T. S. Elliot
Religion and Literature
p.106
T・S・エリオット
「宗教と文学」
106頁
今のところ、これがある種の倫理性であって諸制限の内では偉大な善を為し得ることを否みはしない。しかし、思うに、我々は皆それよりも高い理想を提示しない倫理性は拒むべきである。それは勿論我々の目撃している、共同体はひとえに諸個人の利益のためにあるという見解に反する暴力的な反発を表している。しかし、それは同じほどこの世界の福音であって、この世界にはそれしかないのだ。現代の文学に対する私の不満も同じ類のものである。現代の文学が通常の意味で「非倫理的」だったり、あるいはいっそ「倫理に叶って」いたりして、どちらの場合でも責任が充分ではないと思いたがっているわけではない。単にそれ〔*訳注:現代文学〕が我々の最も基本的で重要な信心を拒むか、あるいは完全に無視していることに対してである。結果として、それは、人生が続く間じゅう得られるものを得よ、それ自体を示す如何なる「経験」も見逃すな、もし今や未来のこの世界において他者のための触知できる利益という目的のためだけに犠牲を払うならば己ら自身を犠牲にせよと、読者たちを鼓舞しがちになる。我々は確かにこの類の最良のものを読み続けることになるだろう。我々の時代の与える最良のものを。しかし、たゆまずに己自身の信条に従ってそれを批評すべきである。単に公共の出版物上で議論する書き手や批評家に認められた信条に従うのではなく。
Now I do not deny that this is a kind of morality, and that it is capable of great good within limits; but I think that we should all repudiate a morality which had no higher ideal to set before us than that. It represents, of course, one of violent reaction we are witnessing against the view that the community is solely for the benefit of the individuals; but it is equally a gospel of this world, and of this world alone. My complaint against modern literature is of the same kind. It is not that modern literature is in the ordinary sense ‘immoral’ or even ‘amoral’; and in any case to prefer that charge would not be enough. It is simply that it repudiates, or is wholly ignorant of, our most fundamental and important beliefs; and that in consequence its tendency is to encourage its readers to get what they can out of life while it lasts, to miss no ‘experience’ that presents itself, and to sacrifice themselves, if they make any sacrifice at all, only for the sake of tangible benefits to others in this world either now or in the future. We shall certainly continue to read the best of its kind, of what our time provides; but we must tirelessly criticize it according to our own principles , and not merely according to the principles admitted by the writers and by the critics who discuss it in the public press.
*エリオット〔Thomas Stearns Eliot/1888.9.26~1965.14〕
セントルイス生。1922年雑誌『クライティーリオン』〔The Criterion〕に『荒地』〔The Waste Land〕を発表。1927年イギリスに帰化し国教会に入信。1943年『四つの四重奏』〔Four Quartets〕を発表。1948年ノーベル文学賞。〔『ブリタニカ国際大百科事典』より〕
★とうとう終わってしまいました。明日ミルトンをお見せできるかは神のみぞ知るところでしょう。今さらながら、この「宗教と文学」は1935年に発表されたもののようです。芥川の感じた「漠然とした不安」から八年後、世界中を蔽いつくす「全体主義」――ここにはもちろん連合国側の国民国家および民主制至上主義も含みます――の足音が誰の耳にも明瞭に響いていたのだろう時代に「我々は己自身の信条に従うべきだ」という真っ当極まることを真っ当に主張する強靭な健全さ。これこそが私がこの筆者に心惹かれる要因のひとつです。また、彼があくまでも「我々は」と主張し、無知で愚かな「読み手たち」を教え導いてやるというスタンスを取っていないところも大好きです。
Religion and Literature
p.106
T・S・エリオット
「宗教と文学」
106頁
今のところ、これがある種の倫理性であって諸制限の内では偉大な善を為し得ることを否みはしない。しかし、思うに、我々は皆それよりも高い理想を提示しない倫理性は拒むべきである。それは勿論我々の目撃している、共同体はひとえに諸個人の利益のためにあるという見解に反する暴力的な反発を表している。しかし、それは同じほどこの世界の福音であって、この世界にはそれしかないのだ。現代の文学に対する私の不満も同じ類のものである。現代の文学が通常の意味で「非倫理的」だったり、あるいはいっそ「倫理に叶って」いたりして、どちらの場合でも責任が充分ではないと思いたがっているわけではない。単にそれ〔*訳注:現代文学〕が我々の最も基本的で重要な信心を拒むか、あるいは完全に無視していることに対してである。結果として、それは、人生が続く間じゅう得られるものを得よ、それ自体を示す如何なる「経験」も見逃すな、もし今や未来のこの世界において他者のための触知できる利益という目的のためだけに犠牲を払うならば己ら自身を犠牲にせよと、読者たちを鼓舞しがちになる。我々は確かにこの類の最良のものを読み続けることになるだろう。我々の時代の与える最良のものを。しかし、たゆまずに己自身の信条に従ってそれを批評すべきである。単に公共の出版物上で議論する書き手や批評家に認められた信条に従うのではなく。
Now I do not deny that this is a kind of morality, and that it is capable of great good within limits; but I think that we should all repudiate a morality which had no higher ideal to set before us than that. It represents, of course, one of violent reaction we are witnessing against the view that the community is solely for the benefit of the individuals; but it is equally a gospel of this world, and of this world alone. My complaint against modern literature is of the same kind. It is not that modern literature is in the ordinary sense ‘immoral’ or even ‘amoral’; and in any case to prefer that charge would not be enough. It is simply that it repudiates, or is wholly ignorant of, our most fundamental and important beliefs; and that in consequence its tendency is to encourage its readers to get what they can out of life while it lasts, to miss no ‘experience’ that presents itself, and to sacrifice themselves, if they make any sacrifice at all, only for the sake of tangible benefits to others in this world either now or in the future. We shall certainly continue to read the best of its kind, of what our time provides; but we must tirelessly criticize it according to our own principles , and not merely according to the principles admitted by the writers and by the critics who discuss it in the public press.
*エリオット〔Thomas Stearns Eliot/1888.9.26~1965.14〕
セントルイス生。1922年雑誌『クライティーリオン』〔The Criterion〕に『荒地』〔The Waste Land〕を発表。1927年イギリスに帰化し国教会に入信。1943年『四つの四重奏』〔Four Quartets〕を発表。1948年ノーベル文学賞。〔『ブリタニカ国際大百科事典』より〕
★とうとう終わってしまいました。明日ミルトンをお見せできるかは神のみぞ知るところでしょう。今さらながら、この「宗教と文学」は1935年に発表されたもののようです。芥川の感じた「漠然とした不安」から八年後、世界中を蔽いつくす「全体主義」――ここにはもちろん連合国側の国民国家および民主制至上主義も含みます――の足音が誰の耳にも明瞭に響いていたのだろう時代に「我々は己自身の信条に従うべきだ」という真っ当極まることを真っ当に主張する強靭な健全さ。これこそが私がこの筆者に心惹かれる要因のひとつです。また、彼があくまでも「我々は」と主張し、無知で愚かな「読み手たち」を教え導いてやるというスタンスを取っていないところも大好きです。