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宇宙飛行士&阿波踊り、陽明学、王道、能茶、旅行、歩き登山

宇宙弾道飛行申込み、時に自家用飛行機で北海道、時にマニラ、空港巡り。自宅からスポーツクラブ&陽明学、温泉宿、歩き山登り

ブラジル山の手はスラムのリオデジャネイロ ◇ウルグアイころにあ

2006年04月20日 | 歩き旅行

2月8日
8:00ブラジル・リオデジャネイロ2月末がカーニバル、桟敷、練習風景
◇九時、登山電車でコルコバードの丘、シュラスコ牛焼き昼食
◇ロープウエーでボンジアスカール、コバカバーナ海岸

◇観光客が車窓から一見すると港も街も美しく、繁栄しているかのようにみえるが、きらびやかな商店街の背後に道路も水道もないスラムが、その気になれば見ることができる。

◇中南米の特殊現象だと思うが、標高の低い、広い道に面したところが商店か高級邸宅。電気、水道、勿論ガスもない丘、山の手はスラムになっている。

9日
0:00出港ー※船検査ロイズ保険「検査乗船」
2/10船中で陽明学講座

12日ブエノスアイレスの裁判所、コロン劇場、5月広場、プエルト・マデーロ地区など観光。11:15分のフェリーでウルグアイのコロニアへ1時間。

坂道のコロニアを歩き、バスで要塞城門、灯台など観光、昼食。


南アフリカの欲深き新エリートと世界一巨大スラム街

2006年04月17日 | 歩き旅行

1994年、マンデラ政権が登場し、ムべキ副大統領は与党内に派閥を作るため、賄賂をつかい、役職を与える方法で大統領になった。

新任の黒人役職者には、能力に関係なく前任白人と同額の給料が与えられたが、行政水準は低下し、公共サービスは機能しなくなった。

南アフリカ国民の40パーセント以上が貧困と失業に苦しんでいるのに、黒人富裕層がうまれ、どんな犠牲を払っても私欲に走る社会になった、それをめざして、全アフリカから不法移民が流入。

これらの新富裕層は「自分たちこそアフリカ人である」と主張し、先住民がアフリカ人と称するのも許さない人種差別主義者になっている。

育ての親のムべキ大統領も、講演で、欲深く富を蓄えるエリートを厳しく非難したがーーー

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1月26日朝、南アフリカ・ケープタウン◇テーブルマウンテン(遠望するに煙あり、上陸後の夜は3か所に炎あり、消息客曰く死者一人英人のタバコ投捨てが原因)と。

希望峰、ペンギンコロニーなどの予定は強風、火災のため?入港できずに漂泊して、27日に入港。
9:30からワイナリー昼食などバスツアー、アザラシ島クルーズ40分。

◇車窓から70万人が暮らす世界一のスラム街をみる。住民がここへくる前の家もこんなものだったんだろうが、これだけ集積されるとスゴイ

◇20:00船着ー24:00発は再び給油遅延により28日5:45に変更。

トパーズ号は深夜の給油がお好みなのか、業者が給油を渋るのか、安い油、処理費付き廃油をかき集めているのか?





インド洋白骨珊瑚のセーシェルは徒歩観光1時間半

2006年04月15日 | 歩き旅行

15日7:00 インド洋のセイシェル(人口8万人 )・ポートビクトリアのマヘキーノース着岸、危険度2
 誰が言ったか「地球最後の楽園」に、街の中心まで歩き20分、、国産なく、輸入品で物価高、に、その痕跡もなし。 

◇8:30グラスボートで白骨珊瑚(旅人曰く、南太平洋のパラオでも同じで高温化が原因)のセントアン海洋公園へ、
レストランのラウンド島上陸、くさいわけではないが馬糞くらげ大繁殖、シュノーケリング(クラゲにさされた人あり)1時間

17:00帰船リミット18:00出港 

◇無人島に仏人が航路を開いてより、アフリカ・インド人など移住混在、言語はフランス、スペイン植民地系クレオール語。
 
 ◇独立後も軍隊のないこの国は、現大統領のやとった200人の傭兵が2機の航空機で飛来してセーシェル乗っ 取り。



ベトナム◇ダナン旧チャム・チェンパ王国ミーソン ◆クチの洞窟陣地は日本軍構築

2006年04月12日 | 歩き旅行

2006年1月2日7:00入港・ダナン
◇(雨)7:45集合50人、チャンパ王国のミーソン遺跡徒歩観光2時間で蟻坂(アリンコ)にバッタリ遇う
◇15:30チャム博物

◇にわとりのチャモはここに由来するもので、名古屋コーチンのコーチンは此所をさしている。
純粋のチャム人は30万人ほどであるが、南ベトナム人はチャムが被征服によってベトナムに同化しまのだろう。

◇交流会で民宿した人下痢、外務省情報ではシクロに乗るな(本船でも強奪にあった人あり)
◇3日8:15集合ホイアン旧日本(NHATBANニャパン)人街、日本橋散歩、フーンフンの家、シルク工場、市場など徒歩2時間半、日本起源のうどん昼食

◇この世界一周船でのダナン寄航の前にサイゴンなどベトナム南部旅行記を「愛知通信」に書いた文の転載。

仲間6人と11月29日から12月4日まで6日間の旅。サイゴンまでの直行便はないのでマレーシアのクアラルンプール経由であるが、南ベトナムの首都サイゴンを占領した北ベトナムはホーチミン大統領のなを都市名としたが、現地の人は政府の役人を含めてサイゴンと呼んでいるので、以下サイゴンとします。

30日の昼ごろ、サイゴンについて、先ずシクロ客用自転車騒ぎになった。
1ドルの約束で乗ったのだが、1人は路地に連れ込まれて10ドルふんだくられ、私はホテルに行けと行っているのに途中で降ろされ10ドル要求するので、ホテルまで歩いて戻る。ハノイから来ているガイドの説明によるとシクロ組合が街頭を支配している。後で何をされるか分からないということでシクロ君と再交渉、3ドル払う。女性ら4人はホテルまででチップあわせて2ドル。最初からべトコン遭遇でした。

12月1日はベトナム戦争中、べトコンの聖域といわれたサイゴン南東クチの地下トンネルが観光地化されており見学、変だ!戦時、我が家にあった防空壕にそっくりだ。その案内文に抗日戦争時に建設された、と?(このトンネルは第2次世界大戦時。
日本に帰って調べるとそっくり理由が分かった。日本の南方総軍が掘削し、武器も隠匿し、ベトミン『大東亜戦争を継承する独立軍と考えた多数の日本兵が参加した』に引き渡した)。ここでは米中の銃を1発1ドルで試射させてくれる。チャイナ製の反動が大きいのは火薬量が多いためという。

2日はメコン河下り、カント州ミト市で蛇酒を40円で買い、夜は蛇酒パーティー。メコンの水量は全日本の水よりも多量という。水のある大平野は穀倉地帯であるが、共産農場では食量不足になったものの、個別請負で収穫の4割を政府米としたら、たちまち米の輸出国になった。江戸時代の4公4民のようだ。

ベトナムの米輸出については、毎日のように値段が上がり消費量が減少していることから、半飢餓輸出であろうが、原油、難民からの送金とともにベトナム経済の支えである。

サイゴンツーリストのガイドの月給3000円、酒タバコの値段は日本に同じ、ハノイに行く飛行機代が月給の8か月分とかで、、、軍隊でサイゴンに来て、除隊して現職についてから1度の帰っていないという。11月末に1円が108ドン、1か月前に行った人から聞くと倍になっているという。物価は毎日上がり、昇給は半年に1回という。

ベトナム人の2割が失業というが都市にかぎればさらに高いだろう。仕事のある人よりも親族に難民仕送りのある人の方が幸せなようである。ガイドの夢は貯金して本田のバイクを買うこと、難民家族はすでに乗り回している。

ベトナムで不思議に思うのは鉄砲玉一つ生産できない世界の最貧国が、どうして100万の大兵力を抱えてラオス、カンボジアで軍事力を行使できるのか?ソ連チャイナから貰った武器に下士官兵は無給、少尉200円、少佐500円、少将の月給1000円、食料は「4公」からのタダなら可能乎!

さらに不思議なのは退役軍人に30坪の土地をくれるというが、ここだけ建築ブームで武士の商法が大繁盛である。ガイドが説明を拒否したので私の推測は退役軍人のもっているラオス、カンボジアに行ける3国パスポートと軍用車を使っての密輸稼ぎだろう。








インド洋船のプールで初泳ぎ◇南回り世界一周船旅

2005年12月27日 | 歩き旅行

寒中お見舞申上ます。
新型チャイナ風邪(流感=インフルエンザ)が流行し始めています。防疫学者はその死者5000万人と予想しています。充分くれぐれもご用心、ご自愛下さい。

◎トパーズ号(31500トン)27日13:00神戸新港入港、ほぼ300人乗船し乗客千人に・出港予定17:00

◇26日横浜港大桟橋12:00出港ーー※2006年1月2日7:00入港・ダナン◇ホイアン旧日本人街散歩◇チャンパ王国のミーソン遺跡3日17:00ーー
6日11:00シンガポールフリー24:00ーー

15日7:00セイシェル・ポートビクトリア◇グラスボートでセントアン海洋公園へ、ラウンド島上陸18:00ーー18日7:00ケニア・モンパサ◇ツァボ国立公園でサファリ19日21:00ーー26日7:00南アフリカ・ケープタウン◇テーブルマウンテンと希望峰、ペンギンコロニー27日17:00ーー29日14:00ナミビア・ウォルビスベイ◇オバンボ、ヘレロ、ナマ族などの文化を訪ねる◇ナミブ砂漠飛行とスワコプムンド30日20:00ーー2月8日8:00ブラジル・リオデジャネイロ◇コルコバードの丘◇ボンジアスカール9日0:00ーー12日6:00アルゼンチン・ブェノスアイレス◇ラプ
ラタ川をフェリーで渡るとウルグアイ・古都(世界遺産)コロニア◇イグアスの滝へチャーター機で往復14日0:00ーー18日8:00ウシュアイア◇パタゴニア、アンデス、ピーグル水道飛行20:00ーー24日8:00チリ・バルパライソ◇マプーチェ族と交流会23:00ーー3月2日8:00イースター島◇モアイ製造のオロンゴ岬、ラバヌイ族18:00ーー10日10:00タヒチ・パペーテ◇モーレア島でシュノーケル◇ポリネシア博物館◇マラアの洞窟11日20:00ーー18日7:00フィジー・ラウトカ◇サナサナ村でカバの歓迎儀式、メケ踊り20:00ーー23日9:00パプアニューギニア・ラバウル◇ココポ戦争博物館など戦跡巡り21:00ーー3月30日午前横浜帰港

〓FAXが比較的確かな通信手段です。
宛名KomuraKenji
TSSTHETOPAZ
0033-010-海域番号-764-546-281海域番号は大西洋が871太平洋872インド洋873(緊急の場合はジャパングレイス03-3363-8065)
〓私への通信にはEメール・kowmurak@mail.goo.ne.jp
〓甲村は何をしとるかブログ・http://blog.goo.ne.jp/kowmurak/※船会社から衛星通信を使っていますが写真はダメです、メールも確実性無しといわれています。


ビルマ紀行=ミャンマー半開きのドア ◇日本工業倶楽部でTL忘年会

2005年12月16日 | 歩き旅行
平成3年の1月と5月、半鎖国のミャンマー旧ビルマのヤンゴン旧ラングーン,ペグー、パガン、マンダレーなどを訪れた。この国は40年にわたる軍事社会主義から外資との合弁も認める自由経済への道を模索しつつあるというので行ってみたが?野党・民主連盟392対軍与党・国民統一党10という90年5月の選挙を全く無視して政権に居座る軍の目が社会の随所に光り、闇が横行し世界の最貧国を実感。

ミャンマーと日本の関係は深い。第2次大戦時、英植民地当局に反抗する社会主義のタキン(主人)党を日本が支援し、青年部のオンサン、ネウインらを軍人に育て上げ、独立に繋がったが、今の軍事社会主義にも。 3年前に隣国タイの「僻地教育を支援する会」で北西部メーホンソンを訪れた時に、タイ人がミャンマー・マンダレーへの道を日本道路と呼び、建設した日本に感謝していること、タイは被支援国卒業だから、ミャンマーへ行こう、と。

我々一行15人、ミャンマー教育を支援する会なんてものは認めないということで観光客。先ず入国手続きが大変だった、日本建設のミンガラドン空港に入ると「タバコをくれ」の連呼、通関職員は大きな竹篭を脇に置いて、タバコ、ライターボールペンなど差し出されたもの、自分のほしいものをドンドン投げ入れていく。旅行公社のガイドもチップ要求がたびたび。帰国時も同様だった。 ビルマ人は「いい人」である。親切で応対にも心がこもり、観光バスやれ者に物売りに来てもニコニコ笑顔で押し売りはしない、プレゼントを求める少女も、テッシュ1個に花1輪を返してくれる。権力を持つ役人は別である。入国時はタバコ1カートン渡してあったが何か手違いか?

通貨はチャットであるが、レートの混乱には困った。ホテルの公式ルートは89チャットであるが、外のタクシーは1000チャットと10倍以上の差。ホテルで缶ビールを飲んだら1000円45チャット請求され、鼻白む。

労働者の日給は15チャット、バス1区間と川の渡し賃が1チャット、タバコ1本が1チャットで高いので、町では1本を幾人かで回しのみしているのを見る。失業対策事業に道路工事、鉄道保線作業を始めたが財源はカジノ、空港の営業権や漁業権、鉱業権、森林伐採権の販売だという。

かつてはタイより豊かだったが鎖国社会主義で40年間経済運営したら、いまやタイの10分の1、世界の最貧国といわれるありさま。権利を買ったものは根こそぎ発掘、森林皆伐。経済振興も意欲はあるが「経営者」が居ない。日本はかつてこの国に軍人を養成したが、いまや経営者をふくむ人材養成の必要がある。

独自のミャンマー文字を持ち、竪琴の音楽も名高い。古来から寺子屋寺院教育で識字率は80%とたかく、義務教育無料、ビルマ映画も製作するなど高い文化水準を保っているが、民間の報道機関はない。国営テレビが夕方に公報を流すのみで公務員アナウンサーは原稿から目を離そうとしない。
国民政治協会平成3年9月1日会報掲載

平成3年1月28日、成田18時集合、19・55--
29日、00・35MANOHRAホテル泊11・35ビルマ航空UB222--12・15
30日、ヤンゴン観光、STRANNDホテル泊
31日、ペグー観光
2月1日、
2月2日
  3日、バンコク5・35UT838--成田14・55


◇笹子TLで山火事!あわや、とか!◇東京駅丸の内北口の「工業倶楽部会館」午後六時からTL山小屋の会忘年会です。先日濱ちゃんからメールあり甲村さんを連れてくるよう依頼スミだったんだけど。
◇2005年12/16 18:00 場所は東京駅です。
丸の内側北口の改札で待ち合わせ、6時10分前位に行きます。
◇お疲れ様でした。無事帰りましたね。で、免許はOKなの?◇双発落第でした。


サラ文会報投稿「奥穂高登山」

2005年09月14日 | 歩き旅行
上高地には何度も行ってあの山に登りたいと思っていたが64歳にもなると後がない感じになる。クラブツーリズムの旅行案内を2、3か月前に申し込み、当日近くなれば大東島付近で台風がうごめいている。

気が滅入るが、団体登山はこんなものだろうと自ら慰め、気を取り直して家を出た。
8月22日は横尾山荘、石鹸は使えないが風呂がある!23日は穂高岳山荘、15畳に18人だという。山小屋だから仕方ないというが私は夕食後に、空き部屋があるのを確認してから交渉して、6畳の部屋を獲得し、三人でゆったりお休み。

北アルプスの山小屋はみなきれいなそうな。南アルプスの北岳はーー?だが。

24日朝食後にはやだちの予定が雨待機、やんだ9時ごろ奥穂高登頂に出発。
頂上について五分ほどしたころ10分ほと晴れ渡り、また曇って来た。

穂高岳山荘にもどって昼食にうどん。涸沢岳に登って晴れ渡るのをまっていると雨。この日は涸沢小屋泊まり。

25日は6時に涸沢小屋をでて徳沢ーー明神ーー上高地、ここで入る一瞬、消毒臭のするホテルの風呂に入浴してサッパリ気分。

午後1時30分の高速バスで6時、新宿着。
上高地は曇り、途中の山梨県は豪雨、東京は曇りだった。


東海道「宇津谷峠」岡部宿駅 ◇川柳7句

2005年09月13日 | 歩き旅行

東海道の駅(古代)江戸時代の宿に石部、岡部がある。大化の改新以前の部民制時代の名残で姓にも石部、田部、岡部、渡部、綾部服部、海部山部などさまざまに生きているが、岡部の意味が分からなかった。京から見て岡部の宿駅の次に宇津谷峠が待っている。川の渡部さんと同じで峠越えの「岡部」さんであろう。

◇けぇっして過疎地に行かぬホームレス
上高地ホテルの風呂に消毒臭

一億円忘れたままで野に下る
腰抜けのバンザイの声先細り

センセイは給料もらって不登校
青空も今時ラーメンうまかった

メール開き教えに娘里帰り

今月は、"恋する川柳作家" やすみりえさんにお話。やすみさん曰く「川柳は人生をうたうもの」だそうです。 俳句は季節をうたいますが。そして、やすみさんは、その川柳で恋をうたい、人をハッピーにするのです。
川柳とは"世相を皮肉るもの"という先入観を私は持っていましたが、ちょっと違うと思いませんか
でも、人生をうたう詩歌があってもいいですよね。
やすみさんも色々な出会いがあって川柳の世界に入ったそうですが、そのきっかけ・川柳を楽しみ方等をお話してもらいます。

途中で、かくれんぼ川柳も皆さんにやってもらおうと思っています。 
これは、5・7・5の一部を空白にして各自で埋め込む遊びです。 前後が同じでも人それぞれで入る言葉が違います。 お互いの違いにその人の性格が見えてきて、結構、面白いです。
ですので、皆さん、ペンを持ってきてください。
恋心を和歌に託すのは優雅ですが、ちょっと重い。 5・7・5だったら、できそうですよね。
旦那さん/奥さんに、彼氏/彼女に、彼氏/彼女にしたい人に、いかがでしょうか。
TBSが平日昼12時55分~13時に放送している番組、"スイッチオン"に9月26日~30日に、やすみさんは出演されます。
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講師;  やすみ りえテーマ; 恋を語りましょう
日時;  8月13日(火)7時~9時半
場所;「ダカーポ」 03-3564-2756
中央区銀座1-23-8 平凡音響ビル1F 柳通り、区立中央会館向かい、三吉橋そば)
交通;  JR有楽町駅歩10分(柳通沿い)、日比谷線築地駅(八丁堀寄り出口)歩5分
会費; 4000円(軽食付き)
プロフィール http://www.watanabe-group.com/cc/prof_y.html ■1972年神戸生まれ。大手前女子大文学部 英米文学科卒。
学生時代「こうべSEA QUEEN」に選ばれたのち、テレビラジオのアシスタントなどとしても活躍。現在NHK「ぐるっと関西」川柳コーナーほか、数本の番組で川柳コーナーを担当している。文化人川柳の会「相合傘」(主宰・桂三枝)メンバーでもある。女性だけの川柳句会「ぷら☆ねっと」主宰
■ レギュラー出演された番組
NHK「ぐるっと関西お昼まえ」(木) 11:05~11:54 “やすみりえのトキメキ川柳"コーナー
NHK-R「関西ラジオワイド」(火) 16:00~17:55 “とっておき川柳"
毎日放送ラジオ「おはようSUNSUN原田伸郎」6:00~7:45 (月~金)“さんさん川柳"コーナー
AM神戸「金曜バンバン!ごめんネばんばひろふみDE」『知性の玉手箱』・川柳コーナー
RNC(西日本放送)「土曜WAラジカル」川柳コーナー
■連載「やすみりえの恋の寝言は5・7・5」 デイリースポーツ新聞社 毎週木曜日「川柳cafe」 阪急ホテルグループ会報 「ホテルズライフ」■他の出演番組NHK「おしゃれ工房」川柳講師(2002年5月)MBS「ちちんぷいぷい」サンTV「ふるさとステーション」■雑誌などサンケイリビング新聞社 主催「2002年リビング家族の川柳」撰者NHK「おしゃれ工房」テキスト (2002年5月)■主な著書やすみりえ著 川柳句集「平凡な兎」(JDC)やすみりえ編・著 「やすみりえの川柳道場」(浪速社)文化人川柳の会「相合傘」編 句集「相合傘」
■川柳講演
文化庁国語課主催 平成十四年度 “「言葉」について考える?親と子のためのワークショップ?" (於・山形県飯豊町)文化庁国語課主催 平成十五年度 “「言葉」について考える体験事業" (於・愛知県御津町)NHK大津放送局 「開局60周年イベント・川柳を楽しもう」講師、京都市生涯学習振興財団 「アスニーセミナー・楽しく始める川柳1・2」講師大和郡山市主催 「平成14年度伝統文化講座」講師、宝塚市主催 「宝塚市ふれあい学級・川柳教室」講師、
◆「5月のいつかさんの講演の時、私が勝手にやすみさんを連れて行って、それきり彼女、本が出ても送らずじまいで、本当に不義理をしてすみません」水島さんは半ベソ状態だったので、少々困りました。
たしかに本は私にも編集者にもいまだ送られておりません。というか、忘れていました(笑)昔すぎて。
「やはり、紹介者の私は参加するべきでしょうか。他にもいろいろあるんですよぉ!」水島さんは上京したてのやすみさんをかなり親身になって応援とお世話をしていたそうです。
女同士、仁義、人間関係、人生、いろいろありますね
やすみさんを紹介した水島女史から、先日電話をいただきました。「先月の川柳の月例会をお手伝いし、多くの人を動員しましたが、その後やすみさんとは何度連絡をしてもコールバックがないので、困っています。いつかさん、すみません」という内容のものでした。
能天気な私は、「ウォータークラブで講演されますよ、たしか9月。私はこの日、打合わせがあるので伺えませんが。それに、しっかりプロフィールも載っているので心配ないんじゃないですか?」と、お答えしたところ、水島さんは非常に驚いておられました。


我孫子の布佐「浜ちゃん」宅で 「奥穂高」登山談 ◇奄美大島油井豊年踊り

2005年09月02日 | 歩き旅行

◇平成17年9月2日16時30分、我孫子市布佐の濱本裕幸邸宅=写真=着。ヒコーキ小屋でトモローランド山小屋の会。私の話は、さきほどの奥穂高登山談。

◆後藤さん曰く、自宅待機で可よ。大崎でロコ拾って、貴家の到着時間は15時頃か?
◆何? 奥穂へ登った? 
小生40年前に登りましたわ。
寒かったでしょ?それにしても今は登山証明書までくれるのかいな?
かわりましたな。山は変わってないだろうけど。

あまりムリをしないように。2日は午後4時ころ布佐到着予定です。
船橋に寄りましょうか?
Akimitsu Goto / 後藤 昭光
E-Mail: fwga7333@mb.infoweb.ne.jpまたはakimitsu@gotou.to
携帯電話 090-3105-2260 fax 0463-53-1021

横山◆甲村兄 
奥穂高への登山、 羨ましい。
好天に恵まれ何よりでした。
小生、昔、いっぱしの山男でした。外国登山を目指して訓練のため、厳冬期、西穂高から奥穂高までの縦走を試み、ザイテングラードでフィックスを張ってビバークしたことがあります。
寒さの為にラジュースで石を焼き、懐にいれて暖房をとった事などが思い出されます。当時、上高地はホームグラウンドのようにしていました。
元厚生省委嘱の山岳指導員でした。現在東京都岳連所属の雪標山岳会の創立会員です。また山の話しを聞かせてく
ださい。(横山敏)

2004年9月27日から「にっぽんの島を歩く会」加藤庸二氏の島旅見聞録「奄美大島・油井豊年踊りと喜界島」12人旅

◇油井の豊年踊りは旧暦8月15日午後2時に37世帯81人の瀬戸内町油井のみゃー(ホウギの木が南面2隅に立ち、北にガジュマル、横にデイゴの古木に囲まれた神の庭)で行われる豊年祭り、稲作の過程を示す。

儀礼的綱引きのツナを鎌で2回切る、振り出し、幼児踊り、前相撲、土俵祓い、稲刈り、籾摺り、米搗き、力飯、女踊り、男相撲、婦人チクテン踊り、カンオ様、玉露加那、相撲、ガットドン、結び相撲、8月踊りで5時半打ち上げ、、、ただし太鼓と踊りは延々と、、、

◇ハブなし、隆起さんご礁の喜界島人口9041人。縄文遺跡、石集落に風情あり。13世紀に琉球に入貢。


 


全国勉強会「知恵の輪」始めは赤坂東急ホテル ◆毎日新聞箱強羅保養所

2005年07月09日 | 歩き旅行

知恵の輪は全国の社外勉強会の情報交換を目的に昭和60年に設立され、毎年2月の第1土曜日に全国ネットワーク大会を開催。

◆赤坂東急ホテルで1985年2月2日午後2時に、第1回全国大会「人が、ご馳走」と会費1万円で名詞交換パーティー。

1985・9 東京商工会議所で知恵の輪事務局開設記念シンポジウム
1986・2 ホテルニューオータニで勉強会主催者ら合同会
1987第4回は東京商工会議所で「いま、勉強会はおもしろい」
1988第5回は砂防会館で「勉強会人間の主張」コンテスト
1989第6回は東海汽船クルージングで「人の縁日」
1990第7回は新潟県6日町の民宿で各テーマ
1991第8回は広島県絵領町・過疎地の廃校で「人脈を掘る」
1992第9回は熊本・火の国ハイツで「きらめくいのち」
1993第10回は横浜産貿ホールで1000人勉強会
1994第11回は雪祭りの札幌大会
1995第12回は高松  大会
1996・5・25仙台市民会館大ホールなどで
1997'4"26東京国際フォーラム大会
1998・4・25福岡第15回大会

◆平成15年7月7日、毎日新聞で箱根の保養所は空いてますかと聞いてみたら使用できた。
私が毎日新聞へ入った時の社員は7千人、それが今や3千人、わが現役時は2か月前の申込みが抽選になっていたが、千葉九十九里海岸の一宮保養所など一度も相客に逢ったことがない。
箱根はさすがに湯船で毎日勧世会の仲間に会った。この減員は電子化に拠る。印刷工程の半分以上がコンピューターの箱のなかに入ってしまった。いや、印刷そのもの、否!
新聞そのものをのみこみつつあるのかな?とはいえ、、、
いま箱根は霧と雨、紫陽花がきれいだ。
箱根路の霧の紫陽花みずみずし