門前の小僧

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【釈迦の名言】 犀の角のようにただ独り歩め

2013-12-30 19:15:13 | 仏教
本年最後の釈迦の名言は、『スッタニパータ』(「ブッダのことば」中村元訳 岩波文庫)冒頭のもっとも高名な「犀の角」より、以下三句をご紹介しましょう。


◆四方のどこでも赴き
害心あることなく
何でも得たもので満足し
諸々の苦痛に堪えて
恐れることなく
犀の角のようにただ独り歩め。

◆音声に驚かない獅子のように
網にとらえられない風のように
水に汚されない蓮のように
犀の角のようにただ独り歩め。

◆今の人々は自分の利益のために
交わりを結びまた他人に奉仕する
今日利益をめざさない友は得がたい
自分の利益のみを知る人間はきたならしい
犀の角のようにただ独り歩め。


人にひきずられることなく、まっすぐ信念をもって歩み続ける尊さが、釈迦の力強い言葉のリズムをもって朗々と謳われる名段落。
今回、三句のみ取り上げましたが、原文では全40数句が、同じ文末「犀の角のようにただ独り歩め」により、とぎれることなく語り続けられます。

内からふつふつと力のわきあがってくる、何と力強い言葉なのでしょうか。一年の疲れを吹き飛ばし、新しい年を迎える勇気ふたたびを与えてくれます。

『ブッダの名言』(言の葉庵)
http://dp20101654.lolipop.jp/img/ブッダの名言(能文社).pdf


NHK Eテレ12/22(日)友枝昭世『清経』放映

2013-12-20 21:07:40 | 能狂言
来る日曜午後、喜多流シテ方人間国宝 友枝昭世師の能『清経』が放映されます。

◆「国宝能舞台で一期一会の舞」
http://p.tl/Vker
チラシ画像
http://nobunsha.jp/img/resize0321.jpg

・NHK Eテレ
・平成25年12月22日(日)
15:00~16:30
能『清経』 シテ 友枝昭世 ワキ 宝生閑 他
仕舞『砧』 片山幽雪

現存最古の能舞台、西本願寺北能舞台(国宝)にて、16年ぶりに演じられる能です。能楽ファンにとってひいきの役者さんは人それぞれでしょうが、今代表的な能楽師を一人あげるとすれば、おそらく多くの人が指名するに違いない、現代の名人友枝昭世。ワキ方の第一人者宝生閑をはじめ、6人の人間国宝が一堂に会する、とても贅沢な今年最後で最高の舞台となりました。

世阿弥作、修羅能の名作『清経』。庵主が記憶する限り、テレビでの放映は平成の代になってからはなかったかもしれません。
世阿弥が平家物語を題材として、新たな能の一分野〔修羅能〕を創作するまで、武人が活躍する戦の能は、さほど面白いものとは考えられていませんでした。

よくすれども、面白きところ稀なり。さのみにはすまじきなり。
(世阿弥『風姿花伝』第二物学條々 修羅)

しかし、源平の名のある武者をシテとし、花鳥風月を飾りとして作能すれば、なにより面白い演目となろう、と世阿弥が筆を自在にふるい、数々の名作修羅能が生れたのです。

修羅能を演じる上で最大の難所は、ともすれば「鬼の振る舞い」となり、また逆に「舞の手」となってしまうこと。このいずれかにかたよってしまうと修羅能として成立しない、と世阿弥はいいます。しかし、作中に〔曲舞がかり〕があれば、多少舞の手が入っても修羅能として面白く演ぜられよう、とも付け加えています。能以前の民間芸能曲舞を観阿弥が能に取り入れ、この部分が〔曲舞がかり〕とよばれるのですが、今日の能の主要部分である〔クセ〕にその面影が残されているのです。

能『清経』では、クセの部分が〔舞グセ〕となっている。シテは地謡にあわせ、立って舞うのです。ここで主役清経の入水シーンが再現され、この能の最大の見どころとなっています。

友枝昭世師の舞に魅せられているファンは多いはず。『清経』のこの難しいクセを「鬼にならぬよう」「舞にならぬよう」、名人ならではの仕立てで存分に演じてくれるのでは、と楽しみでなりません。
師走のあわただしさを忘れ、名人の名作能の世界にしばし魂を遊ばせてみてはいかがでしょうか。

舞台に舞い降りる能の神「翁」。

2013-12-20 14:33:41 | 能狂言
さて、いよいよ年も押し詰まり新年を迎える季節となってきました。
能の新年のセレモニーといえば、「翁」。一年でこの季節だけに見られる、もっとも格の高い、本式な能の演目です。

◆能の翁とは?(言の葉庵、「翁」についてのバックナンバーはこちら)
http://nobunsha.jp/blog/post_94.html

「翁」が全国の能楽堂で演ぜられるのは新年、一月の間のみ。来年も各地の能舞台で、元旦より「翁」を含む催しが多数企画されています。

◆能楽公演情報 2014年1月
http://p.tl/kq0h

今年は正月三ヶ日だけで、全13公演が予定されています。
ぜひお近くの能楽堂、能舞台にて初翁を体験してみてくださいね!俗っぽい神社の初詣よりも、よっぽど神聖で、ゾクゾク肌があわ立つに違いありません。千年来、私たち日本人の祖先が「神」と遭遇した儀式がこの能の「翁」なのです。

能にして、能にあらず

と評される「翁」は、世阿弥により、能の根本と位置づけられながらも、他の能の形式から大きく外れることにより、このように呼ばれています。
舞台上でシテが一礼し、面をかけるのも「翁」のみ。
正月、全国の能舞台は注連縄で飾られ、颯々と穢れを払う神聖な気が満ち溢れます。
http://aobanokai.exblog.jp/300927/

ちなみに翁開演中の見所へは出入一切禁止。能楽堂入口扉のドアノブには、紙の帯封がかけられ、開演時間に遅れた客はロビーのモニターで見るハメになります。(庵主も一度経験しました…)

番組中、『翁』とあるのが一番の能。『神歌』は翁の謡のみの声楽曲、『弓矢立合』は翁が複数人舞台にて立ち合う特殊演出です。『翁』の曲中、狂言が演ずるパートを「三番叟」と呼びます。

現行200番ある能の演目中、『翁』は演劇というよりも宗教儀礼に近い厳かな曲。西洋人がクリスマスのミサに参列するように、私たちの祖先が一年に一度、舞台に祈りを捧げた特別な日の特別な行事だったのです。

「ひとくさり」の意味?

2013-12-13 10:18:59 | 日本文化バンザイ
ひとくさり(一齣)とは、謡や語りの一段落のことです。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/185956/m0u/

さて、この「ひとくさり」という古語を探して、
【言の葉庵】のアクセス数が尋常ではないこととなっています。
「謡や語りの一段落」でワード検索すると当HPの「能狂言Q&A集」が2位で表示されます。今、このページに1日500人くらいきています。

おそらくみんなが求めているのは「ひとくさり」の単語だと
推測しますが、数人程度ならどうってことないのですが、
この数字は異常。どんな理由によるニーズが発生しているのでしょうか?

ちなみに「ひとくさり」は、当方がよく謡のお稽古で耳にした言葉。
現場では一段落というより、もっと短く、1文程度の意味で使われていましたね…。