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私の貯金歴史 気持ちの切り替えは入社4年目 参考用

2023-02-10 13:13:41 | 日記
先日の結婚資金、結婚後の残った貯金。
恐らくこの金額を見て、
「給料がいいから貯まったのね」と思われそうですが、
20代初めは給料は、本当に少なかったです。
あの当時、県内で一番給料がいいと言われ、
入社しましたが、いいのは男性だけ。
女性は、かなり悪かったです。
もうすでに男女雇用均等法があったものの、
男性は家計を支えるのだからと言われ、
23歳の男性のボーナスと50歳の女性のボーナスが同じぐらいと言う、
かなりの男尊女卑の会社でした。
離婚も、勝手にしたのだからと言うのが、会社の考えで、
男性なら当然もらえる家族手当や住宅手当をもらうことも出来ませんでした。

私が、まだ入社して4年目は、忘れもしない区切りのいい、
総支給額は、14万円でした。
※交通費・残業代除く
同期の男性は、既に17万円と言う大差でした。
その14万円から、今ほど高額でないにしろ、
社会保険、住民税、組合費、社内貯金や財形を引かれるのですから、
手取りそのものは9万円ぐらいなものでした。
ちなみにパートさんは、地元では割とよくて時給750円。
パートさんと月給は2万円ほど、ボーナスで差があると言った感じでした。
※30年前の話です

今、手元に、入社4年目の貯金が書かれたノートがあります。
100万円までは2年ちょっとで貯めたわけですが、
あの当時189万円でした。
それをすごく反省して書いているのですね。
たったこれだけしか貯まっていない。
これからどうしたらいい?
なんて書いてあるのですよ。
以前も書きましたが、私は新車を買い、奨学金で高校に行ったので、
借金の返済がかなりありました。
また、あの当時の女性の適齢期は、25.6歳ですから、
24―26歳は、友人の結婚ラッシュで、
ご祝儀・衣装・美容院代がかなり掛かっていました。
毎回礼服でいい男性がうらやましかったものです。

また、このノートは、将来参考にするため、
友人からもらった引き出物や、親せきからもらった新婚旅行の
お土産は何か?まで書かれてあります。
ですから、自分の時、同等クラスのものを買うとき、
かなり参考になりましたね。

この当時、公務員の彼氏がいて、私と2つ違いですが、
1年付き合った頃には、結婚したいと言い出したのですね。
※今のパートナーではありません
お金の貯まっていない私は顔面蒼白でした。
しかも、彼は、すぐに子どもが欲しいとか、
会社は辞めてほしいとかいうものだから、
この先この貯金は減ることはあっても、増えることはないだろうなあ。
と思ったものです。
とりあえず、若いから、1年待ってと言って引き伸ばしました。

その当時よく読んでいた奥さま雑誌の節約コーナーが、
「独身時代、デート代を2万円ずつ出し合い、
それ以上にならないように工夫しました」
なんて書いてあり、参考にしました。
そのころ、彼氏は、ほぼ私の家に来ていたので、
5千円ずつ出し、1万円でしたが、一向に困ることはありませんでした。

彼も高校時代奨学金を借り、なおかつ通信教育で大学に進学していました。
ですから、境遇は、似ていたこともあります。
そんな中、
「5年以内なら、日本育英会は1割返還がある」
と、彼に教えられ、4年目に一気に返済をしました。

そう、借金がなくなってから、貯金が加速したのです。
今まで毎月4万円近くあった借金が貯金となり、
更に、給料の等級が上がるよう、年に一度の面談時、上司に相談。
すると、
「この通信教育とこの通信教育を合格し、委員会の役員をし、
このプロジェクトのメンバーに加入し、特別賞以上受賞しなければ、
等級を上げることはできない」などの助言をいただき、実行。
文章だとと簡単そうですが、かなり努力はしました。
すると、一気に2万円給料が上がりました。

また、ボーナスも上がった時期でもありました。
ボーナスの査定が良くなるように、努力はしていました。
一番いいときは、同期より25%以上良かったです。
ですから、この辺りから、貯金は加速。
毎月コンスタントに6万円は、郵便局に貯金をしていました。
残業の多いときや交通費の入った月は、10万円以上したこともあります。
今ではいい思い出ですね。