「どこまでも続く道」 小野道さんの冊子より
どこまでも どこまでも
終わり無く続く一本の道が
あるとすればそれは
法性の大地に伸びる自身の道
見えなくとも感じられなくても
その道の上に自分がいることを
信じることから全てが始まる
いつまでも いつまでも
心配事や苦しい事の無い人生
あるわけがないことを
人間の性が分かりたくないだけ
悲しくても辛くても涙が枯れても
この道を歩く目的を考えないから
信じるものを間違ってしまう
あのひとも このひとも
誰もかれもが一所懸命に生きている
何かを求めて迷子になって
進む道が見えなくなったことさえ
気付かないから諦めてる事も判らない
実は自身法性の大地を転めぐり続けて
生死の道をずっと歩いている
どこまでも どこまでも
終わり無く続く一本の道が
あるとすればそれは
法性の大地に伸びる自身の道
見えなくとも感じられなくても
その道の上に自分がいることを
信じることから全てが始まる
いつまでも いつまでも
心配事や苦しい事の無い人生
あるわけがないことを
人間の性が分かりたくないだけ
悲しくても辛くても涙が枯れても
この道を歩く目的を考えないから
信じるものを間違ってしまう
あのひとも このひとも
誰もかれもが一所懸命に生きている
何かを求めて迷子になって
進む道が見えなくなったことさえ
気付かないから諦めてる事も判らない
実は自身法性の大地を転めぐり続けて
生死の道をずっと歩いている
【哲】0的確定論
『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する, 端的に言えば, 思考そのものの形は現象に含まれ, 視覚的現象等と共に常に変化する。』
【0特性】が真理であるならば, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が【0∞1】, 有限の無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類事的な確定であること, である。
零的確定論では一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を考え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。
引用
「私は信仰に対して真理に反するとし、厳しく取締まっていますが、(良かれと思って)信じることに対しては大社会に大きく反らないという条件のもと大幅な自由を認めています。
コメント
*信仰には様々あります。あなたの言う信仰の定義をまずお聞きしたい。
信仰には、哲学もあります。如何に?
『取締る』は、なんたる傲慢!『良かれと思って』がさらに傲慢さを強調!ビックリ*
引用
従って、宗教に属しているという理由から疎外されることも論破の対象となることもありません。
コメント
*宗教と信仰の違いを論じて下さい。また、哲学と科学、宗教と哲学、科学と宗教についても論じて下さい。
でないとあなたの理論は根底から覆ります。*
引用
疎外や論破(思想の粉砕)の対象となるのは信じれば“絶対的な幸福(結果)”を得ると説くナルシズムです。但し科学については、信仰を破壊することが人類の知的蓄積を阻害する要因となりかねないので、この限りではありません。科学者は思う存分、唯物論を信仰すべきなのです。」
コメント
*唯物論や唯識論については、定義、是否、論争についての文献は、山ほど在ります。今更、唯物論を持ち出すとは笑止千万。
唯物論、唯識論の議論は、既に終了してますよ。
科学とは、仮説を前提にそれを実験(理論)によって
検証し結論を出す、というのは、一般的な概念ですが
逆に現代の最先端の科学者は、それを否定し始め、哲学にその検証を探しているのが現状(それも東洋哲学)。あなたの頭はかなりお堅いようですね。フリーズですか?過去の遺物的存在ですね。*
引用
【哲】0的確定論
以下、省略(意味ないので)
コメント
*0の概念は古くインド哲学から始まる事は当然、ご存知と思いますが、0は、哲学的思考です。
あなたは、数学を哲学しているように見受けられますが、数学も元は哲学の分派、一見科学のようですが。
科学もまたギリシャ、古代インドなどでも哲学の部類ですよ。
『良かれと思い』こそナルシストの最たる表現。
さらに、0の概念を小難しくひけらかす行動自体がナルシストそのものです。
お気づきになりませんか?
知識は多い程良いとは思いますが、にわか知識で知恵に転換されてない事には、可哀想な感情も起こります。残念です。
兎に角、あなたの文章からは、人間的なものを一切感じないのは、果たして私だけでしょうか?
かといって、このブログを全肯定しているわけではありませんので悪しからず。
で検索すると色んなブログにいっぱい同じ文章が。
受売りなんですね。ご自分の論説ではないようです。
やはり、この方唯のご自慢したいだけのようです。
悪しからず。
やはり貴方は、ニセモノ。