Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

半蔵門線のG

2021年09月09日 12時21分04秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

先日、とある用事で永田町を訪れました。

久々の東京です。

こんなご時世ですから越境自体が久しぶりです。

そんな私

月平均の歩数が一日1,400歩程度なんです。

これは近郊外出や散歩した日含めた平均なので

週のうち少なくとも五日くらいは

一日数百歩といった生活をしています。

因みに、出かけたこの日の歩数は5,000弱でした。

話を戻しまして。

永田町駅まで私は半蔵門線を利用しました。

半蔵門線というとどの様なイメージを持たれているでしょうか。

都内の人は何かしらのイメージを持たれているかも知れませんが

東京を除く首都圏の人は存在程度

地方の方は存在の認知自体危うい様な線かも知れません。

いずれにしても半蔵門線は地下鉄ですから

「深い」という共通認識は持って頂けるかと。

その前提でお話しします。

電車を降りて、改札に向かいます。

その途中。

驚くほど長いエスカレーターが二本。

これ、私主観ですので悪しからず。

後で調べて分かったのですが

半蔵門線永田町駅は都内有数の深さを誇る駅だそうで。

そりゃ、長いエスカレーターになりましょうぞ。

階段で上がる気力の出ないほどの高低差ですから

当然、エスカレーター左側に乗ります。

すると、どうでしょう。

段々と身体が重たくなってくるのです。

実感すると段々その重さは増していく。

脚に重みが増し、膝を着きそうになりながらどうにか堪え

無事、地上に辿り着く事が出来ました。

辿り着いたは良いのですが

なかなかの絶望ですよ。

私が感じた重み。

単純に考えれば上昇によるGです。

私にとっては舞浜にある海に隣接するホテル「ハイタワー」のエレベーターが

強烈なGを感じる身近な存在ですが

そこら辺の建物にあるエレベーターでも微弱ながら同様のものが感じられます。

私は物理を得意としていないので

エスカレーターでこの現象がわずかでも起こりうるのか不明ですが

もし仮に起こりうるのならば

私は低速かつ斜め上昇する際に発生するGに負けそうになったのかと。

そこまで私は堕ちたのか、と。

その日はそれ以上考えずに一日を終えました。

そして今日。

それも今さっき。

少し気合を入れて作った昼食を食し

片付け終わって

一階にあるダイニングから二階の自室へ向かう途中の階段。

一段登った刹那。

感じたのです、重力を。

予期していなかった突然の攻撃に

私は膝を着き、手すりを掴みました。

物理的には大事に至らなかったものの、これは思わぬ精神攻撃。

手すりを頼りに階段を登って自室の席まで辿り着きました。

そう。

これは自らの衰えを嘆く日記の様なものです。

              それでは bye! Konemy

薄暗

2021年09月08日 18時29分29秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

昨年だったと思う。

十年ほど使っている自室の明かりと

卓上の明かりを新しくした。

家にいる時間が増えたからというのが主な理由ではない。

きっかけは卓上の明かりが壊れたから。

小学校に進学すると同時に与えられた部屋と学習机。

その机に備え付けてあった明かり。

現在でも家具屋やショッピングセンター等に行けば

学習机自体は売っている。

しかし、それらとは似て非なるもの。

備え付けであるから蛍光管自体はもちろん変えられるが

明かり本体は完全に机に固定されている。

その本体が壊れた。

最近の学習机の明かりは基本的に移動可能なスタンド型。

便利なものだ。

だが、そこそこ大きな学習机を無影で照らすだけの力があった

かつての卓上明かりが私は好きだ。

そんな好きだった卓上明かりを破壊して机から取り払い

スタンド型の卓上明かりを買った。

その際、驚くほど低価格で部屋の明かりも変えられるという事で

部屋の明かりも変えた。

十年という年月は明かりに進化をもたらしていた。

以前までの部屋の明かりは

円形蛍光管を二つ使用し

常夜灯とで三段階の明るさ調整しか出来ず

卓上の明かりに関しては一切の明るさ調整は出来なかった。

それがどうした事でしょう。

両者ともボタン一つで何段階にも明るさ調整が出来るのです。

だから何だ。

といった話ではあるのですが。

それを今から語ります。

部屋の明るさ調整が可能になってから

常夜灯より一段階明るい

全灯では最も暗い明るさで過ごすことが多くなった。

これは目を覚ました時、目潰しで受けるダメージを軽減する為に

就寝直前にその明るさにして明かりを消し

起きてから変えないからだ。

これは最近気がついた事だ。

私は夜になると気分が沈みがちになる事が多い。

これは時間の経過に依存するものかと思いきや

そうでは無いようだ。

どうやら生活環境の「明るさ」に大きく依存しているようだ。

今年の晩夏は雨が続いた。

太陽が差さない日が続くなか

薄暗い部屋で何日も過ごしていたら

驚くほどの不調を自覚した。

私は暗い中で生きていてはならない。

これは身に危険を及ぼす。

短くない年月を生きてきて気付かされた。

これは

明るさを調整出来るという大して便利とまでは言えない

新たな室内照明の功罪だろう。

              それでは bye! Konemy



推しが立つポジション0(ゼロ)

2021年09月06日 18時24分28秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

先週の話になります。

と、その前に。

私自身の基本情報を。

これから話を展開していく上で必要な情報なので。

結構な年数・数

記事を投稿している私ですが

あんまり私自身のことは書いていない

気が……しているので。

今の時点で前置きが長くなりつつあるので

簡潔に。

15年くらい前からですかね。

アイドルが好きで。

総合Pを先生と呼ぶくらい。

本題に入ります。

いや、戻ります。

先週の話です。

そのアイドルグループは出すシングルごとに

メンバーのポジションだけが変わることで有名なのですが

推しがセンターになりました。

15年もヲタをやっているとそんな事は珍しいことでもありません。

過去に何回もありました。

ここで過去の記事についての話を差し込みます。

約一年前の記事。

『エースとエリート』(2020年9月28日 Konemyのベル)

簡単にこの記事の説明をしようと

いざ読み返してみると、一体何を言っているのか。

我が文ながら分からなかったので

分からないなりに説明させて頂きます。

その内容は

大勢を有する女性アイドルの中で活躍する人の中には

「エース」と「エリート」がいて

『私は今まで一推しとして「エース」を挙げた事がない。』から

「エリート」が好きって話です。

まぁ、宜しければご自分でご覧になって下さい。

直接的な例や言葉を挙げていなかったから過去記事は分かりにくいと思い

今回ははっきりと分かる言葉を使います。

私の推しは人気メンバーだけど

一番人気にはならないメンバーだから

推しがセンターをやると

嬉しいけど寂しい。

素直に喜べない。

そんな話です。

ひとまず、推しのセンター就任を祝いながら発売を楽しみにしたいです。

そういえば、去年の今頃といえば

別グループのセンターが決まった時期だった気がする。

はぁ。

二年連続で私は思ったという事か。

変わらぬ自らの軸と喜ぶべきか。

変えられぬ頑固さと呆れるべきか。

              それでは bye! Konemy




無欲の勝利の瞬間

2021年09月02日 20時48分53秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

今日。

久しぶりに好きなバラエティ番組を観た。

諸事情で距離を置かざるを得なかったというか

距離を置いていた番組だったが

吹っ切れてもいないが観る気になったので観た。

内容はトークバラエティ。

事前アンケートが無い事で有名で

MCの話を聞く技術がハンパない。

他の番組や他媒体で見ることが出来ない

ゲストの一面をスムーズに引き出す。

全く違う世界で生きる人間たち同士の会話だが

烏滸がましい事にそれでも同じ「人間」であると思わされる。

ゲストの一人に対してMCがこんな事を言っていた。

『無欲の勝利の多い』

言葉が刺さって、私の身体を完全に貫いた。

一滴の血を流す事なく、抜けず、刺さり続けた。

そして、私はこの言葉を握るためにこれを書いているのだと思う。

常々。

私は自らの事を「凡人の天才」と称してきた。

今までの人生で努力した覚えもないし

大した苦労をした覚えもない。

人並みのやりたい事は全て実現し

やってきた事は大抵成功した。

道半ばの転倒はあれど、挫折は知らない。

私は何かを成すときに

大した動機もなく

大した努力もなく

ほとんど欲もなく

成功してきてしまった。

のちに振り返り

行為の動機や成功の要因を考えても

「なんとなくやりたかったから」

「やったら出来ちゃったから」

私の人生で積み上げてきたこれらは正に

『無欲の勝利の瞬間』

努力や熱意の結晶ではない。

番組内でゲストを救う結論には至らなかったが

それでも私はこの言葉を考えていきたい。

とりあえず

刺さった言葉を握る事は出来ただろうか。

              それでは bye! Konemy

防災の日

2021年09月01日 06時59分15秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

八月も終わりを告げ

今日から九月。

今朝、目を覚ましたら室温が30度を下回っていて

薄ら寒さを感じました。

そして、私事ですが本ブログが開設から1,800日となりました。

毎度大した事は書いていませんが

私自身にとっては割と大切な存在であり

自己満足の部分が多いですが

今後ともお楽しみ頂ければと思います。

などと言いながらいつ振りの投稿か。

書く事が無かった。

これは言い訳ですね。

実際、書くような事はありませんでしたが

書く事は沢山ありました。

例えば。

以前の投稿から今日までの間にひとつ年を取りました。

実感のかけらもありませんが。

だから、書く事は沢山あったんです。

書くに至らなかった。

変わらず長い前置きはこのくらいにして本題に。

100年近く前の今日。

日本の中心とも言える地を大きな揺れが襲いました。

私が説明するまでもないでしょう。

この地震をきっかけに

そして、台風シーズンを迎える時期でもあることから

防災への心構えを準備するという意味で「防災の日」が創設されたそうです。

また、「防災の日」を含む一週間は防災週間と定められ

各関係機関が緊密な協力関係のもとに

防災思想普及の為の行事や訓練などを行うようです。

元々、この国は自然災害の多い国でしたので

元来から自然災害に対する意識は高い方なのでしょう。

しかし、近年は一言で言って異常です。

100年級の自然災害が毎年のように起こっている事実。

加えて、近代化の波によって失われた伝統。

失われし危機感。

進化したといえども人間の力は自然災害に対してあまりにも無力です。

常時に無駄だと思われるものほど有事の際に必要とされているのかも知れません。

特に私なんかは

これほど異常な状況においても一切の被害を受けていない地に暮らしているので

災害が多い、災害は命を危険にする、災害の対策をしなければならない。

そんな、災害に対する意識は高くないと自己判断します。

沖縄に来る台風がある程度激しくとも問題なく

北海道に来る台風が他に比べてそよ風程度の嵐でも問題がある

のと同様に

本来なら、災害が少ないところほど対策は意識的に充分にしなければならないんです。

理解はしています。

ただ、行動には移せないものですね。

何故なら

災害が多い、災害は命を危険にする、災害の対策をしなければならない。

そんな、災害に対する意識は高くないから。

愚かな人間は知らない事には気づけない。

実感して初めて気づかされるのです。

自らの愚かさに。

そして、私個人の話をすれば

意識的に植え付けた「対策せねば」といった心よりも深く

諦めが存在しているからこそ行動に移さないところがあるのでしょう。

人間の力は自然災害に対してあまりにも無力です。

無宗教ですが、神と呼称される存在の否定はしませんので

神の怒り・思し召しなら致し方がない。

潔くあれ

ってな訳です。

最後に。

今後、せめて私が生きている間に他人の命が多く失われるような

自然災害が起こらぬ事を願って。

              それでは bye! Konemy


きみがおもうほどひとはやさしい

2021年08月02日 21時39分10秒 | 日記
おはようございます。

しばらく投稿しない間に

季節はすっかり夏へと移り変わっていました。

毎日、真夏日の部屋で過ごしております。

熱帯夜なんて当たり前。

これを記す室温は32度。

嫌になる暑さです。

人間の脳はうっすらと寒さを感じるくらいが

一番働くといった話を聞いた事があります。

受験生の時には厚着をして会場へ

暖房の効いた会場に着くと薄着になっていたのが懐かしい。

少なくとも大挫折はしなかったので効果があったと信じている。

体温に迫りつつある室温……は流石に過大な表現だが

少なくとも脳を回転させるような温度ではない部屋の中では

尋常では考えない事へ思考を廻らす。

駆動音を響かせるPCと共に。

「きみがおもうほどひとはやさしい」

不思議な表現である。

ある曲の歌詞を思ったときにふと浮かんだ言葉。

元の言葉は

『君が思うより人間(ひと)はやさしい』

聴き慣れた表現。

「君が思うほど」といったら続く言葉はきっと

「人間はやさしくない」

否定だろう。

母国語で文学を嗜む者だが、文法は大の苦手だ。

「より」と「ほど」の違いは後ろにつく言葉。

「より」の後ろは肯定。

「ほど」の後ろは否定。

つまりは「君が思うほど人間はやさしい」という文は文法的に間違いらしい。

不思議な表現という違和感は間違いではない。

だが、日本語は難しい。

私は「きみがおもうほどひとはやさしい」と述べた。

この文は間違えていない。

この時の「きみ」として何を浮かべるだろうか。

神か悪魔か。

はたまた、絶望した少年少女か。

もしくは慈母か。

0.1度だけ室温が下がった。

時間の経過か扇風機のおかげか。

少し、頭が冴えてきたような気もする。

              それでは bye! Konemy

センジョウ ノ サベツ

2021年06月06日 22時14分42秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

6月が始まり、明日で一週間。

この一週間、私は一体何をしていたのか振り返ってみても

特に思い当たる事はなく。

はっきり言って怖いです。

同じ24時間がこんなにも違って思えるようになってしまうなんて。

これ、今に始まった事ではないはずですが。

気がつくのに長い月日を要する辺り

そこが私の限界なのでしょう。

さて。

今日はお寿司を食べに行きました。

特に何かあった訳ではありません。

ふと、お寿司が食べたくなったんです。

魚全般は苦手・嫌いですが

お寿司は好きなんです。

邪道ですかね。

私が暮らす田舎は海に面しておらず

そこそこの値段の寿司屋はありますが

ふと、食べたくなっていけるほどの寿司屋はないので

海と面している隣町まで遠征。

と、言っても

文字通り田舎町から一歩出た辺りにある寿司屋です。

それでも営業時間は夜8時までだったようです。

食べ終わって店を出る頃、なんだか慌ただしかったので。

一歩隣は基本的対策。

片や隣町は大都会と同様の対策。

この世は一歩で国が変わる世です。

島国に生きていると忘れがちですがね。

何か区別をしなければならない時には

汽水域を設けられるなら設けるでしょうが

設けない場合には線の右左で分けなければならないんです。

「線上の差別」

右手を伸ばせば逃れられるのに、左手がここにあるから決して逃れられない。

約一年前。

どこかの国の長が言っていた。

「戦争」と。

国民の大半が血と涙、そして硝煙が舞う戦争を知らぬ現在における

これは紛れもない一種の戦争なのでしょう。

ならば。

見えぬ敵と戦う為に生まれたこの差は

「戦場の差別」とも言えるのだろう。

戦時下ならば

どこにミサイルが、焼夷弾が、爆弾が堕ちてきてもおかしくないというのに。

余談ですが。

ここで語っている寿司屋の値に

海に面しているかいないか、関係なくないか。

チェーン店だし。

比較している両方とも。

              それでは bye! Konemy



集中力の欠落

2021年06月02日 18時14分24秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

今朝、情報番組を観ていて思った事を記そうかと。

それは、いま話題(?)の一コマ漫画に関するものです。

話題らしんですが、私は今朝初めて知りました。

当然、私は全知全能なんかではありませんから

この世には知らないことが溢れています。

でも「話題」などと書かれてしまうと

それを知らない自分は常識の無い人間のように思えて怖くなってしまいます。

実際、無いのかもしれませんが。

そんな事はさておき。

と、言いながらも一言残しておくと

「話題」ってのはある界隈で盛り上がっていればそれは「話題」なんでしょうね。

ネットが情報を得る主要の媒体になった時点で「話題」の形も変わったのでしょう。

二言……と。

今度は本当に話を戻して。

一コマ漫画。

4コマ漫画なら昔から有名ですね。

漫画を読んだことがあって、4コマ漫画を読んだ事がない人は

流石にいないと思います。

私が一コマ漫画というものを初めて知った時(今朝ですが)

真っ先に思った事

それが

「現代人は遂に4コマすら集中出来なくなったか」でした。

「現代人」と括っていますが、これは総体を表すものではなく

一般化です。

先日読んだ記事の中に、現代人は映画を早送りで観るなんて話がありました。

その話題も込みで述べるなら。

最初は三時間超の映像を人間は楽しめていた。

例:『タイタニック』(1997)

二時間程度の映像も充分楽しめた、楽しめている。

例:『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』・テレビ番組の特番など

普段見る映像は一時間程度で、それなら集中出来る。

例:テレビドラマ・テレビ番組

ちょっと短めで軽く観たい、30分。

例:テレビアニメ・テレビ番組

もっと軽く、そして沢山。それが近年、圧倒的に増加していく。

時間にすると5〜20分。

例:YouTube動画

数を消費するように観るようになると、集中出来なくなっていく。

そして、15秒の短編動画。

例:SNSストーリー機能

ネットのせいで一時間の映像を観ていられない、なんて事態が起こっている

そうは言いたくないが

実際、二時間近い映画は早送りしたいという思いが出てきてしまう。

集中していられない。

上記した様々の隆盛は様々な要因が絡まって起こった事である

という前提のもとで。

それでも現代人に「集中力の欠落」が起こっている事実はあるんだと思う。

私は自分が堕ちているようで怖い。

そう思い

この間、短編小説を書き下ろした。

約二時間。

全く休む事なく書き続けた。

まだ、捨てたもんじゃないのかも知れない。

              それでは bye! Konemy

私は領地と領海と、そして領空で出来ている。

2021年05月26日 00時17分50秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

この話を以前にした覚えがないので

いや、してても再びしますが

私は一応、武と和の道を修める者でして。

極めてはいませんが。

と、いうか私に年齢で極めてる人は変態だと思うので。

まぁ、取り敢えず

自己解釈が可能な程度は修めています。

そんな話は結構どうでも良くて

武と和の道を修めていると

自然と、と言いますか

一般的な人よりも「無想」を得意としています。

分かりやすく言うと「雑念を除く技術」でしょうかね。

まだ分かりにくい気がしますが。

方法としては黙想ですね。

人間、完全に何も考えない事は不可能です。

これは、若輩者の経験則ですが。

黙想を自分なりの言葉で説明するなら

何も考えない事を考える行為でしょうか。

意味不明ですよね。

言葉として表すなら

「何も考えちゃダメだ!」

と、いう声を頭に満たすんです。

すると、昨日の晩御飯のことなんてすっかり頭にありません。

それが黙想です。

あくまで私の解釈ですが。

ようやく本題です。

安定の前置き長し。

嫌な事、忘れたい事、目を背けたい事。

もちろん、私にもあります。

時に押しつぶされそうなほど。

そういった時はご存知の通り

か、不明ですが

執筆すらままなりません。

そんな時の私の最終一歩手前程度手段である黙想です。

この黙想で私は

私の中にある小さな世界の自分の名を持つ領域から

排他的経済水域的な場所に

嫌な事、忘れたい事、目を背けたい事を置くのです。

はっきり申し上げましょう。

何の解決にもなりません。

現実逃避に過ぎない。

ただし、私は決して永遠ではない。

逃避を繰り返した果てに必ず最期がある訳ですから。

いずれ解決します。

今は、いまはあらゆる手段で逃避すれば良いんです。

この領地と領海と、そして領空で出来ているような

そんな私が持つもので。

              それでは bye! Konemy

最期に書く物語は決めている。

2021年05月21日 18時43分27秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近、滞っていたので

普段は気の向くままに書いていますが

今回は「書く」という確かな意思を持って書いております。

私は趣味を問われると大体、以下のように答えます。

読書・執筆

元々、それほど好きなものではありませんでした。

読書は児童書籍を嗜む程度。

作文なんて全然書けない。

小学生の頃は国語が大の苦手で。

得意なのは理科でした。

国語よりかは算数の方が出来ていたと思います。

簡単に言えば「理系」でした。

小学生如きで分類するのはアレですが。

曖昧なまま過ごした中学。

国語もそれほどひどい訳ではありませんが

数学が出来る訳でもない。

理科と社会はそこそこ出来ました。

英語は語りません。

中学から通学に一時間近く掛かるようになりまして

その時間を私は読書に充てました。

それほど好きでは無かった読書ですが

一冊の本当の出会いが大きったでしょうね。

紛れもなく人生を変えられた一冊です。

『告白』湊かなえ 先生 著

ここでは多くは語りません。

ただ、間違いなく私の人生を変えた一冊でした。

この本と出会った頃でしょうか。

私は本格的に執筆を始めました。

実は初めて物語を書いたのは小学六年生。

内容としては

小学校のロッカーから過去にタイムスリップしてしまい

ほんの出来心で歴史を変えてしまい

現代に帰ってきたら核戦争が起こっていた!

主人公は自らの過ちを正すために再び時を駆ける……。

的な。

だいぶ昔に書いたものですし

原本残ってませんから定かではありませんが。

日本史を初めて勉強した小学生あるあるですね

タイムトラベルモノに憧れるのは。

話を戻して。

本格的に執筆を始めて書いた処女作の題はなかなか衝撃。

『同級生を◯したい』(一応、伏せ字にしておきましょう)

Googleで完全一致検索で探せば出てきます。

初めて書いたものではなく、何度か書き直したものですが。

この一作を書き上げて、私はある決意をしました。

最期に書く物語を決めたのです。

来るべき日が来たら私はその物語を書く

と。

あれから長い月日が経ちました。

未だ、一文どころか題すら決まっていません。

いませんでした。

今日。

私はこの物語の一文を書き出します。

              それでは bye! Konemy



当人の自己責任

2021年05月19日 13時04分23秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

少し前。

久しぶりに中高の同級生とお話しする機会がありました。

現在、私の同級生が集まって繰り広げられる話は大体決まっています。

近い将来の話です。

遂に夢を語れなくなる時期な訳です。

当然のように私も聞かれました。

ただ、私は堕落した身。

言葉に詰まりました。

さて。

少しだけ昔話をします。

このブログを開設する少し前。

中学は三ヵ年皆勤でした。

当時から「学校に行くのが絶対正義だ!」なんて言われていた訳ではありませんが

それでも休まずに学校に行く事は評価されていました。

それは今もですかね。

成績は中の上。

「良」といったところでしょうか。

高校も中学同様、三ヵ年皆勤でした。

まぁ、一応進学校でしたから三年の年明けは数回しか登校がありませんでしたが。

生徒会には所属しませんでしたが、その下部組織の要職に就き

生徒会が公に行えない・行わない庶務を担当していました。

簡単に説明すれば、先生の雑用係といった便利屋ですね。

学校行事では賞を獲得したり、所属していた団体で大会に入賞したり。

成績は上の下あたり。

「良」と「優」の狭間くらいで卒業しました。

長々と、かつ簡単に私の中高六年間を話しまして。

言いたかった事は「真面目で優秀に見えていた」という事です。

堕落した今とは全くといって違って。

まぁ、今は「真面目」でも「優秀じゃない」だけですが。

真面目ってのは一定以上の優秀さがあって初めて求められるものです。

ただ真面目なだけなら、それは無能より使えない。

話を戻しまして。

言葉に詰まる私に対して、同級生はこう言ったのです。

「お前は作家になると思っていた」

このブログをお読みになってる方は馬鹿げた話だとご理解頂けるだろう。

ただ、中高時代

「真面目で優秀に見えていた」時代から

確かに、私は小説を何本も書いていました。

趣味でしたが。

なれるものならなりたいですよ。

作家に。

夢であった事は事実ですから。

当時の物差ならばすごい事だったのかも知れない。

いいや。

私の書いた小説は「書かれたもの」に過ぎません。

言葉を理解する誰もが可能な「書く」という行為をした結果に過ぎないのです。

誰もが可能なのにそれをしないだけ。

可能なのだから、やる事を強制されれば出来るんです。

何もすごい事なんかではない。

認めるべきはその「書かれたもの」ではなく

「書いた」という事実なんです。

努力ってやろうと思えば誰でも出来ると思うんです。

ただ、誰もが出来るものではない。

そういう事です。

「お前は作家になると思っていた」

真面目で優秀に見えていた故に、私の駄文が良いように脚色されたのでしょう。

「言葉」・「文」を金にする難しさは日々感じていますよ。

小学生の頃に語っていた夢は「政治家」

それも「内閣総理大臣」

馬鹿げている。

中高に抱いていた夢

「作家」

無理だと気づいたんじゃない、無理にしたんだ。

今。

夢?何それ。

でも、抱いて叶えた人が一人でもいるんだから

叶えられないのは当人の自己責任なんでしょうよ。

分かってる。

分かっているから諦めるんだ。

これ、別に暗い話ではないよ。

              それでは bye! Konemy

タモリさんが欲しい

2021年04月26日 19時27分39秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

たまには随筆じみたものを書こうと思います。

エッセイ本に憧れてこのブログを開設した……訳ではありませんが。

ブログを書き始めてから結構読むようになりましたね。

主にオードリー若林正恭さんの。

それはさておき。

本題です。(文体変えます)

本日、髪を切りに行った。

前に行ったのが今年の初め。

約三ヶ月ぶりの散髪。

標準的な間隔だと私は思っている。

理髪店が私は好きだ。

首元に突きつけられる鋏でヒヤッとする感覚。

耳元で絶えず聞こえる鋏の駆動音。

理科室以上の水圧で頭頂を刺激するオートシャンプー。

全てがここでしか味わえない。

そして、私は理髪店が嫌いだ。

向かい合う事を強要される巨大な鏡。

耳元で響くバリカンの金切声。

鼻腔を刺す染毛剤の香り。

とても快適とは言えぬ環境。

それでも私は髪を切りに行った。

選択の問題か。

否。

日常だろう。

絶対善なんてないだろうに。

ところで、私って髪を切っても周りに指摘されないんです。

考えられる理由はいくつか。

気づかれるほど切っていない。

同性に囲まれた青春時代でそういった環境にいなかったから。

あるいは

私になんて興味ない。

本日髪を切りに行ったその前。

今年の初めから今日まで。

私は知人とほとんど顔を合わせていません。

ある人が言いました。

『他人の為に身なりを整えるんだよ』

「自分の為に」という話は美容関係でたまに耳にしますが

『他人の為』とはまたまた。

しかし、私が髪を切る理由は「自分の為」ではありません。

興味がないというか

嫌いというか。

それは言い過ぎか。

画像加工アプリの隆盛で自己肯定感を損なう

なんて話がありますが

根本として、自撮りする人は一定以上自己肯定感があるからこそしているのであって

考えるべきは自らの顔写真を「整形」する人ではなく

手軽に手に出来るはずの題材を手にしていない人だと思います。

鏡が嫌いなんです。

メガネを外し、歪んだ世界を揺蕩って時間を過ごします。

「自分の為」ではない。

なら、他人の為なんでしょうね。

散髪の意味を問う。

恐縮ながら

私は友人にタモリさんが欲しい。

「髪切った?」

たった一言は救いになる魔法の言葉なのかも知れない。

              それでは bye! Konemy





責任

2021年04月20日 22時49分41秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

ふと、思いました。

私って何も背負っていないなって。

考えてみればそんな事はないはずなのですが。

こうやって駄文を書いて

自らの考えを記しているのですから

このブログの文責が存在しています。

もし仮にこのブログ内の文章に他者を誹謗中傷するものがあり

どこかしらで取り上げられ

晒され

非難され

(だいぶ偏見ですかね……)

そうなった時にその文章を書いているのは私ですから

謝罪か賠償か

何かしら責任を負う事になりますね。

でも。

取り上げられますでしょうか。

晒されますでしょうか。

非難される事は……まぁ、あるかも知れませんね。

普遍的な考えを述べている覚えはありませんから。

異なった考えの人に批判される事は充分あり得ます。

ここです。

ここにふと思った理由があるんです。

負わされる事がまず無い責任なんて無いも同然です。

さらには。

以前までは何かしら「私が消えてはならない理由」がありました。

それも一種の責任です。

存在することの責任、でしょうか。

世の中では「肩書き」なんて言われ方をするものが

存在する責任というものを分かりやすく表してくれています。

私にも自称・他称の肩書きがあります。

自称の方は……上記理由により責任は無いも同然状態ということで。

他称の肩書き。

実はこれも存在する責任を表していないように思います。

孤独な肩書きですから。

存在している理由は「存在している」から。

いつの日か、私を縛りつける責任を負えますように。

              それでは bye! Konemy

「シン」の意味を問ふ

2021年04月02日 10時48分26秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

先日、ある映画を観に行きまして。

書きたくなったというか

そうですね

「書いておきたくなった」ので。

先に述べますが、別に考察する気はありません。

ただ、私が思うことを綴るのみです。

ネタバレもありません、多分。

まずは、私がどの程度映画好きかという点から。

自己評価としては平均以上といったところでしょうか。

世間・個人的に色々ありまして

ここ最近は行けてませんが

年に12本以上

換算すれば月一ペースで観み行ってました。

実際はハシゴとかするので。

自宅鑑賞を含めれば年100近くになるんですかね。

次に、ある映画のシリーズ履修歴を振り返ります。

アニメ→旧劇→新劇 とありますが

アニメは一部しか見た事がなく、ネタとして使われる終劇を知っている程度。

旧劇は「Air/まごころを、君に」をテレビで鑑賞しました。

公開は出生前でしたからね、致し方なし。

(あらあら。年齢がバレる。別に隠していませんが)

そして、新劇。

始まりの2007年。

劇場で観る年齢ではありませんでした。

えぇ、言い訳です。

この時代は時の神と空間の神、そして悪夢を見せるモンスターの映画とか

観ていましたね。

ゲームは翠玉止まりで金剛石や真珠は守備範囲外です。

続く2009・2012年もまだ。

教育上の……都合ですかね。

でも、魔法界や超能力者と刑事の戦いを劇場で観るくらいまで成長していました。

結論を述べますと

シリーズ通して劇場で観るのは今作が初めてです。

公開前に特別上映やってたのに、なぜ行かなかったのか!

後悔しております。

世間・個人的に色々ありまして。

前置きはこれくらいに。

ようやく本題です。

:序→:破→:Q と来て :|| 

反復か、終止線か。

日本人は言葉遊びが好きですから。

パッと思い浮かんだくだらん文を。

「このはしのはしにあるはし」

普通に私のPCで自動変換すると以下に。

「この橋の端にある橋」

ですが、ひらがな表記なら、一文で結構な意味がありますよね。

・「この橋の箸にある端」 ・「この橋の端にある箸」 
・「この箸の端にある橋」 ・「この箸の橋にある端」 
・「この端の橋にある箸」 ・「この端の箸にある橋」

書いている最中にゲシュタルト崩壊を起こしそうでしたよ。

読んでも同様のことが起こりそうですが

多少の違和感はあれど、全て状況としては有り得ない文ではありません。

記号ですが「:||」も同様に複数の意味を同時に持ち合わせるのでしょう。

それよりも先に述べるべき点がありましたね。

ようやく本題の本題です。

「シン」

前略。

真っ先に思い浮かぶのは「新」ですね。

なんて言ったって「"新劇"の完結」なんですから。

でも、観た身からしてみれば他の意味も持たされてると考えざるを得ません。

長くなるので本題ですが完結にまとめながら。

アニメ→旧劇→新劇と経て「真」実の終劇

少年よ、「神」話となれ。そして迎えた終劇

繰り返される円環から新たな人生を歩むために「進」み始めた、前生の終劇

他にも持たせようと思えばいくらでも。

最後に。

鑑賞後、私は号泣してしまった訳ですが。

『Beautiful World』

畏ろしい名曲です。

『もしも願い一つだけ叶うなら 君のそばで眠らせて』

たった一文です。

けど、この一文なんです。

              それでは bye! Konemy

未来になれなかった昨日

2021年03月25日 22時22分59秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近、沈黙していましたが

生きてはいました。

私が文章を書く理由は……前々から語ってるので今回は止めて。

書かない理由は大きく分けて二つほど。

今回、日が空いたのはその要因の一つですね。

いつの間にか開設から1640日だそうで。

ありがとうございます。

本当にありがたいことに結構な方に見て頂いていますから。

細やかでも誰かの生活の片隅にあれば

と思います。

さて。

何だか気取った題をつけましたけど

深い意味はありません。

なので、さらに深い意味は無い発言をしようかと。

今、皆さんは左右どちらを向いていますか。

どちらか二つ、どっちを向いていますか。

繰り返しますが、深い意味は無い発言なので深く考えずに。

私は右を向いているんですよ。

あ。

記事を書いていますから実際は正面を向いていますよ。

問うてる私も訳が分からなくなってきたので

話、移りますね。

皆さん、過去と未来ってどちらを考える事が多いですか。

私は過去ですね。

なんていったって、過去が生きがいみたいなものですから。

可笑しな話だと思いますけど

実際そうなのですから仕方ない。

幸せとはいえない過去を私は愛して生きているのです。

でも、変えられないものを考えるって虚しいですね。

分かっていてもしてしまうものですが。

虚しい事を繰り返す日々に、ふと思ったんです。

昨日。

別にこれと言って語る事が一切無い昨日。

これは未来になれなかったんだなって。

当たり前なんですよ。

意味分からない話なんですよ。

なのに。異様に。

未来になれなかった昨日を私は、悲しいと思ったんです。

情緒が。

              それでは bye! Konemy