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>訛りについて。昔は通訳をする人がいたのでしょうか?

2011-09-23 14:50:00 | ドラマ、時代劇、歴史
訛りについて。昔は通訳をする人がいたのでしょうか?

komasaram2010

史実では水戸光圀は関東からほとんど出ておらず、水戸~江戸の往復以外は、勿来(なこそ)、熱海、鎌倉、日光に行ったのがせいぜいでした。

大野敏明氏が「歴史ドラマの大ウソ」の中で「水戸黄門」を取り上げており、水戸藩士なのに茨城弁のかけらも出てこないと批判しています。さらに光圀が日本中どこに行ってもそこの人が江戸と同じようなことばを話しているのがおかしいと書いています。

なお、「水戸黄門」第42部では助さんと格さんの設定がリセットされ、助さんは江戸生まれ江戸育ちになっています。

江戸幕府ができて間もないころは江戸には日本各地の方言が混在していたようで、独特の江戸弁が形成されたのは少し後だったようです。
そして江戸時代は各藩がスパイを警戒して、方言の違いを明確に残していたようで、日本人同士で通訳、筆談は当たり前だったようです。

ジョン万次郎が帰国して島津斉彬に謁見したときも、今なら標準語で会話するシーンを撮影するでしょうが、実際は方言の違いが大きく、通訳が間に入ったようです。

井上ひさし著「国語元年」が1985年にNHKで実写ドラマ化されており、これは明治時代に日本で共通の話し言葉を作ろうとした男の話で、日本の方言が実際はどれほど違っていたかがよくわかります。川谷拓三や佐藤慶も出ていました。
確かに方言差が凄いのですが、それでも会話が成立していたのは見事ではありました。

>水戸黄門 見てるが 何故 秋田にいるのに 地元民は 標準語で話すのかな?

回答日時:2011/2/22 03:17:42
編集日時:2011/2/22 03:19:21
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>時代劇で話してる言葉って、ホントに当時の言葉と同じなんですか?
敬老の日の「水戸黄門」、知立(中村玉緒、天宮良ゲスト)について

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