BC330年、アレキサンダー軍によりペルセポリス図書館消滅
220、秦の始皇帝、秦法以外の古書焼却「焚書抗儒」
146、ローマ人がカルタゴ50万巻図書館焼亡
48年、シーザー、アレクサンドリア70万巻図書館焼亡、シーザーはフランスガリアでも図書館をやいている
AD54,パウロがエフェソスで奇なる「悪魔」の書を焼却
290年、エフェソスダイアナ神殿破壊、古文書抹殺
390年、キリストきょうとがアレクサンドリア図書館に放火
587、蘇我馬子軍が物部守屋夜討ち古文書焼亡
600、アイルランドの修道士がケルトの神殿、年代記を含むルーン文字本を焼亡
640、イスラムのカリフ皇帝がアレクサンドリア図書館焼く
728、ビザンチウム皇帝が非キリスト古文書30万冊焼却から、15世紀まで各地の宗教裁判所が異端の古文書を焼却し、魔女を焼き殺し。イスラムも各地で、、、
1562、新大陸でもキリスト教宣教師デ・ランダがメリダで宗教裁判を行い、マヤ宗教人を処刑、古文書を焼却し、現在に残るマヤ古文書は3冊のみ。新大陸の各地で宗教裁判が催行された。
1945年、マッカサーは経費日本政府持ちで数万人の宣教師を送り込み、GHQ指定文書を図書館から破却せしめた、
毎週木曜あさ7時から「丸の内朝飯会」ですが、講演会は7時30分から8時30分まで、その余はバイキングの食事、質疑など。
◇2013年10月12日午後3時、東京グリーンパレス
1963年から50年続く丸の内朝飯会、毎週も木曜7時から9時まで、参加してみませんか?
宗教政党の強要以外の年齢、職種など制限はありません、
テーマは「目標を持てば、元気になれる」三浦豪太。時事、経済、文化、芸術など。講師は専門家、テーマを得意とする会員。
メモで「朝飯会たより」会報を毎回発行。
月最終木曜日はインプット。会員が3分間スピーチ。
毎週木曜日7:30--8:30、千代田区二番町2の東京グリーンパレス地階食彩厨房ジャルダン個室で開催。食事は7時からバイキング。
毎回会費2000円。予約不要、入会金、年会費なし。司会者世話人あるも会長なし。
時間に余裕ある人は8時半以降も!どうぞ。
アクセスは有楽町線麹町駅1分
南京陥落前後雑記帳
昭和9年9月9日、中共政府対日「宣戦布告」
11年12月12日、西安事件で「抗日」国共統一戦線
12年7月7日、蘆溝橋に21万兵力+除州に35万
12年11月5日、「日軍百万杭州湾上陸(実は5万)」のアドバルーン
8日、国府軍(国民党政府直轄軍)上海軍21万駆逐
12月6日、南京城門閉鎖
7日、蒋介石、城外15キロを焼き払い、飛行機で退去
9日、日本軍の開城勧告文、唐生智司令官ひそかに逃亡(脱走兵として処刑)
10日、日本軍城門待機、城兵電気、水道爆破
13日早朝、日本軍入城
12月31日、電気、水道復旧
◆1937年、長江デルタ(壊滅した上海軍21万+南京軍10万)で市民(兵士をすり替え)30万人以上が虐殺されたという「戦争とは?」を出版したテンパーリ英国マンチェスターガーディアン特派員は国民党中央宣伝部顧問であった。
北村稔氏によれば国民党宣伝部は英雄的戦士の事例と「凶悪な敵の暴行」を迂回宣伝した。第3者の国際友人に代弁してもらう曲線宣伝で成功したという。1943年国民党職員録対敵宣伝委員会筆頭に曽虚白、その自伝3巻によれば第3者とはテンパーリであった。1941年版極機密印の国民党工作概要は「本処が編集した『戦争とは?』テンパーリ名で海外各地で広く売れ、日本語にも翻訳した、敵の参謀総長もこれを認め、訓戒しようとした、、、」と。
『戦争とは?』本文第6章には「長江デルタ地帯における日中両軍の戦闘の結果、少なくとも30万の中国市民が生命を失った」と、戦闘の結果=戦死、虐殺ではないことを認識していたのである。ベイツはテンパーリに13年3月3日と21日の2階に渡って「上海など広い範囲に」との勧めに「第7章でわかると思いますが、確実な証拠は見つかりませんでした」と返信している。
ベイツは匿名の英語版『戦争とは?』だけで4万人虐殺を主張し、同時出版の中文には載せていない。先の内部極秘文は強姦、放火、略奪の敵軍と言っても宣伝の殺人、虐殺は否定していた、無かったのである。当時の毛沢東が延安で「持久戦について」講演したときも、蒋介石が「日本国民に告ぐる書」を公表したときも南京虐殺は無く、英米向け、チャイナ式宣伝であった。
4万の数字は日本軍が市内死体処理を墓地所有の紅卍会に有償で依頼しての支払い数で、戦死体、退却兵を督戦隊が射殺して山になった分、退却兵が住民を略奪強盗殺人も含まれている。なお、紅卍会は国際委員会からも世帯処理費せしめている。
心は即ち理なり。天下また心外の事、心外の理あらんや。
この心に私欲の弊無ければ即ちこれ天理なり。
心即理なり。学とはこの心を学ぶなり。
それ万事万物の理はわが心外ならず。
何おか心と謂う、身の霊明主宰の謂なり。
心即性、性は即ち理なり。 心や、性や、天や一なり。
心即道なり。道は即ち天なり、心を知れば則ち道を知り、天を知る。
心を尽くして性を知り、天を知るは生知安行にして、聖人のことなり。
心を存し、性を養い、天につかえるとは学知利行にして賢人のことなり。
心は体なし。天地万物の感応の是非を待って体となす。
心正しき時は則ち中なり。 心はなお鏡のごときなり。
陽明35歳のとき、宦官劉瑾の汚職専横を皇帝に訴えた二人が逆に殺される事件に連座して、ムチ刑をうけ、竜場の洞窟牢に押し込められた。
今までは四書五経の儒教経書を読んで、身に着け聖賢、聖人になるたてまえであったが、経書なき牢中での自省のなかで(道)理が経書のなかでなくわが心のなかにある『心即理』を自覚し、いわゆる陽明学が芽を出したのである。
朱子学が物事の道理を厳格に言い立てたので道学または理学と言われたのに対し、陽明学はすべて心に発するとしたので心学と呼ばれたが、石門心学が起こり、明治以降はもっぱら陽明学の名で呼ばれるようになった。
◇織田信長の旗印は明の永楽銭であるが、明は紙幣を使い、銅銭は使わなかった、室町時代の日本は大産銅国であったが貨幣を鋳造せずに、もっぱら輸入に頼った。室町幕府の遣明船の重用品は永楽銭であった。明の鋳造能力から見て新銭の全量を日本が買っていた?
足利義満が最初の遣明船をだした1401応永8年、五山僧の仲方中正は能書家だったので永楽帝の命で「永楽通宝」とかいたと横川景三が記録している、これまで禅僧のホラと思われていたが、中正の写経文字の鑑定から同一と認定された、という。
◇2月のチャイナ東北地方・大連、旅順旅行は寒いが代金が安いのがとりえ。
チャイナでは例外的に街がきれいで、住んでいる人も瓜実顔(他地方ではお目にかかれない)で、背の高い満州人が多い。
この心に私欲の弊無ければ即ちこれ天理なり。
心即理なり。学とはこの心を学ぶなり。
それ万事万物の理はわが心外ならず。
何おか心と謂う、身の霊明主宰の謂なり。
心即性、性は即ち理なり。 心や、性や、天や一なり。
心即道なり。道は即ち天なり、心を知れば則ち道を知り、天を知る。
心を尽くして性を知り、天を知るは生知安行にして、聖人のことなり。
心を存し、性を養い、天につかえるとは学知利行にして賢人のことなり。
心は体なし。天地万物の感応の是非を待って体となす。
心正しき時は則ち中なり。 心はなお鏡のごときなり。
陽明35歳のとき、宦官劉瑾の汚職専横を皇帝に訴えた二人が逆に殺される事件に連座して、ムチ刑をうけ、竜場の洞窟牢に押し込められた。
今までは四書五経の儒教経書を読んで、身に着け聖賢、聖人になるたてまえであったが、経書なき牢中での自省のなかで(道)理が経書のなかでなくわが心のなかにある『心即理』を自覚し、いわゆる陽明学が芽を出したのである。
朱子学が物事の道理を厳格に言い立てたので道学または理学と言われたのに対し、陽明学はすべて心に発するとしたので心学と呼ばれたが、石門心学が起こり、明治以降はもっぱら陽明学の名で呼ばれるようになった。
◇織田信長の旗印は明の永楽銭であるが、明は紙幣を使い、銅銭は使わなかった、室町時代の日本は大産銅国であったが貨幣を鋳造せずに、もっぱら輸入に頼った。室町幕府の遣明船の重用品は永楽銭であった。明の鋳造能力から見て新銭の全量を日本が買っていた?
足利義満が最初の遣明船をだした1401応永8年、五山僧の仲方中正は能書家だったので永楽帝の命で「永楽通宝」とかいたと横川景三が記録している、これまで禅僧のホラと思われていたが、中正の写経文字の鑑定から同一と認定された、という。
◇2月のチャイナ東北地方・大連、旅順旅行は寒いが代金が安いのがとりえ。
チャイナでは例外的に街がきれいで、住んでいる人も瓜実顔(他地方ではお目にかかれない)で、背の高い満州人が多い。
1506年、五山の禅僧・了庵桂悟が足利義澄の命で明に渡り、王陽明にあう。
1513、了庵の帰国に王陽明、送詩をおくる。
1514、了庵、南禅寺に入寂、90。
1528年11月、王陽明、江西省南康県に病没、57。
1640、中江藤樹、王龍渓語録を得て、陽明学に。
1641、熊沢蕃山が藤樹に会う。
1644、藤樹、陽明全書を講及。
1645、蕃山、池田光政に仕え、藩政を施行。
1667、蕃山、吉野山にかくれる。
1669、蕃山、明石の松平信之に招聘される。
1687年8月、幕府に国事を奏し、禁固される。
1691年8月、蕃山、禁固中の古河で病没、73。
1791、林子平、海国兵談を著し、禁固。
1805、佐藤一斎、林大学頭の塾頭となり、門生を育成。
1811、大塩平八郎18歳で与力、海賊30余名を捕らえる。
1833、大塩「洗心洞さっき」著。
1837年3月、大塩平八郎の乱に死、46。
1843、三島中州、山田方谷に従学。
王道とは儒教の政治論で、武力、金力、多数党派による「覇道」が行き詰まる一方で、平天下する世界政府が待望されている現代に、万世一系の王(皇)を共立することである。国連に「大一統」の王が必要!
断食
◇私が断食を始めたのは39歳の時である。勉強会であった女性から「これから3週間の断食をするけど、始めの1週間付合いませんか」というわけである。
「健康のために」と言っても、私は病人ではないし、昼食時間を2時間余り過ぎている時計の針を見て、ガタッと力が抜ける体験をしたばかりだったので、一週間も飯を食わないなんて、とんでもない話と思い、即座に断った。
が、東海大地震の可能性が切迫していると学者がのを考え、そのイザという時になって「食うモノが無い」などと絶望するよりも、いま体験しておいて、その時は「一週間は食わない」と決めておいた方がラクではないかと考え直した。
日常の社会生活をしながらの西式断食で、本番前一週間は食事量を7等分に減食し、本断食七日間が終わったら重湯から始め、一週間で復食する方法である。
一旦決心、決行すれば減食断食三日目までは何も起きないが、4、5日目になると動作が遅くなり、時には苦しくなる。
初断食では通勤が辛かった。西船橋の自宅から東京・竹橋の毎日新聞社に地下鉄東西線で通っていたが、満員の人息で気分が悪くなり、二つの途中駅のベンチでやすんで、ようやく家にたどり着いた。
六日目になると気分爽快で、さらに何日でもできそうな気がする。
その間、深夜2時まで働いて少し仮眠、朝6時から勤務についても何ら支障は無かった。ビックリしたのは口から入れなくても出る方は3日目から色が変わったものの、毎日出たことである。
快調と思っていたが1か月もたつと前よりも太り始めた。一週間で戻すのは食事内容であって、同量を食べれば腸がきれいになって、吸収がよくなり、太る結果になった。
断食の失敗は断食でしか直しえないというので3か月で再び断食。2度目の断食で不思議な体験をした。人は無数の音の中から必要を脳に入れるわけであるが、それが強くなる。通常では聞き取れない音声を聞き得たり、時には明らかな幻聴もあった。
「佐藤一斎の言志四録を読め」というのである。 書棚を探しても見つからないので変なご託宣だなと思っていると「人間学・言志録(付)西郷南州手抄言志録」をおくって下さる方がいて、分かった。持っていた「南州遺訓」のなかに言志録抄がのっていたのである。
言志四録から「伝習録」を読み、得心するところがあったので、自分だけでなく、興味を持ちそうな人に声をかけて集まり、航空会館三月会として続いている。
断食後の食事では、1日3回の食事を少しずつ減らすのは面倒なので、以後いまにいたるまで昼食抜きで63キロの適正体重をたもっている。平成18年8月から朝食をやめて、昼食を食べる1日2食方式にかえた。
食事の内容も焼肉大好きだったのが魚野菜は担った。食品の可否は断食中にデパートの食品売り場を通ったときに判断した基準に従っている。
断食
◇私が断食を始めたのは39歳の時である。勉強会であった女性から「これから3週間の断食をするけど、始めの1週間付合いませんか」というわけである。
「健康のために」と言っても、私は病人ではないし、昼食時間を2時間余り過ぎている時計の針を見て、ガタッと力が抜ける体験をしたばかりだったので、一週間も飯を食わないなんて、とんでもない話と思い、即座に断った。
が、東海大地震の可能性が切迫していると学者がのを考え、そのイザという時になって「食うモノが無い」などと絶望するよりも、いま体験しておいて、その時は「一週間は食わない」と決めておいた方がラクではないかと考え直した。
日常の社会生活をしながらの西式断食で、本番前一週間は食事量を7等分に減食し、本断食七日間が終わったら重湯から始め、一週間で復食する方法である。
一旦決心、決行すれば減食断食三日目までは何も起きないが、4、5日目になると動作が遅くなり、時には苦しくなる。
初断食では通勤が辛かった。西船橋の自宅から東京・竹橋の毎日新聞社に地下鉄東西線で通っていたが、満員の人息で気分が悪くなり、二つの途中駅のベンチでやすんで、ようやく家にたどり着いた。
六日目になると気分爽快で、さらに何日でもできそうな気がする。
その間、深夜2時まで働いて少し仮眠、朝6時から勤務についても何ら支障は無かった。ビックリしたのは口から入れなくても出る方は3日目から色が変わったものの、毎日出たことである。
快調と思っていたが1か月もたつと前よりも太り始めた。一週間で戻すのは食事内容であって、同量を食べれば腸がきれいになって、吸収がよくなり、太る結果になった。
断食の失敗は断食でしか直しえないというので3か月で再び断食。2度目の断食で不思議な体験をした。人は無数の音の中から必要を脳に入れるわけであるが、それが強くなる。通常では聞き取れない音声を聞き得たり、時には明らかな幻聴もあった。
「佐藤一斎の言志四録を読め」というのである。 書棚を探しても見つからないので変なご託宣だなと思っていると「人間学・言志録(付)西郷南州手抄言志録」をおくって下さる方がいて、分かった。持っていた「南州遺訓」のなかに言志録抄がのっていたのである。
言志四録から「伝習録」を読み、得心するところがあったので、自分だけでなく、興味を持ちそうな人に声をかけて集まり、航空会館三月会として続いている。
断食後の食事では、1日3回の食事を少しずつ減らすのは面倒なので、以後いまにいたるまで昼食抜きで63キロの適正体重をたもっている。平成18年8月から朝食をやめて、昼食を食べる1日2食方式にかえた。
食事の内容も焼肉大好きだったのが魚野菜は担った。食品の可否は断食中にデパートの食品売り場を通ったときに判断した基準に従っている。
客少なく、ただ100度の蒸気を噴出す熱川温泉はもったいない!客が少ないのは、薬効があまり感じられない単純泉だからかな?
100度を水で薄めて垂れ流しはもったいない、適温になるまでの高温を利用して発電すべきだ!
◇2009年8月28日、丸の内朝飯会ゆの会は源泉100度の熱川温泉・岡本ホテル泊まり。朝飯会のあと、そのまま鍛冶橋駐車場から9時発の送迎バスでホテル着。昨日の夕食は部屋食、朝はバイキング。
写真は1泊2食8800円の赤い垂れ幕をかけた岡本ホテル。
共青団幹部と私の会話。
中国はどうなりますか「滅びるね」
いつ「あすかも知れないし、百年後かも知れない、チャイナの統治技術は、昔から世界一だからね!」。
共産党の独裁も鉄壁にも見えたが、モンゴル東欧ロシアで呆気なく滅びたのを見ればチャイナのみ例外ということはない(ルーマニアでは1人の叫びで沈黙!体制が崩壊した)であろう。
その前の清滅亡は一旅団の兵士が旅団長を監禁して反乱を起こすと、各軍司令官が降伏電報を送って、清消滅。
満州族は渤海の影を海の名にに残して、地名と共に滅びてしまった。歴史の中でモンゴルだけが例外だった。
中国はどうなりますか「滅びるね」
いつ「あすかも知れないし、百年後かも知れない、チャイナの統治技術は、昔から世界一だからね!」。
共産党の独裁も鉄壁にも見えたが、モンゴル東欧ロシアで呆気なく滅びたのを見ればチャイナのみ例外ということはない(ルーマニアでは1人の叫びで沈黙!体制が崩壊した)であろう。
その前の清滅亡は一旅団の兵士が旅団長を監禁して反乱を起こすと、各軍司令官が降伏電報を送って、清消滅。
満州族は渤海の影を海の名にに残して、地名と共に滅びてしまった。歴史の中でモンゴルだけが例外だった。
たまたま1980(昭和55)年の手帳を開いたら、記者は熟むな、飽きるな『神経体であれ」などの心得と共に
辞書は別の言葉に「置き換え」では役目を果たしていない。殆どがその事物の説明になっていない。
もっと図版表示とマンガなどを活用すべし、と。
医学の進歩により100歳まで生きるのは、時間の問題です。ボケ予防十か条と
「頭と体、心」をどう使うかアンチエイジング
塩分と動物性脂肪を控えたバランスのよい雑穀小魚食事
適度に運動し足腰を丈夫にする
深酒とタバコやめて規則正しい10分没頭夢中生活
生活習慣病の予防は早期発見・治療
転倒にきをつける。頭打撲はボケ招く
好奇心と他人に興味を持つ
考えをまとめて書き、語り表現する
細やかな気配りしたよい人付き合い
いつも若々しく「おしゃれ心」を忘れずに
くよくよしないで明るい気分で生活
◇抗加齢アンチエイジング
長生きこそ最大の誇り
いくつになっても男と女
肌の若返りは心の若返り
バランスのよい色濃い野菜 食事を30回よく噛んで食べる
1笑1冒険1探求1若よく笑い、よく話し、まとめて長寿遺伝子をオンにする こんな人はボケません。
適度に運動し足腰を丈夫にする
深酒とタバコやめて規則正しい10分没頭夢中生活
生活習慣病の予防は早期発見・治療
転倒にきをつける。頭打撲はボケ招く
好奇心と他人に興味を持つ
考えをまとめて書き、語り表現する
細やかな気配りしたよい人付き合い
いつも若々しく「おしゃれ心」を忘れずに
くよくよしないで明るい気分で生活
◇抗加齢アンチエイジング
長生きこそ最大の誇り
いくつになっても男と女
肌の若返りは心の若返り
バランスのよい色濃い野菜 食事を30回よく噛んで食べる
1笑1冒険1探求1若よく笑い、よく話し、まとめて長寿遺伝子をオンにする こんな人はボケません。