明日8月6日は、64年前アメリカによって広島に原爆が投下され、木の葉のように多くの人々が一瞬のうちに焼かれた日。人類にとって永遠に忘れてはならない日。
今年は、大きな動きがあった。オバマ米大統領のプラハでの核兵器廃絶に向けたアピール・・・、その中に「核兵器を使った唯一の国として行動する道義的責任がある」ことが述べられた。
やっとアメリカは原爆投下の責任の重さを知ったのか。ここに至る64年の歴史の長さを感じた。
戦後、トルーマン大統領の朝鮮戦争での核使用への危惧に対して、ストックホルムアピールは5億6千万人の反対署名を集めた。
日本の第5福竜丸がビキニ環礁での水爆実験で被爆したことからスタートした原水爆禁止運動は、国内で3千万人の署名をあつめ、全世界で6億人の署名を集めて今日の運動に至っている。
一瞬のうちに勝敗を決する核兵器は、広島、長崎以降使用されていない。
レーガンの宇宙空間に核攻撃衛星を打ち上げる企ても、失敗している。その原動力は全世界に広がった核兵器廃絶の運動の力だといっても過言ではない。
東京杉並の一主婦から始まった運動は、世代を継ぎながら脈々と今日まで生きている。
私は1970年代、何度か8月に広島、長崎、沖縄に行った。
毎年蝉の鳴き声を聞くと、夏の強い日差しの中で執り行われた平和公園の慰霊祭の端で汗だくになりながらも黙とうしていた自分を思い出す。
今年も5月6日東京夢の島を出発した平和行進は、無事広島にたどりついたようだ。私も名古屋の行進で歩いた。今年の通し行進者(東京から広島まで)の一人松本さんとは地域は違っても私と同じ組合の組合員。ご苦労様でした。
統一教会に入った娘は「統一運動によって、全世界が平和になる」と言っていた。
文鮮明はどのような平和論を持っているのだろう。
文鮮明の自叙伝「平和を愛する世界人として」の発行にともない、彼が平和について、どのように考えているか調べてみた。
統一運動2006~平和理想世界王国への布石~
文鮮明師の平和思想は「人類始祖の堕落問題までさかのぼり、その根本を解決しない限り平和はありえない」というものです。
参照 https://www.kogensha.jp/u-onetv/telecasted200610/telecasted200610.htm
1969.12「御言葉」14ページ
独裁は最善と通じる法である。独裁は永遠と通じる。絶対というのは最高の独裁である。独裁をもって平和を作らなければならない。(一九六九・一二『御言葉』一四ページ)。
参照 http://plaza.rakuten.co.jp/retreatcenter/diary/?ctgy=8
一宗教の教義「堕落論」を「独裁」をもって世界支配し「平和」を作る。
これが文鮮明の平和論。市民レベルの平和感覚がない。これが、青年時代に日本統治下の民族的差別を受け、朝鮮戦争当時にも戦火の中、苦労した人間の選択した平和論とは思えない。
文鮮明の「独裁をもって平和を・・・・」は、人類が第2次大戦の悲劇から学んだ教訓から何も学んでいない、それどころか彼の歩みを検証すると、ヒットラー、日本軍国主義の独裁となんら変わらない。
近代から現代にいたるなかで、列強といわれる国々がアフリカ、南アメリカ、中東、インドシナを支配した時代から、列強同士の大戦(第一次大戦)を経験した。
大戦後、ヒットラーはドイツ民族優先の国家をヨーロッパ全体に築き、その頂点に立とうとした。しかし結果は他国への侵略であり、ユダヤ民族へのジェノサイドだった。
日本軍国主義も、軍部の独裁であり、同じ道を歩んだ。
独裁によって、世界平和をつくることなど不可能であることを人類は学んだ。
多種多様な思想、宗教を認め合うのが民主主義の基本であり、一方民主主義は独裁を否定する。
第二次大戦における死者数は5000万人以上とも言われている。
戦後人類が学んだことは、思想信条の違いを乗り越えて、相手の生存権を認め合うことであり、それを認めない思想信条は、自由と民主主義の敵である。