あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

きらり♪

2006-09-30 20:26:10 | つれづれ
NHKの朝ドラ『純情きらり』が最終回を迎えた。

3姉妹を演じる3人の女優への思い入れから見始めたのだが、最後まで1話も欠かさず見続けたのは『あすか』以来だろうか… あの作品では、季節や亭主のもてなしの心を表現するという和菓子の世界の魅力にはまったんだっけ…

長女の笛子を演じる寺島しのぶさんは、以前『ピカドン・キジムナー』という舞台で観て以来、好きな女優さんだ。

次女の杏子を演じる井川遥さんは、直球ストライクで僕の好きなタイプの女性です。そう、そのアネゴ的というかオッサン的(?)というかのところも含めて…
このドラマでは、斜め後ろから人々を見守る温かさが、彼女の素の魅力とあいまって心惹かれる好演だった。

そして主役の三女、桜子を演じた宮崎あおいさん。初めて彼女をいいと思ったのは、2年前に放送された『ちょっと待って、神様』というドラマだった。交通事故で亡くなった泉ピン子さん演じる主婦が、宮崎あおいちゃん演じる女子高生の体を借りて家族との別れの時間を過ごすというお話だった。この作品も、『純情きらり』を書いた浅野妙子氏の脚本だった。
今年は、石川寛監督の『好きだ、』と、塙幸成監督の『初恋』で彼女を観たが、それぞれの役をきちんと消化して演じている。この前テレビで見たミュージカル『星の王子さま』も良かったな。

今日最終週をまとめて観ていたが、初めから涙腺切れっぱなしの状態だった
笛子、杏子らと昔話をするとき、あえて回想シーンが入れられなかったことで、半年間観続けてきたシーンを思い浮かべることができた。桜子が皆と別れるラストシーンは良かったと思う。

ところで、このラストシーンもそうだが、音楽の選曲などをはじめ、映画『愛情物語』(1956)の影響を感じたのは、僕だけだろうか…

あの9.11以来、「いざとなったら戦うことも良し」という風潮が強まっているように感じる今だからこそ、あの当時の市井の人々の喜びや悲しみ、苦しさを通じて戦うことの虚しさや生きることのすばらしさを描いたこの作品を送り出す意味は大きい。
人々の日々の暮らしに徐々に、広範に広がっていく「強い力」の恐ろしさを、決して声高に叫ぶのではなく、丁寧に描いたこの作品を送り出した俳優、スタッフ、そしてNHKに、

ゆれる・・・

2006-09-28 22:49:39 | つれづれ
やっと、『ゆれる』を観に行った。

同じ環境に育ちながら、全く異なる人格を持つ存在。兄弟って、そんなものかな…と、改めて思う。
故郷に残り、父と共に家業を守る兄。東京へ出て、自由に自分を生きる弟。そして彼らの間に漣を立てる一人の女性。その波紋が家族をはじめ周囲の人たちに広がっていく。その「ゆれ」は、見るもの達の心の中にも及んでくる。
僕は弟だが、香川照之演じる兄に強いシンパシーを感じた。息苦しさを常に感じながら、それでも何かを守るためにその生き方を受け入れている。でも、その「何か」とは自分自身なのではないか…と、自分自身を振り返って思った。でも、オダギリジョー演じる弟の「ゆれ」にも、「あっ」という気持ちにさせられた。

『蛇イチゴ』も魅力的な作品だったが、この作品でも、西川美和監督は観る者の心をグイグイと引っ張っていく。

脇を固める俳優も主張しすぎず、それぞれが持ち味を発揮している。
特に、終盤で兄弟の心を大きく揺さぶった、キム兄(木村祐一)の検事の絶妙な揺らし具合が強烈だった。

忘れてはならないのが、兄弟の間に漣を立てた女性を演じた真木よう子だ。
『パッチギ』以降注目している女優だが、未見の『ベロニカは死ぬことにした』を早く観たいと思った。

まだ「ゆれ」がおさまらない。

2006-09-26 23:59:43 | つれづれ
今朝、駅へと向かう途中で傘を忘れたことに気付いたが、「まあいいや」と軽い気持ちでそのまま勤め先に向かった。
昼になるともう雨は降り始めていて、仕方なく散歩を諦め近くで軽く食事を済ませた。
帰りは置き傘でかろうじてしのいだが、一向に止む気配はない。

台風シーズンが続く中、先日も九州地方を中心に大きな被害が発生している。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

ここ最近、突然に命が絶たれるというニュースが続いている。
幼い子どもたちが犠牲になった飲酒運転事故をはじめ、昨日も夜道で女性が突然刺され殺された事件や、わき見運転の車が保育園児の列に突っ込み、幼い命が奪われた事故が報道されていた。

こうした事件や事故には強い憤りを感じる。

でも、こうした衝撃的なニュースに慣れっこになっている自分もいて、何だかとてもいやだ。

明日は明るい話題を書きたい…

思いやり

2006-09-25 23:29:52 | つれづれ
「ユニバーサルデザイン」という言葉は既に定着しているだろうか?
街の至るところに様々な配慮が見られるようになったが、われわれの心や振る舞いはユニバーサルデザインになっていないのかな?と思うことがある。

先日、通勤電車で席を確保できたと思ったら、自分の目の前に老夫婦と、そしてその脇に妊婦さんが立っていた。マタニティマークをカバンに着けた彼女に席を譲ろうと思ったのだが、立てば老夫婦に席を譲ることになる。でも、どちらに譲っても良かった。というより、自分が老夫婦に席を譲れば、彼女の前に座っていた人も彼女に席を譲ってくれたかもしれなかった。

目の不自由な方のためのシールが剥がされかけているのを見ながら、思いやりの無い人がいるなあと思ったが、自分もまだユニバーサルデザインになっていなかった…
思いやる気持ちをデザインしなおそう。

言論の衰退

2006-09-24 20:17:41 | つれづれ
もうすぐ総理大臣が変わる。そう、あのおぼっちゃま君に…
5年半もの間、空虚な獅子舞を見せられた後は、おぼっちゃま君の駄々っ子政治(?)とは、何と言っていいやら…

でも、これは昨年の総選挙結果からの規定路線だったんだよね。多分あの時、獅子舞男とその一派に大切な一票を託した人たちは、「われわれの暮らしを何とかしてくれ」との願いを込めたのだろう。でも、獅子舞男やバカボンパパの叫ぶ「郵政民営化」の声に誘われて、我々はより厳しいところに連れて行かれてしまった。何だか、『ハーメルンの笛吹き男』みたいだ。

この5年半の間に、私たちはいわゆる「改革」なるものによって得られたものよりも多くのものを失ってしまったのではないか。もしかしたらそれは、その前の「失われた10年」を上回るのかもしれない。そして失われたものの中の最たるものが「言論」だと思う。

「ワンフレーズポリティクス」と言われた手法もそうだが、国会答弁での徹底的なはぐらかしや、法律を無視した言動などで、彼は「言論」もぶっ壊してしまった。でも、それを許しているマスコミにこそ、より大きな責任があるのではないか。
彼や、暴言お兄さん知事の言葉に疑問を抱いているのかいないのか… もはやマスコミも「勝ち組」が就く職業なのかもしれないね。飼い主に歯向かうことなんか期待しても無駄だろう。

さて、おぼっちゃま君や(頭の先から?)チルドレンが集う新政権には、常に目を光らせなければならない。そう、おぼっちゃま君が期待に応えようと焦って、チョビヒゲをはやし右手を上げて…なんて事にならないように。

ひさしぶりに、堅い話になってしまいました。それでは…




道すがら

2006-09-23 23:32:23 | つれづれ
「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」
この句は、俳人 松尾芭蕉の辞世の句として知られている。

千住大橋のたもとに、『奥の細道』の最初の句が石碑に刻まれていた。
多くの人たちの見送りを受け、「行く春や 鳥啼き 魚の目に涙」の句を読んだ芭蕉は、弟子の河合曾良と共にこの地を後にした。
碑の近くの案内板には、彼らの辿った足取りが表示されている。

当時は、旅立つ人を見送る際、「今生の別れかもしれない」という想いが非常に強かったのではないかと思う。

人生はよく旅に譬えられる。
この旅を彩るのは、風光明媚な風景ではなく、すれ違う多くの人たちである。
自分は、これまでの人生での多くの出会いを、その時その時大事に考えていただろうか? 別れ際に涙を流し悲しむ人がいるだろうか?

一つひとつの出会いを大切にしなければと、道すがら思う。

バターサンド

2006-09-22 23:59:39 | つれづれ
先日、北海道物産展で六花亭のマルセイバターサンドを買ってきた。
先客があったため、まだ冷蔵庫で眠っているが、明日は食べよう。

以前仕事のついでに、レンタカーを借りて帯広から富良野、旭川をめぐったことがあった。

六花亭の本店は落ち着いた店構えで、いい雰囲気だった。
また訪ねてみたいが、今度は北海道ホテルに泊まりたいなあ…

ついでに旭岳に登ろうと、ロープウェイに乗った。
ほんの寄り道程度に考えていたので、ジャケットに革靴という格好だったのだが、周りの乗客がみな登山の装備なのに気付いたのはあとの祭り…

ゴツゴツした山道をおぼつかない足取りで歩きながら、半べそをかきそうになった…というのは言いすぎだが、辛かったのは事実。

でも、ふもとに下りて入った温泉は良かったです。


この広い空

2006-09-21 23:59:03 | つれづれ
乗換駅のホームに立って空を見上げる。

既に電車は折り返しの準備を終え、座席が少しずつ埋まっていく。
角の席にカバンを置き、携帯電話のレンズを空に向けた。

今日は真っ青な青い空ではなかったが、陽の光を受けた雲がキラキラと輝き、それはそれで異なる美しさだった。

新宿のように高層ビルが立ち並んではいないので、空が広く感じられる。
そうだ、この空を最近見ていなかったんだと、改めて思う。

慌しく感じる日々が続いているが、深呼吸をしてみよう。

この秋は、体の中の時計を自然とシンクロさせるような時を過ごしたい。
…ああ、でもその前に腹時計の修正をしなきゃ





真っ青な、青

2006-09-21 00:07:16 | つれづれ
昨日の朝は清々しく、心地よい風を受けながら歩く。

道すがら、鉄柵に絡まる朝顔に目を遣る。
夏も終わろうという今も、太陽に向かって笑顔を振りまいている。

ふと、最近空を見ていないなあと思い見上げると、そこには真っ青な、青い空が広がっていた。

冬になると航跡を残して飛び去る飛行機をいつまでも眺めているのだが、残念ながら今日は出会うことが出来なかった。

夕暮れがだんだんと早まり、秋の足音が聞こえてくる。

今年こそ、秋を楽しもうと思っているのだが、予定が立たない。
けれども、そこは独り身のフレキシビリティ(と、書いていて少し寂しい)で、何とかなるのだろう。

天気予報が、「明日は晴れ」と教えてくれた。
改めて、耳を済ませて航跡を追ってみよう。

大人の役割

2006-09-17 17:32:33 | つれづれ
昨日は、ドラマ『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』の最終回だった。

最近のこの枠は、前クールの『ギャルサー』も、そしてもっと前の『女王の教室』もそうだったが、初めは「一体何を描きたいのか」と思いながら観てみると、ストレートに伝えにくいことがさらりと表現されていて、思わず「ハッ」として注目してしまう。
ドラマ評のページを見ると、端から「評価外」という所もあり、観る側の感じる力も求められるようだ。

長瀬智也演じる主人公はやくざの若頭で、荒唐無稽なイメージを受けるが、「自分自身がサラリーマンという身分を隠して高校生活に戻れたら」と思ったり、また「あの時自分は精一杯何かに向かっていただろうか」と振り返ったりしながら、精一杯高校生活を送る榊真喜男を応援していた。

学生生活は、限られた、そして戻ることのできない期間だからこそ、かけがえのないものなのだ。けれどもそのことに当時は気付かず「早く大人になりたい」と思っていた。今の若者もそのことに気付くことが出来るだろうか?

もし僕らが彼らに出来ることがあるとすれば、今の自分を精一杯生きて、若者が憧れるような将来像を提供すること。そして、彼らに対し「今を一生懸命にがんばれ」とエールを送ることだろうか? そのためには、彼らの将来を担保にしている今の世の中を少しずつ変えていかなければならないね。

…なんて、大人になりきれないオッサンがつぶやく。