Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

階段協奏曲

2019年09月04日 21時09分59秒 | 日記
おはようございます。

日常生活で利用しない日の方が少ないであろう

人の知恵「階段」

人が歩けば音が立つ。

平地を歩くより

段差を越えていく階段の方が

その足音は大きくなる事が多いです。

私は普段

階段から比較的遠くで生活してますが

(あくまで同環境他者比)

階段の昇降音で目を覚ます事が多い。

と、いうかここ数年毎朝と言っても過言ではなかろう。

ドン・ドン・ドンドンドン・ドン・ドン・ドンドン……

私の目覚ましはこんな所。

そんな階段の足音を気にしながら生きている人なんて

数少ないでしょうね。

しかし、歩き方は

指紋・静脈と並ぶ

立派な個人識別ツールの一つです。

数多繰り返すといえバカにしてはなりません。

むしろ日々数多繰り返す事だからこそ大切にすべきなのです。

完全なる被害妄想と自意識過剰ですが

私は歩き方を切り替えています。

何故なら

歩調を替えると尾行が一気にしにくくなります。

尾行されたことは……そんなにありませんけど何度かは。

といった感じなんで

足音は日々変わる。

前述した通り

私は珍しい分類で

歩き方・足音なんて

気にしないが故に変わらないのが普通です。

そういった気にされないものに

私は何故か惹かれてしまったのです。

連立する音は音楽のよう。

芸術的かどうかは判断しかねるが

少なくとも私は魅力に思う。

突然に思われるかも知れないが

雑草に魅力はあるのか。

ある意味、神の御言葉としても伝わるものに

『雑草という名の草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。』

と、いうものがある。

近年では小説で登場したかな?

岩ちゃんに言われて、何人の女子が落とされた事か。

いかん、いかん。

本筋に戻ろう。

雑草は日陰モノの総称とされるが、そんな草は存在しない。

それぞれに名前があり

それぞれに魅力がある。

名付けられるという事は

確かに、縛られる事である。

だが、同時に

存在を認められる事でもある。

雑音だ。

確かに、それは雑音だ。

しかし、「足音」という名で

雑音から区別され

しっかりと存在を認められている。

魅力の見つけにくい「雑」モノの一種であろうが

日陰を愛してみても良いのではないだろうか。

さて、また誰かが奏でる階段協奏曲が聞こえてきた。

              それでは bye! Konemy

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