど、アフ・クリントの作品は抽象画というより、抽象的な世界を絵画に定着させる試みだったのかなと思えた。アフ・クリントがそもそも備えていた描画力により、そこに何かが見えてくるような。だけど、そこに記された言葉も含め、理解できるというところまでは僕は到達できない。それでも、そこに何かがあるということは、心の中では強く感じる。

原初の混沌、 WU/薔薇シリーズ、グループⅠ

それは「10の最大物」という作品群についても同様に感じられた。そこに描かれたさまざまな要素が、冒頭で紹介されたデッサンやスケッチに繋がっているように見えた。生き物や花々が美しいと感じられるのは、実際にある物体と心…精神との間での電気的というか化学的というか、反応によるものなのかな。なんて、よくわからないけど。

10の最大物、グループⅣ No.5、成人期

その後、さまざまな創作を経て辿り着いた、水彩による作品。紙と絵具と水、そして、時間によって偶発的に誕生する作品ではあるけど、どの位置にどの色を置くかなどは描く作家の意図が働く。その意図が自発的なのか、何かに誘われてのものなのかはあるのだろうけど、アフ・クリントにはその意図があったのだろうと思える。

無題

この展示会では、アフ・クリントが描いた作品に加え、作品などについて記したノートブックも展示されていた。何が書かれているのかはわからないものの、その几帳面さ、そしてそれを源泉とした美しさに、アフ・クリントという人に対する関心をより強くした。心通じ合えるかはわからないけど、対話してみたいと思う。その人は現実に存在していないけど、作品を通じて対話することはできるだろう…か。


notebook4 1934年のノートブック

今回も展示会の図録を購入したが、今回はそれを通じてアフ・クリントと対話できたらと思う。



雨が降る中、見頃を過ぎてもなお美しさを湛える桜を眺めた。

さて、次のNHK『日曜美術館』ではこの展示会が紹介されるそうだけど、混雑する前に鑑賞することができたのは良かったかな。
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こうふくのしま

2025-03-22 21:26:47 | 美と戯れる

一昨日、2つの美術館を訪ねた。そのうちの1つは東京都現代美術館。意欲的な企画展が行われていて、年1回ほど気になる展示を観に行く。この日行った『こうふくのしま』は、去年から行きたいと思っていたけど、ついつい予定を差し伸ばししていた。会期末が近づいてきていよいよそれもできないと思い、予定を組んだ。で、映画を観る予定と調整して、同じ日に予定を詰め込むことにした。

まあ、それはそれとして、現代アートとの出会いはその作品が気に入ろうとそうでなかろうと、愉しい。今回見に行った展示会は作風も異なる4人のアーティストの方が参加されていた。すべて気に入ったということはやはりなかったけど、出会えたのは素直に嬉しかった。

ところで、ほぼ同じ期間、同じ場所で開催されていたのが『坂本龍一 音を視る 時を聴く』という企画で、平日に休んで両方観に行ってもいいかなと思ったものの、休暇を取るタイミングを逸したのと、この作品展がNHK『日曜美術館』で紹介されたこともあり、諦めた。昨年秋の田中一村さんの展示会も、先日行った宮脇綾子さんのそれも、紹介されて以降来場者が増えたという。この日も多くの人が坂本龍一さんに会いに来られていた。

これからも気になる企画展を開催してくれることを愉しみにしながら、この日は次の場所へと向かった。

 

先日、香川県高松市を訪ねたときの動画をアップしました。

https://youtu.be/hIIZypgW25s

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見た、切った、貼った

2025-03-07 23:25:54 | 美と戯れる

気になっていた、東京ステーションギャラリーで開催中の『宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った』を仕事帰りに観に行った。金曜の夜ならと思って行ったけど、一つ不安があった。先日のNHK『日曜美術館』で紹介されたから来場者が増えるのでは…と。で、不安は的中した。まあ、僕もその中の一人ではあるけど。

さまざまな対象を、さまざまな布地などの素材を用いて作品にする。そのめずらしい手法も作品の魅力だけど、その手法が芸術となるには、宮脇さんが対象を見つめ、姿形を正確に捉え、特徴を抽出し自らの作品へとつなげていく。作品とする対象と、端切れなどの画材を、どのように組合せ、どのように配置していくか。その宮脇さんの創作活動により生まれた作品の数々に魅了され、存分に愉しんだ。

そう、デフォルメするにしても、まずはその対象を正確に捉えるところからなんだろう。それは、仕事にも通じる…なんて、また仕事のことを考えてしまっていた。まあ、仕事ではものごとを上っ面だけで捉えてわかった気になってしまうことも少なくないけど。

ものごとの本質を見極めるというのは簡単ではない。けれども、そのことを通じてかけがえのないものが得られると思う。すべてについてではなくても、大切だと思う対象についてはそんな気持ちで見つめていきたい。

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Walls & Bridges

2021-10-10 18:47:26 | 美と戯れる

東京都美術館で開催されていた『Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる』、その最終日に会場を訪れた。

先日、朝の散歩途中に入口に掲示されていたポスターの、黄金色に輝く銀杏の葉ではしゃぐ子どもの写真に目が留まり、そして、そこに添えられた「壁は橋になる」という言葉が気になって、午後半休を取って来ようかとか考えていたものの、結局この日になった。

セレクトされた5名のアーティスト…と言っていいのか…それぞれが、あるきっかけで創作を始められたというエピソードが、それぞれの作品の展示に先立ち紹介されていた。その紹介文を読みながら、一人ひとりの人生をほんの少し想像してみた。

ある日、入所した老人ホームで園長から画材をプレゼントされたことをきっかけに絵を描き始めた人。

戦地で行方不明となった夫に、ダムに沈みゆく故郷の姿を伝えようとカメラのシャッターを押し続けた人。

家事や育児に追われながら、家族が寝静まった夜に広告のチラシの裏などに絵を描いた人。

ナチスの強制収容所に送られ、多くの人を見送った後に解放され、美術を学び創作を続けた人。

同じくナチスの強制収容所に送られるも脱走に成功し、各地を転々として辿り着いたニューヨークで困窮の中で手にしたカメラで映像を残した人。

「アーティスト」という言葉を言い淀んだけれど、彼ら・彼女らはその創作において間違いなくアーティストだと言える。そして、その作品はそうしたバックボーンを抜きにしても、観る者の心に迫ってくるものだった。

それでもやはり、それぞれの人生を想う。

最近は仕事に疲れ、テレビの前で居眠りしてしまうことも少なくない。50の手習いで始めた動画編集も最近はすっかりサボってしまっている。そして、このブログも…

いや、時間がないわけではない。表現したいと思う対象が見つからないのも、それを考えていないからだけなのかもしれない。彼らに比べれば断然恵まれた環境にいる僕だけど、創作に対する意欲は足元にも及ばない。

そんなことを思えたことも、この展示会の最終日に来ることができたからだと思う。

「時間があれば…」という言い訳に、往きに歩いてきた途中で見かけたこの言葉が浮かんだ。

You’ll never find a rainbow if you’re looking down.

孤独ではないものの、心は孤独を感じる中、坂本九さんの歌を口ずさんでみたくなった。そして、壁を橋に変えてみよう。今でなくてもいい。いつかきっと。

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アダンの海辺

2021-02-04 20:32:36 | 美と戯れる

先日、千葉市美術館で開催されている「田中一村展」を鑑賞した。

田中一村の名を知ったのは確か、榎木孝明さんが一村を演じた映画「アダン」がきっかけだった。映画は観ていないけれども、なぜか印象に残った。改めて検索してみると、木村文乃さんはオーディションを経てこの映画のヒロインとしてデビューしたそうだ。

話が逸れたが、正直なところ、僕は田中一村については「奄美大島の画家」程度の知識しか持っていなかった。それでも、テレビなどを通じて目にした彼の作品に強い力を感じた。「日本のゴーギャン」と呼ばれることも知らなかったくらいだけど、南国の木々や鳥、そして海を描いた作品は、その言葉を裏付けるものだと思った。

さて、千葉市には伯母が住んでいて、生前は定期的に訪ねていた。自動車に乗るようになってからは自宅と伯母の家を往復するだけで、千葉の街を歩くことはほとんどなかった。その伯母も亡くなって10年以上経ち、すっかり縁遠くなった。

京成線の千葉中央駅から美術館通りをまっすぐ進み、目的地の美術館に向かう。もともと道沿いには店が多くない上に、今の状況を受けてか土曜日だからか、街は閑散としていた。それでも美術館の展示室には、密とまでは言えないものの、この状況にしてはお客さんが訪れていた。そのうちの一人が僕であることは棚に上げて。

展示は、幼少期から晩年までの生涯をフェーズに分け、その作風の変遷を紹介していた。幼い頃から周囲に絵の才能を認められていたものの、画家として評価されたのは亡くなられた後だったそうだ。賞を逃して作品を自ら葬り去ったというエピソードに、彼のプライドの高さを思った。

50歳を過ぎ、どのような思いで奄美大島に渡ったのだろうか。紬工場で働き得たお金で暮らし、また絵を描くという暮らしの中で、彼にとっての労働とは単にお金を得るための手段でしかなかったのだろうか。そして、紬工場を辞めてのちに色紙に綴った「もう永久に工場で働くことはありません 絵だけを楽むことになりました」という言葉を噛み締めながら、展示会のポスターなどに使われた「アダンの海辺」という作品に向かい合う。近づいて目を凝らすと、日差しを受けて淡く光る雲と、きらきらと輝く浜辺の砂に目を奪われる。彼自身もそこを描き切ったという思いがあったようで、その思いを感じられたことが嬉しかった。そして、しばらく絵に向き合っていると、涙が溢れてきた。僕も、母親と暮らしてはいるけど、いつも孤独を感じている。その孤独を、南の島で独り絵を描く田中一村に重ねてのものだったのか。

いつか僕も、ほんとうに独りになる。その身軽さとその寂しさとを天秤にかけても仕方ないけど、その日が訪れた時、僕には描く絵が、綴る言葉があるだろうか。「忙しい」という言い訳を意地とともに封印し、少しずつでも興味の先に手を伸ばしていこうと改めて思いながら、家路についた。

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血が、汗が、涙がデザインできるか

2020-12-26 11:56:14 | 美と戯れる

子どもの頃、PARCOのコマーシャルを視ては「意味が分からない」という思いを抱いていた。 けれども、その意味の分からなさも含め、その魅力に惹かれていた。

年末の忙しい中、半日休暇をもらい東京都現代美術館を訪れた。
実を言うと、間もなく閉館となる美術館に行こうと思っていたけど、予約が必要な上に、すでにその予約も取れない状況になっていた。
そんな中、ふとこちらで開催されている展示会を知り、やはりこちらも予約が必要とのことで日時指定のチケットを確保した。

石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか
この、強烈なインパクトを持ったタイトルに誘われたと言っていい。

石岡瑛子さんについて、僕はそのお名前を目にし聞いたことがあるくらいだったけれども、資生堂やPARCO、角川書店など、広告を通じてアートやカルチャーを体現していた企業で、まさにその時代を支えていた方だと知り、興味が膨らんだ。

展示会は 、
1 Timeless:時代をデザインする
2 Fearless:出会いをデザインする
3 Borderless:未知をデザインする
と、彼女の活躍を3つの時期・ジャンルに分けて構成している。

男性と伍して仕事をしたいという強い意志を示して資生堂に入社し、同社の広告制作に携わる中で、時代を切り拓く様々な作品を送り出した。そして、その作品が次の出会いに、そして未知のジャンルへの挑戦に繋がっていくのを、余すところなく紹介している。
僕の母より1つ下ということで、当時の女性が置かれた状況をはっきりとではないけど想像できる。

「人脈を広げる」という言葉があるけど、彼女が得た出会いはその言葉とは対極のものだと思う。 人脈を広げるためには、時に相手に対し妥協も必要な時がある。僕も時にその場に流されてしまうけど、強い思いを持っているものに対してそれはできないし、したくない。

彼女が作品の校正戻しに書き込んだ様々な指示を見て、ディテールに拘る姿勢と、それが彼女の作品を今も輝かせているのだと知った。そして、その輝く作品がまた次のオファーに繋がっていったのだと。
彼女がディレクションされたマイルス・デイヴィスのアルバムジャケットは、その校正戻しと実際のジャケットの双方の展示を見比べて、彼女の拘りを、そして「神は細部に宿る」という感覚を味わってほしい。

展示を観た翌日、ふと、意欲的に活躍された彼女が自分を奮い立たせる姿を想像した。 そんなことがあったとしても、気の置けない人にしか、いや、もしかしたら誰にも見せなかったのかもしれないけど。
なぜそんなことを想像したのかも分からないし、実際にそうだったかどうかどちらでもいい。ただ、彼女の作品を観て自分がそう感じたことが大切なのだと。

今回、PARCOのCMに込められた思いに触れ、子どもの頃に感じた魅力について腹に落ちた感じがした。まあ、それが正しいとすると大人びた子どもだったということかな。

図録は来月に発売されるとのことで、この時に感じた思いを後日改めて噛み締めたい。

そして、この記事を書きながらこちらのペーを見つけた。
石岡さんの著書に携わられた筆者の方の想いに眼を潤ませた。
また、ちらの記事では一部の展示を写真で紹介されている。

「忙しい」を、そして「年齢」を言い訳にせず、これからも様々な物、事、そして人に対し意欲的に向き合っていきたい。

この日の動画はこちら

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未来を着る人

2015-06-05 21:45:00 | 美と戯れる
東京都現代美術館で開催されている『山口小夜子 未来を着る人』を観に行った。

世界のトップモデルとして活躍された日本女性ということと、彼女が登場するCMを微かに覚えている程度だけど、この企画が開催されていることを知り、都合も合ったので行ってみることにした。

今日は「小夜子」にちなんで3、4、5日に限定で彼女の写真入りチケットが配布されるというので、少し早めに会場に向かったのだけど、平日だったこともあり先客はおらず、近くのカフェで少しまったりしていた。



波佐見焼のカップに添えられた角砂糖のグラデーションに、いつもはブラックな僕も2杯目はその2粒とクリーム(牛乳を温めてくれたものかな?)を入れて味わった。

しばらくして美術館の入口に向かうと先客が集まっていて、それでも限定数には届かないと安心して開場を待った。


さて、山口小夜子さんについてそれほど知っていた訳ではないけど、彼女が資生堂のCMに出られていた記憶はある。けれども、リアルタイムで視たいたかどうかまでは覚えていない。それでも、その強烈な存在感は少し視ただけでも強く印象に残る。

展示された作品には、彼女自身がデザインされた舞台衣装などもあり、活躍の幅の広さと多彩さに驚く。それでも最も注目したのは一連の資生堂のポスターやCM映像だった。

彼女の魅力が写真家やメーキャップアーティスト、アートディレクターなど多くの才能を呼び寄せ、そしてさらにその世界を高めていったというのを、展示されたポスターはその強烈な印象とともに観るものに伝えてくれる。彼女がモデルとして活躍された1970年代から80年代初めは、日本が最も輝きを放っていた時代ではないかと思う。その時代を引っ張っていたのは、資生堂や西武(セゾン)、サントリーなどの企業であり、彼女はそんな企業文化から生まれた類稀なる一輪の花だったのだろう。

その後、彼女はモデルの世界から、表現者としての活躍の幅を更に広げていく。そんな自身の世界を広げていた中、2007年(平成19)に急逝された。その報せを聞いたとき、とても驚いたことは今も覚えている。

彼女を精密に模ったマネキンが、今も世界で活躍しているそうだ。



彼女の命は奪われてしまったけれど、こうして今も彼女の魅力に触れる機会があるというのは、僕らにとって幸せなことだと思う。
そう、資生堂のポスターを熱心に観る若い女性に、彼女の魅力が時代を超えるんだと、改めて感じた。そして僕も、この空間を2時間以上かけて堪能した。



この企画は今月28日まで開催されている。写真など表現に興味を持つ方には特にお勧めしたいし、そうでない方も堪能できる企画だと思う。
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真珠の耳飾りの少女

2012-09-09 22:41:01 | 美と戯れる
今日は東京都美術館で開催されている「マウリッツハイス美術館展」を観に行った。

今年の初めには、リニューアルが完了する東京都美術館でフェルメールの有名な作品が観られるという情報を入手し、「行くかな…」くらいは考えていたものの、ついつい行きそびれていた。

先月、石巻で訪れたおかあさんのお部屋にフェルメールの絵はがきが飾られていた。お尋ねしたところ特にファンという訳ではないということだったが、その時にこの展覧会のことを思い出し、絵ハガキでも買ってみようと思った。ただ、絵ハガキだけ買うのではなく、作品を観たことを語らずとも観ておきたいなと思い、行くタイミングを計っていた。昨日は散歩の際に「朝、どれくらい行列ができているか」を確認した。そして今朝、8時にその列に加わった。6人目だった。

9時半の開場予定は30分早められ、一目散にあの絵に…の前に、音声ガイドの機械を借りた。美術品は心で捉えればいいのだろうと思うけど、最近こちらに頼ることが多くなっている。絵画が書かれた背景などの情報が音声として与えられ、その絵により近付けるように感じるからだ。また、役者さんを起用する例も増えていて、今回はイメージキャラクターを務めた武井咲さんが登場していた。こちらの内容はあまりよく覚えていないが、作品に対する蘊蓄というよりは、その作品世界をイメージさせてくれるものだ。

で、展示会の目玉であるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の前に立った。一瞬にしてその輝く瞳と潤んだ唇、そして、絵全体から放たれるオーラのようなものの虜になった。これほど力のある作品だとは思っていなかったこともあり、心に強く印象付けられた。まだ空いていたからよかったが、心が震え、しばらく動けなかった。あの、顔の傾き加減に愛を感じたから?なんて…

作品数はそれほど多くなかったが、レンブラントやブリューゲルなどオランダを代表する画家たちの作品はそれぞれ魅力的で、「真珠の耳飾りの少女」を観終えてからすぐに入口に戻り、ゆっくりと一点ずつ堪能した。

「現地に行けばいい」という人もいるが、オランダ・ハーグにある美術館に行くことができる人がどれだけいるだろうか。多分僕はこれから先も行かないだろう。だったら、行列を作ってでも観たいと思う。そう思ってもいいと思う。

そんな気持ちと共に、美術館を後にした。



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淡い光

2012-06-10 22:37:15 | 美と戯れる
昨日は恵比寿の写真美術館に、『川内倫子 照度 あめつち 影を見る』という作品展を観に行った。

川内倫子さんの写真を初めて見たのは、確か是枝裕和監督『誰も知らない』で担当されたスチール写真だったと思う。その後、この映画に関連して出版された本と、彼女のオリジナル写真集2冊を買った。

彼女の作品を見てまず感じたのは、その淡い光の感じだ。『AILA』には特に、生きものの生と死の瞬間が数多く掲載されているが、それだけでなく、彼女の作品には強く生を感じる。それは、「空気感」と言ったらいいだろうか。今までは写真集で観るだけだった彼女の作品を、今回は展示の形で見られるというので、電車内の広告でこの展示会を知った時から楽しみにしていた。

写真展は、単に写真を並べればいいというものではなく、その大きさや展示スタイル、そして、プリントの仕方という表現が加わる。その点でも、今回の作品展は興味深いものだった。そう、空気に包まれている感じ…かな。

そんな魅力いっぱいの今回の写真展は7月16日まで開催されている。写真好きの方にも、そうでない方にもおススメしたい。

さて、川内さんの写真展が同じ恵比寿のもう一か所で開催されていると知り、会場に向かった。ちょっとわかりにくい場所だったが、この電柱のおかげで何とか見つけることが出来た。



会場のある建物に入りエレベーターに乗ったが、そのフロアのボタンが反応しなかった。やってしまったようだという後悔の念を抱えながら1階SHOPの店員さんに尋ねると「16時から」と言っていたが、今見てみたら14時からだった(平日は16時から)

この写真展は、彼女が昨年の4月に石巻など東日本大震災の被災地を撮った作品を展示している…というか、ちょっと変わった展示のようだが、昨日は観るのを諦めてしまったため、改めて訪れてみようと思う。


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生きざま

2012-01-07 23:37:47 | 美と戯れる
朝から診察に行ったが、会計が終わったのは昼少し前だった。ちょうどいいからと昼食をとり、その後、上野に向かった。

国立西洋美術館で開催されている『ゴヤ展』に行こうと思ったのは10月、あちこちで「着衣のマハ」のポスターを見かけるうちに気になりだした。その後、何度か行こうと思ったものの、毎度のことながらついつい先延ばしにしてしまっていた。年末にようやく訪れたもののその日は休館日で、年が明けて2日に行ってみようと思ったが、その前に向かった東京国立博物館の「北京故宮博物院200選」展での待ち時間が長すぎてその後に立ち寄るのを諦めた。

年末に買っておいたチケットを手に入口に向かうと、その脇に立てられたテントに案内された。3連休ということで混雑を予想し出入口の混雑を避けようという配慮からか、そのテントは脇の入口に続き、そこから地下の展示室に向かった。

先日の東京国立博物館の混雑はかなりのものだったが、その記憶がまだ鮮明に残っているのか、今日は観覧者が少なく感じられた。まあ、実際にはそんなことはなく、歩くスピードを調整する必要もあったが…

名前以外の予備知識を持たずに来たが、作品を観ていくとともにゴヤという人物たいする興味が深まった。宮廷画家という地位を確立しつつ、一方で近代へと向かう時代の流れの中で、旧来の社会に対し批判的な視点を持ちそれを作品に織り込んだというが、彼のしたたかさを感じた。戦争の惨さや空しさや闘牛の残虐さを描いた作品には、彼の絵に対する思いの強さを想像する

そんな思いを募らせたのには、音声ガイドの影響もあった。今回は、ゴヤの声を俳優の石橋蓮司さんが演じるというのに惹かれた。500円というのは安いとは言えないが、それによって理解が深まるという付加価値を考えれば納得できる。

ということで、なかなか見ごたえのある展覧会だった。そのため、常設展は見ずに帰って来てしまったが、今度はル・コルビュジエの建築を楽しみに行ってみようかな。





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