http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20141013-567-OYT1T50078.html
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御嶽山の噴火に遭遇した登山者が、「亡くなった人に申し訳ない」といった、罪悪感に苦しむケースが出始めている。
放置すれば心的外傷後ストレス障害(PTSD)など深刻な事態に発展する恐れもあり、専門家は、継続的なケアの必要性を指摘する。ただ、人気観光地で起きた噴火災害では登山者の居住地が全国に広がっており、精神的な「孤立」をどう防ぐのか、課題が横たわっている。
◆「なぜ」
あの時、噴火が起き、なぜ自分は助かったのか――。愛知県小牧市の女性(30)は御嶽山から下山以来、いくつもの「なぜ」が頭から離れない。
9月27日、9合目付近で噴火に遭った。黒い噴煙の中、息苦しさと熱風に耐え、視界が開けるのを待って下山。「すごい経験したな」。当初は笑って無事を喜べた。だが帰宅後、異変が起きた。
噴火の映像を目にし、多数の死者が出たと知った。「10分違っていたら私も……」。吐き気に襲われ、「犠牲者に申し訳ない」との思いがこみ上げた。夜、電気を消すと黒煙の中がよみがえり、眠れなくなった。
友人らに思いを吐き出し、女性は落ち着きを取り戻したという。だが一方で「正直、今は山には行けない」。傷の深さは隠しようもない。
◆PTSD
一緒に登った仲間4人を亡くした愛知県豊田市の男性(56)も「4人を思うと申し訳なく、苦しい」と漏らす。生き残った負い目から遺族に会うのもためらったといい、「身近に話を聞いてくれる人がいなければ耐え難かった」と振り返る。
国立精神・神経医療研究センター(東京)によると、災害や事故で家族や友人らを亡くした人は、助かったことに罪悪感を抱く「サバイバーズ・ギルト」にとらわれることがある。2~3か月で元に戻ることが多いが、日常生活に支障が出るほど激しい悲しみが半年以上続く複雑性悲嘆や、PTSDに至る人もいる。
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御嶽山の噴火に遭遇し、多くの方が亡くなられた。
台風のため搜索が中断され、未だ行方不明の方のご家族の思いを考えると言葉が出ない。
このニュースによれば、生きて下山できた人々の中には、生き残ったことに対する罪悪感が広がっているという。
ここでインタビューに答えている男性はこれまでの情報から当日登った統一教会の豊田教会の17人のグループの一人である。グループの内4人が死亡し、内二人は未成年の女子である。
統一教会は身内の不幸に対して、罪悪感をもって自虐的な世界に誘い込むことを得意としている。そのことを考えるならば、当然なコメントであろう。
同じ場所にいて、亡くなった人がいて自分が生き残ったということであれば、亡くなった人のご家族のことを考えれば、手放しで喜べないというのは、他人を気遣う自然な人間の感情であり、人間の本質的な部分である。
しかし、カルトは他人を気遣う心の動きに匠に入り込んで、罪意識を植え付ける。
豊田教会の哀れな信者は家に帰ることもぜす、必死に自らの罪の重さをお金で代償しようとする。
御嶽山の突然の噴火といった自然災害で生と死を分けたのは、誰かが悪いことをしたわけではない。もしそういったシャーマニズムのようなことが蔓延するようであれば、自然災害への対策は、できない。
折しも大型台風が日本列島を縦断している。
私は名古屋在住だが、5000人以上の死者を出した伊勢湾台風を体験している。伊勢湾台風後名古屋港沖に高潮防波堤が設置されている。
もしこの防波堤がなかったら、この台風で名古屋南部は伊勢湾台風の二の舞になっていたかもしれない。
火山噴火予知連絡会によれば、日本全体が火山列島であるにもかかわらず、計測機器は全く足りていないとのこと。また噴火した際に身を守るシェルターについては、圧倒的に少ない状況。御嶽山にはない。
もし御嶽山山頂にシェルターがあれば、死者はもっと少なかったであろう。
事実、噴火直後に山頂付近のトイレの直下にある肥溜めの空間に飛び込んで助かった人たちがいる。
自分を責めるよりは、噴火災害の犠牲者を再び出さないためにその教訓を体験者自らの言葉で語り継ぐことこそ、死者への弔いではなかろうか。