コヤチン、さまよい日記

静岡県内を東へ西へ行ったり来たりしています。
応援している清水エスパルスの試合の感想もお伝えします。

豊明前後駅前から宮の渡しまで歩いて愛知県完歩が完成しました。その後おまけもあります。

2012-10-07 21:48:58 | 東海道
今日、8月以来の東海道ウォークに出ました。9月は2回企画しましたがいずれも雨特に1回は台風襲来とチャンスがありませんでした。
今日は妻が名古屋に行く用事があるという事で、豊明の前後駅前まで車で行って降ろしてもらいました。

 前後駅前から出発です。

今日は秋晴れの好天に恵まれ、前回ここまで歩いた時のような暑さが無く心地よい天候の中で歩き始めました。暫らく住宅地の中を歩きますが国道1号線に合流します。更に歩くと中京競馬場前駅が見えてきて、中京競馬場に向かう所には馬のモニュメントがあります。もうすぐ名古屋市に入って行きます。
その前にこの辺で歴史的に有名な「桶狭間の合戦場の伝説地」を見ておこうと思います。織田信長と今川義元が戦った合戦ですが余りにも有名です。
 
今川義元の墓もありました。

西に向かっていきますが、国道1号線から少し外れ並行した道を行きます。再び国道1号線に合流した所の辺が豊明市と名古屋市の境のはずですがここも何も書いてありません。
合流してすぐに右に入る道を行きます。これが有松の町並み保存地区に入って行く道です。今日は有松の御祭りみたいです。街の人々が祭りの準備を進めていました。
 

 
古い街並みが続きます。 いつもと違うのは早朝にもかかわらず祭りの人々が慌ただしく走り回っていました。

 普段は格納されている山車も外にいます。

有松の町並みを過ぎると上を高速道路が走っています。最近開通した名二環と言われる道路です。古いものを見てきた後新しい建造物を見ると不思議ではあります。
更に進んでいくと平部という交差点がありそこを過ぎると「これより鳴海宿」の看板がありました。石とかに彫ってあるのはよくありますが、看板に書いてあるというのは珍しいです。
確かにそこからは街道の雰囲気がしてくるのは不思議です。
 

鳴海宿は現在商店街になっているところが多く、問屋場跡や本陣跡の碑があるのでしょうが見つけられませんでした。このようなところは注意深く歩かなければいけません。
その後何度か大き目な交差点を渡り進みます。多分何回か走った事のある道ですが歩いてみると景色が違って見えるのか分からなくなる事があります。視線が違うからなのでしょうか。
天白川を渡りますが、この天白川はかなり昔現在の日進市に住んでいた頃、近くを流れていた小さな川がこの天白川でした。この辺は中流域になるかと思いますがかなり川幅が広くなっています。

天白川です。

川を渡り少々で笠寺一里塚跡に着きます。名古屋市を通る唯一の一里塚で上り線側が残っています。


 笠寺観音(笠覆寺)です。ここも存在は知っていましたが、初めてです。

その先は名鉄の踏切を越えて行きます。
 
「是より北よびつぎ」と書いてある碑ですが、この「よびつぎ」は「呼続」と書きますが以前これが読めませんでした。よびつぎと教えてもらったら確かにそうとも読めるなと感心した思い出があります。

その先もう少し上流が名古屋の桜の名所として有名な山崎川を越え、1号線に出ますがここは1号線が左に曲がっているところです。かなりこの辺は昔何度も通りました。懐かしい交差点です。

 
名古屋高速の下を走る1号線。直進(画面右方向)は確か41号線だったかと思いますが…

東海道線の踏切を越えるとゴールはもうすぐです。いよいよ愛知県完歩も近づいてきました。

この説明によると「裁断橋は豊臣秀吉の小田原征伐に出陣し病死した堀尾金助の霊を弔うため金助の母が老朽化した橋の修築をおこなった。橋の擬宝珠(ぎぼし)には仮名で母が子を思う銘文が刻まれている。明治時代に河川改修により川筋が変わり大正末期には埋立られた。」とあります。

まっすぐ歩き、歩道橋で19号線を越え進むと遂に「宮の渡し公園」に着きました。これで今日の工程は終了です。午前中に着きました。道路の向こう側に「丹羽家(旧脇本陣)]」があり説明版を読んでいるとここの家のご主人がいらっしゃって色々説明して頂きました。うだつが立派でこの部分は往時の物のようです。

 

 宮の渡し公園。ここから桑名に渡し舟が出ていました。

ここで今日の日程は終了ですが、ここまで来たら「熱田神宮」に寄って行かないと申し訳ないので行ってきました。
 
今日は七五三や初宮参りの参拝客が多く、かなり賑わっていました。

この後、妻と栄で待ち合わせし食事をして帰る途中に2005年に行われた「愛地球博」の会場跡が現在公園になっています。通称「モリコロパーク」と言われています。ここは万博前は青少年公園と言われていました。子供が小さいころはよく連れてきました。現在もそのような家族が多く見受けられて当時の自分たち家族と重ね合わせて思い出に浸っていました。
 愛地球博記念会館。愛知万博の資料館です。

 日本庭園も池の畔に広がっていました。

 現在でも人気の「サツキとメイの家」

 観覧車が万博を思い出させてくれます。

 芝生広場の隣に「コスモス畑」綺麗に咲いていました。

 公共交通機関ではリニモです。

今日は、東海道とプラスしてモリコロパークもご紹介しましたが孫が出来たらまた来たいと思っています。その頃にはここも変わっているのでしょうか。
東海道はいよいよ東は日本橋から平塚を目指します。西は三重県に入って行きます。土地勘が薄くなって行くので事前の予習が必要です。季節も良くなってきたので張り切って行きたいと思います。

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