気ままな日記

東京近郊を生活圏とする北九州出身のしがない元サラリーマン

過去の単身赴任地での生活などを含め紹介

小諸・上田・長野・松代

2009年08月08日 21時28分22秒 | おでかけ
上田城

真田昌幸が築城した城
真田幸村から仙石忠政へ
そして松平家7代によって統治された町、上田です。







上田の次は、長野市・善光寺



ご開帳も終わり、にぎわいも落ち着いてきたそうです。


本堂をお参りし、そして「お戒壇めぐり」へ

「お戒壇めぐり」とは、御本尊の安置される瑠璃壇の下、床下(地下?)が真っ暗な回廊になっており、この回廊の中程に極楽への錠前を探り当てるものです。

回廊には灯りが全くなく、真っ暗
全く何も見えません。
このような状況は、日常的にはないのではないでしょうか。

暗闇の回廊を手探りで進みます。
回廊のどこか、右壁の腰の高さに、その錠前があり、右手で壁を探りつつ人の進みます。

鍵は、金属製の取っ手状のものです。ガチャガチャと動きます。

これで私も極楽浄土へ行けるかな。


参道沿いの蕎麦屋で昼食

10割蕎麦のセイロと、蕎麦掻きをいただきました。
蕎麦の香りが高く、美味しい
暑いなか、冷たいおそばが特に美味しく感じられました。


昼食後は、善光寺の近くにある長野県信濃美術館・東山魁夷館

東山魁夷の世界に浸ることができます。

深い青を基調とした絵
そして、あのポイントとなる白い馬

じっくり回りました。


長野市街から千曲川(信濃川)を越えて松代城

川中島の合戦場のすぐ近くにあるお城です。
幕末は真田家を主としていました。

今の千曲川は、松代城から離れた場所を流れていますが、昔は、この松代城の脇を流れていたそうです。
千曲川を守りに利用したお城だったのですね。




松代城趾から1kmほどの処に、真田家の藩士・横田家の旧家である国指定重要文化財「旧横田家住宅」があります。

当時の中級武士の代表的な家屋なのでしょう。






なぜ、この旧横田家住宅へ来たかというと

富岡製糸場に行きたいと思ってて調べていたところ、幕末のこの横田家の娘である 英 が書いた日記を読んだのです。
英は松代に帰った後、製糸場(六工社)の設立に尽力した人物でもあります。

この日記、製糸場の女工の生活がよくわかり興味深いものでした。

そんなこんなで、この英の生まれ育った旧横田家住宅へも行きたいと思っていたのです。

横田家の人々は、ここでどの様な生活をおくっていたのでしょうね。