異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

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<コスタリカ報告③> ”子どもが一人でもいれば学校を建てる、小学生でも落第する” (伊藤 千尋)

2017-02-10 12:08:25 | 立憲主義 民主主義

伊藤 千尋さんFBより

コスタリカ報告、小学生でも落第する

 訪問4日目のテーマは教育です。私たちが滞在していたホテルに、日本の文部科学省に当たる公教育省から5人が説明に来てくれました。午前中に2時間、コスタリカの教育システムをうかがいました。対外担当のクリスティーさんを代表に、小学校や中学校の顧問、中学校の数学教師の方々です。

 コスタリカには4053の小学校があり、生徒数は40万1786人で先生の数は3万2368人います。農村部には先生が一人だけの学校もあり、それが1261校つまり小学校全体の31%を占めるというのですから、どんな僻遠の地にも、子どもがいれば通える学校を作ろうという意思を感じます。
 先住民の地区では先住民の言語や文化の授業もあります。中南米の多くの国では農村部や先住民の地区の教育はほとんど放っておかれていますが、コスタリカでは子どもが一人でもいれば学校を建てるという姿勢です。

画像に含まれている可能性があるもの:2人、座ってる(複数の人)、室内 

 小学校の前にプレ・スクールという就学前の教育が1~2年あります。これを含めて中学校までが義務教育です。無償だし、給食も無償です。ただ小学校でも落第があります。6%が落第するそうです。これを聞いた訪問団の皆さんから驚きの声が上がりました。

 「なぜ落第があるのですか?」と質問したら、「日本では生徒全員が授業を完璧に理解するのですか?」と逆に聞かれました。授業がわかってなくても出席したら進級させる日本と、落第させてでも生徒にとことん理解させようとするコスタリカの違いですね。小学校卒業時にだれもが求められるレベルまで理解しているよう、がんばって追いつかせるのだそうです。

 4年前から進めているのが創造性と革新をキーワードに子ども自身が自分の人生を設計するプログラムです。生徒が幸せで満たされること、同級生と道徳的な価値観を共有し共存、信頼関係を築くこと、自然との間で持続可能な発展ができること、だれかの言葉をうのみにするのではなく批判的に考えて自分自身の考え方を抱くようになること、だそうです。

 そのさいのコンセプトとして民主主義、人権、平和の三つを挙げました。民主主義では地域や国家の活動への参加、政治の透明性、国や地域独自の民主制度の尊重をうたい、人権では生徒の権利の保障、規範に従った人権の保護、家庭での権利と義務に基づく実践を、平和ではこの国に根を下ろした民主主義の価値としての自分と他人の自由、より調和のとれた関係を築くことに責任を負うこと、などを掲げています。すべてのカリキュラムにこれが含まれ、実践を通してこうした価値観を獲得してもらおうというのです。

 このあと移民の子の教育について言及されました。コスタリカ憲法19条は「外国人も教育、健康ではコスタリカ国民と同じ権利を持つ」と、憲法33条は「人間は国籍や人種、宗教にかかわらず誰しも平等である」と規定しています。したがってコスタリカにいる外国籍の子どもたちもコスタリカの子と同じように無償で教育を受けられるのです。しかも子どもたちが育った国の文化を尊重します。たとえば隣国のニカラグアからの移民が多い地区ではニカラグアの文化を授業で教えます。
 ちなみに、この国の移民政策には驚かされます。コスタリカの人口はつい最近まで400万人でしたが、今は500万人を超えました。つまり100万人規模で移民を受け入れたのです。このあたり、たった一人の移民の受け入れにもためらう日本政府や難民で右傾化する欧州、さらにはメキシコとの間に壁を築こうとするトランプ大統領と発想が雲泥の差ですね。

 とはいえ、コスタリカの教育が万事うまくいっているのではありません。なにせ経済的には貧しい農業国です。学校を建てる建設費が不足しており、午前と午後で生徒が別々に校舎を利用する二部制や三部制さえもあります。教科書をすべての生徒に配ることもできません。ニカラグアからの移民の子の中には学校に行ったことがない子もいます。
 そのような中で先生たちはどのように工面しているのか、このあと貧しい地区の現場の先生を訪ね、その活動に感激しました(続く)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

H・Iさん
 「なぜ落第があるのですか?」と質問したら、「日本では生徒全員が授業を完璧に理解するのですか?」と逆に聞かれました。

 授業がわかってなくても出席したら進級させる日本と、落第させてでも生徒にとことん理解させようとする、これが国際的な教育の権利保障。日本では、落第すなわち悪い、誰が、となって等しく教育を、の憲法が生かされていないと思います。コスタリカの教育のほうが常識。

 

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【動画あり】憲法をなんだと思っているのか! 稲田防衛相が「戦闘行為あったが憲法違反になるから衝突と言い換え」とトンデモ答弁 〔リテラ 2017.2.9〕

2017-02-09 20:50:06 | 立憲主義 民主主義

稲田防衛相「隠蔽には当たらない。
武力衝突であり、戦闘行為でない」ジュバで戦闘を明記の南スーダンの日報【全】2/8衆院・予算委員会


 

http://lite-ra.com/2017/02/post-2905.htmlより転載

憲法をなんだと思っているのか! 稲田防衛相が「戦闘行為あったが憲法違反になるから衝突と言い換え」とトンデモ答弁

2017.02.09
inadatomomi_151014.jpg
稲田朋美HPより


 国民を愚弄するのもいい加減にしろ。そう言わずにいられない発言が、本日、稲田朋美防衛相の口から飛び出した。

 昨日8日の衆院予算委員会で、これまで防衛省が情報開示請求に対して「破棄した」としてきた南スーダンPKO派遣部隊の日報が、じつは保管されていた問題を追及された稲田防衛相。稲田防衛相は昨年10月の衆院予算委において、同年7月に南スーダンの首都ジュバで起こった大規模な戦闘について、「7月には『衝突事案』もありました」などと法律上の定義のある「戦闘行為」ではなく「衝突」だと繰り返し答弁。安倍首相も「『戦闘行為』という定義があるものについては、それにはあたらない」と稲田防衛相と同じ説明をおこなっていた。

 しかし、今回、明らかになった昨年7月11・12日の日報では、ジュバ市内で政府軍と反政府軍とに〈戦闘が生起した〉〈両勢力による戦闘が確認されている〉とし、〈市内での突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要〉と記載されており、「衝突」などではなく「戦闘」と明記されていた。同じように同月12日のモーニングレポートでは〈ジュバでの衝突激化に伴うUN(国連)活動の停止〉と、PKO活動の停止の可能性にまで踏み込んでいたのだ。

 このことによって、現場のPKO部隊が「戦闘」だと認めている事案を、稲田防衛相は「衝突」と言い換えて国民を欺いてきたという事実が明らかになったわけだが、稲田防衛相は壊れたテープレコーダーのように「法的な意味での戦闘行為ではない」と繰り返し答弁。さらに、こんなことを言い出したのだ。

「なぜ、法的な意味における戦闘行為があったかどうかにこだわるかと言いますと、これは『国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為』が仮におこなわれていたとすれば、それは憲法9条上の問題になりますよね? そうではない、だから戦闘行為ではないということになぜ意味があるかと言うと、憲法9条の問題にかかわるかどうかということでございます。その意味において、戦闘行為ではないということでございます」

 そう。稲田防衛相は「南スーダンでは殺傷行為はあったけど、憲法9条に引っかかるから“戦闘行為”ではなく“衝突”と言ってきた」と主張しはじめたのである。

 もう、無茶苦茶すぎて言葉を失ってしまう。「戦闘行為」と言うと憲法違反になるから「衝突」と言った、などという詭弁が通用するなら、どんな法律違反も言葉を言い換えれば罪を問われなくなる。稲田防衛相は弁護士出身だが、とても法を扱ってきた人物の答弁とは思えない。

 しかも、稲田防衛相は「(日報では)一般的な辞書的な意味で戦闘という言葉を使ったと推測している」と言いながら、「武器を使って人を殺傷したり、物を壊したりする行為はあった」と認めているのだ。

「武器を使って人を殺傷したり、物を壊したりする行為はあった」のなら、それは辞書的な意味云々ではなく、日本政府が「戦闘行為」と定義する《国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為》そのものだ。さらに、PKO参加5原則では〈紛争当事者間の停戦合意が成立〉していることが参加条件となっているが、停戦合意が崩壊していることは日報の文面からも明々白々である。

 つまり、新任務である「駆けつけ警護」を運用するために、戦闘状態であるという事実を覆い隠し、憲法上問題があることを認識しながら、稲田防衛相や安倍首相は「衝突」などと虚偽の説明を国民におこなってきたと「認めた」のである。明らかに違憲である安保法制を強行するなど安倍政権の憲法軽視はいまに始まったことではないとはいえ、ここまで堂々と開き直れるとは。

 今回の稲田防衛相の答弁は、まさしく辞職ものの大問題発言であり、南スーダンへの派遣を即刻見直すべきだが、それにしても問題なのは、こんな道理の通らない話を大臣が堂々と国会で言ってのけてしまう状況だ。

 今月6日には、法務省がマスコミに向けて、「共謀罪」の国会質疑について「法案を国会提出後に法務委員会で議論すべきだ」とする文書を配布。これは金田勝年法相が指示して作成したもので、批判が集まり金田法相は撤回したが、これは国会への圧力だけではなく、マスコミの言論を封殺しようとする蛮行だ。

 金田法相といい、稲田防衛相といい、安倍政権のやりたい放題ぶりはますます拍車がかかって凄まじいものとなっている。言葉を言い換えることで憲法違反を繰り返し、マスコミに圧力をかけ、国会での議論を抑え込もうとする。──こんな恐ろしい状況を、当たり前にしてしまってはいけない。
編集部

 
 
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憲法9条無視の答弁をした稲田防衛相は辞任せよ!
南スーダンの自衛隊を即時撤退させよ!2.14国会前緊急行動

 日時:2月14日(火)12時~13時
場所:衆議院第二議員会館前
主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
 
 
 
 
 
 

立憲主義を愚弄する稲田朋美防衛大臣は、即刻、辞任すべきである! 〔菅野完 ハーバー・ビジネス・オンライン 2017.2.9〕

2017-02-09 20:05:25 | 立憲主義 民主主義

Harbour Businness Onlinehttps://hbol.jp/129030より転載

立憲主義を愚弄する稲田朋美防衛大臣は、即刻、辞任すべきである!

衆議院インターネット審議中継より

 
 
 ジャーナリストの布施祐仁さんのスクープを端緒に、「南スーダン派遣部隊の日報隠蔽問題」は、ようやく国会でも活発な議論が展開するようになった。(参照:神奈川新聞

 日報隠しの問題や、新たに「見つかった」日報の内容について質問に立った民進党・小山展弘の質問に対し、稲田朋美防衛大臣は、8日、衆院予算委員会で、

事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている

 と、答弁した。

 繰り返すが、答弁の内容は

事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている

 である。

 つまり稲田朋美防衛大臣は、「憲法9条の内容に抵触する事象は発生しているが、その事象をその事象として表現すると、憲法9条に違反する可能性があるから、そうとは言わず、別の言葉を使っている」と言っているわけだ。

 さらに端的に言えば、「現状と憲法が齟齬を来しているので、現状についてはなかったことにし、憲法の枠内に収まる表現にしておいた」と言っているのである。いや、もっと端的に言えば、「はいそうです。嘘をついてるんです」と開き直っているに等しい。「ふざけるな!」と言うしかなかろう。
 

言葉だけでのごまかし


 こうした国会での発言を批判的に検証するとき、必ずと言っていいほど寄せられるのが「マスコミは政治家の発言を切り貼りして批判する」という意見だが、今回ばかりはその言い訳は通用しない。

 神奈川新聞が公開した当該答弁の全文書き起こし稲田防衛相「憲法9条上問題になるから『戦闘行為』ではない」南スーダン「日報」破棄問題)を見てみれば明らかのように、稲田朋美は、明確に、「『戦闘行為』ではない、ということになぜ意味があるかと言えば、憲法9条上の問題に関わるかどうか、ということです。」と言い切っている。

 さらに問題なのは、この質疑応答の一連の流れで、稲田が「国際的な武力紛争の一環」「国及び国に準ずる組織同士の武力衝突」を「戦闘行為かどうかの基準」であるという、従来の政府見解を踏襲しているにもかかわらず、「憲法9条上の問題に関わるかどうか」なるポイントをことさらに強調してしまっている点だ。

 一見、稲田の答弁と、従来の政府見解に齟齬はないように見える。が、従来の政府見解は、「国際的な武力紛争の一環でないのだから、当然、憲法9条の対象ではない」と言うものであって、決して(実運用はどうであれ)「憲法9条に抵触しないように、事態を表現する」ではない。つまり、従来の政府見解は「憲法を遵守することは政府の行為として当然であって、当然のことながら憲法9条に違反するようなことはしていない」と言う大前提に立つものであった。
 実態や実運用がどうであれ、立憲主義の元、国策を遂行する行政としては当然の認識だろう。だが、稲田の答弁は違う。稲田のレトリックは、どこをどう読んでも「実態はどうであれ、憲法に違反していないと言い張るために、言葉を選んだ」でしかない。

 確かに、政府従来見解も稲田答弁のロジックも「あくまで憲法の範囲内」を取り繕おうとする点で同じではある。が、稲田答弁の奇怪さは、「現実は政府の都合によっていかようにも『憲法の範囲内である』と規定できてしまう」と開き直っている点だ。これでは立憲主義を根本から否定しているに等しい。
 

ごまかしを弄する人間が望む新憲法


 滑稽なのは、この稲田が、生粋の改憲論者だと言うことだ。

 所謂「百人斬り訴訟」で法曹史上に残る大惨敗を喫した成績の悪い右翼弁護士時代から、防衛大臣となった今現在に至るまで、彼女は、「憲法改正」の旗をおろしたことがない。「中国の膨張主義などのリアリティーを直視した時、憲法9条は現実にそぐわないから、即刻、改正すべきである」と言う立場にずっと立ち続けてきた。しかし今、彼女は、「現実はいかようにも言い繕うことができ、憲法の枠内だと言い張れる」と開き直っている。だとするならば、「現実にそぐわない憲法を時代のリアリズムに合わせて変える」など、必要ないではないか。

 さらに言えば、「現実はいかようにも言い繕うことができ、憲法の枠内だと言い張れる」などと言うロジックを平気で開陳できるような人間が新しく書き直す憲法が、仮令どんな内容のものであれ、もはやそれは憲法ですらないと言うしかないではないか。「政府の都合で現実はいかようにも言い繕える」などと嘯く輩が書く憲法に、「政府の権力を縛り、規制する」と言う憲法の基本機能を有するはずなどない。

 このように、稲田の答弁は、立憲主義の観点から、一切許容すべきものではないことが明らかだ。

 ジャーナリストの布施祐仁さんによる情報公開請求で明らかになった、「南スーダン派遣部隊の日報隠蔽問題」は、ここにきて「基礎的な一次情報である日報の隠蔽」という問題から、「いかに、現政権が、憲法秩序をないがしろにする政権であるか」という極めて深刻な問題を浮き彫りにした。

 これ以上、稲田を公職につけておいてはいけない。このままだと、立憲主義が、いや、日本の近代そのものが、危うい。

参照:「南スーダンに関する布施祐仁さん(PKO日報問題)と三浦英之さん(南スーダン隣国ウガンダからの現地報告)のリポートまとめ」

<文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>

※菅野完氏の連載、「草の根保守の蠢動」が待望の書籍化。連載時原稿に加筆し、『日本会議の研究』として扶桑社新書より発売中。また、週刊SPA!にて巻頭コラム「なんでこんなにアホなのか?」好評連載中
 
 
 
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