私的海潮音 英米詩訳選

数年ぶりにブログを再開いたします。主に英詩翻訳、ときどき雑感など。

T・S・エリオット「宗教と文学」 翻訳:第七段落

2020-01-01 11:37:08 | T・S・エリオット「宗教と文学」翻訳
T.S.Elliot
Religion and literature
p.100

T・S・エリオット
「宗教と文学」
100頁

確信するに、我々はじつに完全に、そして未だに無分別に、文学を宗教的な判断から分離し損ねている。もし完全な分離があり得るならば、おそらくそれは問題にならないだろう。しかし、分離はなく、おそらく決して完全にはなされ得ない。もし我々が小説によって文学を例証するなら――というのも、小説は文学がもっとも多くの数に対して影響を与える形式であるからだが――少なくとも過去三百年の漸進的な文学の世俗化に気付くことになるだろう。バニヤンからデフォーあたりまでは倫理的な目的を持っていた。前者は懐疑を超越し、後者はおそらく疑いを抱いていた。しかし、デフォー以来、小説の世俗化は途絶えずに続いている。そこには三つの主な段階があった。第一の段階では、小説がその人生の像に承諾したり除外したりするために同時代の解釈における「信頼」を採用していた。フィールディングやディケンズやサッカレーがこの段階に属する。第二は、「信頼」を信じ切れず、思い悩み、異議を唱えている。ジョージ・エリオットやジョージ・メレディスやトマス・ハーディがこの段階に属する。第三の段階に我々は生きているのだが、ここにジェームズ・ジョイス氏を除く殆どすべての同時代の小説家が属する。誰もがキリスト教的な「信頼」が語られるのを時代錯誤としてしか耳にしたことのない段階である。

*ジョン・バニヤン〔1628~1688〕『天路歴程』
*ダニエル・デフォー〔1660?~1731〕『ロビンソー・クルーソー』
*ヘンリ・フィールディング〔1707~1754〕『トム・ジョーンズ』
*チャールズ・ディケンズ〔1812~1870〕『オリヴァー・トゥイスト』
*ウィリアム・M・サッカレー〔1811~1863〕『虚栄の市』
*ジョージ・エリオット〔1819~1880〕『サイラス・マーナー』本名メアリ・アン・エヴァンス〔女性〕
*ジョージ・メレディス〔1828~1909〕『エゴイスト』
*トマス・ハーディ〔1840~1928〕『テス』
*ジェームズ・ジョイス〔1882~1941〕『ユリシーズ』

I am convinced that we fail to realize how completely, and yet how irrationally, we separate our literary from our religious judgement. If there could be a complete separation, perhaps it might not matter: but the separation is not, and never can be, complete. If we exemplify literature by novel-for the novel is he form in which literature affects the greatest number―we may remark this gradual secularization of literature during at least the last three hundred years: Bunyan, and to some extent Defoe, had moral purpose: the former is beyond suspicion, the latter may be suspect. But since Defoe the secularization of the novel has been continuous. There have been three chief phases. In the first, the novel took the Faith, in its contemporary version, for granted, and omitted it from its picture of life. Fielding, Dickens and Thackeray belong to this phase. In the second, it doubted, worried about, contested the Faith. To this phase belong George Elliot, George Meredith and Thomas Hardy. The third phase, in which we are living, belong nearly all contemporary novelist except Mr. James Joyce. It is the phase of those who have never heard the Christian Faith spoken of as anything but an anachronism.