ときどき「楽しんでいるドラマの途中で命を落としたら…」と考えることがある。「あと少し待ってくれ」と神様か閻魔様(後者は聞き入れてもらえないかな…)に相談の余地があるのか、実はあちらの世界にも配信されているのかなどと思いながら。
連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』が最終回を迎えた。
『ちりとてちん』の藤本有紀さんが再び朝ドラの脚本を担当されるという報せに喜び、呟いたことを思い出す。
#藤本有紀 さんが作品に寄せることばには、いつもその作品と登場人物に対するあふれる愛情を感じる。そして、その書き出しから既に、まだ視ぬ作品の世界へと誘われ、ワクワクが高まっていく。
— Kozy (@Kozy2inMarchen) July 29, 2020
『ちりとてちん』や『平清盛』、『ちかえもん』などで藤本さんが描かれた世界を堪能し虜になった人たち、そこには僕も含まれるけど、1年以上先の放送開始が待ち遠しく、そして楽しみになった。
「いつか二度目の連続テレビ小説を書かせていただく機会に恵まれたなら…」と書き出された藤本さんの言葉を読んだだけで涙が溢れてきた。確か、仕事帰りの電車の中だっただろうか。どんな思いで作品を書かれているかを知る機会はそんなにある訳ではなく、こうした記事をアップしてくれるのも嬉しい。
ところで、藤本さんの作品に対しよく使われる「伏線回収」について、その言葉を使ったり展開を先読みしたりするのはどうなんだろうと、途中から思っていた。そういう僕も「回転焼大月」の店内に貼られた棗黍之丞シリーズ『妖術七変化 隠れ里の決闘』のポスターがいつ剝がされて…と思っていたんだけど。
きっと藤本有紀さんは、あらかじめ物語全体の構成を作り上げ、そこに登場人物やエピソードをはめ込んでいくような作り方をされるのかなと。『ちりとてちん』の「お母ちゃんみたいになりたくない」からの「お母ちゃんみたいになりたい」、そして『平清盛』の「平清盛なくして、武士の世は来なかった」を思い出すとそう思う。だから、安子に対するるいの「I hate you」が、いつか「I love you」に変わっていくのだろうと。それは多くの人がそう思っていたようだけど。ただ、そうした読みが当たるか当たらないかに関心が行くのには違和感を感じていた。藤本さんの作品の魅力は、そこに向けてどのようなエピソードを重ねていくかにあるのだと思っていたから。たくさんの涙と笑いとともに、それを存分に感じた。
この作品の魅力を語りだしたらきっと5カ月…はかからないだろうけど、それなりの時間は必要だ。ただ、できればこの約5カ月を共に(空間ではなく、時間を)した人と語り合えたらきっと楽しいだろう。
様々なエピソードが詰まった最終週から、僕が気になったものを書き留めたい。
るいと安子の再会で盛り上がった111話。ステージ上で『On the Sunny Side of the Street』を歌うるいが、ひなたに背負われてアニー…安子が会場に到着したときに声が出なくなるものの、再び歌い出し、そして安子のもとに駆け寄った。すぐに駆け寄らなかったのはなぜだろうと思い、その歌詞について調べてみた。それは、安子と別れて以降のるい自身の気持ち、そして、別れる前の貧しいながらも楽しい暮らしに重なる。るいはそれを安子に伝えたかったから、敢えて再び歌い出したのだろう。
そして、最終回の最後の最後、ラジオの英会話番組で共演するウィリアムが鍵を落としたその時、彼がいつかの初恋の相手だったことを思い出したひなた。そのキーホルダーに対するコメントをTwitterなどで目にしたけど、僕はその時、子ども時代のひなたがビリーに伝えられなかった「Why don't you come over to my place?」を淀みなく伝えられたことが心に刺さった。
70話でその言葉を伝えられなかったひなたが回転焼に八つ当たりして家を飛び出したあと、河原に座り込むひなたのもとにやってきたるいが「お母ちゃん、見参!」と現れ、ひなたの心を癒す。この感想を書きながらその回を視返して、また涙を溢れさせた。
そんな気持ちにさせてくれたのは、ひなたの成長に影響を与えた伴虚無蔵の存在がある。彼の「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」という言葉が彼女に英語の鍛錬を続けさせ、思いもよらない場所に連れて行くことになった。僕の好きな言葉「果報は練って待て」にも通じる(なかなか実践できていないけど…)。
どんな作品であっても完璧なものはないし、そもそも「完璧な作品」などないのだろう。いや、あったとしてもそれは取るに足らない作品なのかもしれない。この作品に対しても批判はあった。そういう視方、そしてそういう楽しみ方もあるのだろうとは思うけど、僕にはしっくりくるものだった。きっとそれは、今の僕の心の在り様にも関係するのかもしれないけど、それはまたおいおい。
さて、最終回を迎え多少「ロス」を憂いたものの、ロスどころかスピンオフを望む気持ちもない。描かれなかったエピソードは、描かれた場面から想像しながら、また近いうちに初回から視返してみよう。
「楽しんでいるドラマの途中で命を落としたら…」この作品では雪衣さんが楽しんでいた朝ドラの途中で天に召された。こればかりは避けられないし、それよりも、結末を知ることができないとしても作品を愉しんだことを携えて行くことは出来るだろう。そして、この作品から受け取った「後悔しない人生を」という言葉とともに生きていこう。