道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。 ~『孟子』離婁上 十一
中国戦国時代の儒家、孟軻(孟子)の名言です。
出典は四書の一、『孟子』の離婁上 十一より。
以下、原文、読み下し文、解釈をご紹介しましょう。
【原文】
道在爾而求諸遠
事在易而求諸難
人人親其親
長其長而天下平
【読み下し文】
道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。
事は易きにあり、しかるにこれを難きに求む。
めいめいその親を親とし、
その長を長として、しかるに天下平らかなり
【解釈】
人の道、正しい道は、実はすぐ近くにある。
しかし人は、高遠な理想を追って遠くを見がちだ。
物事のあり方も本体はいたってシンプルなもの。
なのに、もってまわってより複雑に考えたがるのである。
ただ祖先を敬い、年長者を大切にすれば人の道は平らかになる。
人はとかく、遠く高みにあるものに憧れ、ありがたがるものです。
また、頭脳明晰な人ほど選択肢が多いので、物事を分析しすぎ、
かえって複雑にしてしまいがちです。
大切なのは、自分の近くにあることに、今一所懸命に取り組むこと。
より早く、より遠くに行こうと、はるか彼方を見て走ると
足元の小さな石につまずきます。
看脚下 ―
人生が急に闇に包まれてしまった時、「まず足元を見よ」と禅の公案が教えてくれます。
(『碧巌録』 圜悟克勤)
若い時にはなかなか気づきませんが、自分の為すべきこと、すなわち道は、年を取れば、意識し始める前に「なんだ。もうすでに歩いていた」と悟るはず。
「道」とは何か。
孟子の趣旨から少し離れますが、例えばこの句の「道」を「幸せ」に置き換えてみましょうか。
幸せは近きにあり、しかるにこれを遠きに求む ―
理想のパートナーを求めて。あるいは、誰も成し遂げられなかった偉大な目標に向け、若者は情熱を傾けることがある。
それがかなえば死んでも悔いはない、と。
歌人、与謝野晶子は、ひたむきに仏の教えを語る、若き出家に恋をする。
そしてこんな歌を贈りました。
やわ肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君
(『みだれ髪』)
すぐ近くにある幸せに気づきもせず、人の道から仏の道へと渡ってしまった君。
今も君の肌の下に、あつき血汐が脈々と流れているのではないですか ―
いまだ仏道と人道の間で揺れ動く「君」の本心を見透かすように晶子は高らかに歌います。
煩悩を断ち、難行苦行のすえに高僧となり、衆生を済度する仏の道。
近くの人と結ばれ、子を為し、家族睦みあい、平凡ながら実り豊かに過ごす人の道。
いずれも立派な道です。
愚直に己の業に生涯励み、妻を愛し、子を慈しみ、親へ尽くす。
たとえ偉業を達成できなくとも、それが幸せであり、まごうかたなき人の道です。
道には、小さな道や大きな道などありません。
人の前には、ただ一本の道しかないのですから。
中国戦国時代の儒家、孟軻(孟子)の名言です。
出典は四書の一、『孟子』の離婁上 十一より。
以下、原文、読み下し文、解釈をご紹介しましょう。
【原文】
道在爾而求諸遠
事在易而求諸難
人人親其親
長其長而天下平
【読み下し文】
道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。
事は易きにあり、しかるにこれを難きに求む。
めいめいその親を親とし、
その長を長として、しかるに天下平らかなり
【解釈】
人の道、正しい道は、実はすぐ近くにある。
しかし人は、高遠な理想を追って遠くを見がちだ。
物事のあり方も本体はいたってシンプルなもの。
なのに、もってまわってより複雑に考えたがるのである。
ただ祖先を敬い、年長者を大切にすれば人の道は平らかになる。
人はとかく、遠く高みにあるものに憧れ、ありがたがるものです。
また、頭脳明晰な人ほど選択肢が多いので、物事を分析しすぎ、
かえって複雑にしてしまいがちです。
大切なのは、自分の近くにあることに、今一所懸命に取り組むこと。
より早く、より遠くに行こうと、はるか彼方を見て走ると
足元の小さな石につまずきます。
看脚下 ―
人生が急に闇に包まれてしまった時、「まず足元を見よ」と禅の公案が教えてくれます。
(『碧巌録』 圜悟克勤)
若い時にはなかなか気づきませんが、自分の為すべきこと、すなわち道は、年を取れば、意識し始める前に「なんだ。もうすでに歩いていた」と悟るはず。
「道」とは何か。
孟子の趣旨から少し離れますが、例えばこの句の「道」を「幸せ」に置き換えてみましょうか。
幸せは近きにあり、しかるにこれを遠きに求む ―
理想のパートナーを求めて。あるいは、誰も成し遂げられなかった偉大な目標に向け、若者は情熱を傾けることがある。
それがかなえば死んでも悔いはない、と。
歌人、与謝野晶子は、ひたむきに仏の教えを語る、若き出家に恋をする。
そしてこんな歌を贈りました。
やわ肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君
(『みだれ髪』)
すぐ近くにある幸せに気づきもせず、人の道から仏の道へと渡ってしまった君。
今も君の肌の下に、あつき血汐が脈々と流れているのではないですか ―
いまだ仏道と人道の間で揺れ動く「君」の本心を見透かすように晶子は高らかに歌います。
煩悩を断ち、難行苦行のすえに高僧となり、衆生を済度する仏の道。
近くの人と結ばれ、子を為し、家族睦みあい、平凡ながら実り豊かに過ごす人の道。
いずれも立派な道です。
愚直に己の業に生涯励み、妻を愛し、子を慈しみ、親へ尽くす。
たとえ偉業を達成できなくとも、それが幸せであり、まごうかたなき人の道です。
道には、小さな道や大きな道などありません。
人の前には、ただ一本の道しかないのですから。
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