昨日は、友人二人の誕生日でした。
※双子ではありません 赤の他人の男女
LINEを送ったら、女性のほうは、
「あと数年で60歳だよ。もう年寄りだよー」
と、返って来ました。
実は、朝ごはんを食べながら、
「Kさん、今日誕生日だから、LINE送っておいた」
と、パートナーに話したとき、
「いくつになったの?」
「56歳かな?」
「四捨五入したら、60歳、アラカンだ」
と、パートナーが話していたことを思い出しました。
※Kさんは、私たち夫婦の結婚式のスピーチをしてくれた親友です
まあ私だって50代。
もう若いとは言えない年齢。
私が就職した時には、60歳が定年だったわけですから、
そう考えると、年を取ったものです。
子どもの時の想像だと、雨や雪の日に家にいられるお年寄りは、
本当にうらやましかったです。
ただ、私の子どものころの思考だと、40歳より上は、
皆一緒みたいな感覚でした。
60歳よりちょっと下みたいな、おそるべし感覚です。
私が就職したメーカーは大手企業だったので、
45歳から5年ごとに、人生設計勉強会がありました。
またリフレッシュ休暇で、1か月連続休みが取れました。
勉強会に出席した先輩に言われたのは、
「企業年金も退職金もあるから、老後はそんなに心配することはない」
と言うことでした。
その時、少しでも年金を増やそうと、
奥さんは別に国民年金加入されていた課長もいましたが、
「扶養に入られているので、掛けている意味がありません。
貰える金額は同じですよ」
と言うことも聞きました。
また、今から30年近く前は、扶養は、
夫が妻の掛け金も払っていると言う認識の方も多かったです。
ずっとあの企業にいれば、将来は安泰だったなあと思う部分もありますが、
逆に仕事に追われて、精神的にはいっぱいいっぱいで、
資産も今ほど増えてはいなかったかもと思う部分はあります。
実際退職金2000万円と言う大金は魅力的ですが、
貯めようと思えば、10年―20年で貯められます。
もし、収入が多ければ、別のことに使っていたのかもしれません。
若者はともかく、あの会社で軽自動車に乗っている人はいませんでした。
ですから、見栄みたいな感覚で、普通車を買っていたかもしれません。
また、服装も、あの当時かなり気を遣っていました。
大きな会社なので、記念パーティーも多く、
そのたびに記念撮影もあり、スーツもよく新調したものです。
お金はなくとも、短時間パートだった時期は、
子どもとは関わることはできたわけです。
やはり小さいときに、わが子と向き合えたことは大きく、
受験勉強だけでなく、いろいろ話すことが出来たこと。
一緒に過ごす時間はかけがえのないものでした。
中学受験をしたことで、わが子のなりたい職業や方向性は、
早くから親も勉強しました。
「共通テストの結果を見てから考える」
結果としてはそうでも、やはりいろいろ考えることは、
大事ではないかなあと思います。
医学科以外なら、私立でもなんとかなる。
そこまで貯めることが出来たのは、収入が少なくても、
誇れる部分ではないかな?と思っています。