【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

おめでとう公明党 統一地方選後半戦 1263人全員当選!

2011年04月27日 09時09分27秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 おめでとうございます。

 公明新聞によると、第17回統一地方選後半戦で、公明党公認候補は一般市議選で915人、東京特別区議選で169人、町村議会議員選挙で179人(推薦1人含む)の1263人全員が当選(うち30人は無投票当選)しました。私も、かつて、新進党ということで、旧公明党(Clean Government Party)の全衆院議員および大半の参院議員と同じ政党の党員であり、また地方政党「公明」の地方議員や一部参院議員のみなさんと友好政党であったことから、公明党の完勝はうれしい限りです。

 実は、前半戦では、大阪維新の会の大阪府と横浜市で合計2人の落選者が出てしまいました。しかし、支持母体に限らず、地方議員として「マイ獲得運動」を展開していく中で、多少の取りこぼしが出るのはしかたがないところではないでしょうか。ただし、大阪府本部代表は立派な方ですが、大阪府本部選対の総合選対本部長だった参院議員さんはかねてから民主党に厳しいので、この際身を退かれるという決断もありうるのではないかとも思います。

 公明新聞によると、一般市議選は1991年から6回連続で全員当選。東京特別区議選では、ナント1971年から11回連続全員当選となりました。

 「3・11」以降の公明党の縦のネットワークと横のネットワーク。縦のネットワーク(国会議員-地方議員)と、横のネットワーク(被災地の福島県本部議員の視察+避難先の埼玉県の本部議員の視察)を網の目のように政策要望が出来てくる公明党。まさに「元祖・地域政党」。アタマが下がる思いです。東日本大震災の復興に、公明党の力は欠かせません。

 まさに野党転落後に新しく誕生した、山口那津男代表の下、「立党の精神に立ち返り、大衆の中に飛び込んだ」元祖・地域政党公明党。行動する政策創造集団として平和と福祉の原点に立ち戻っていたことが、「3・11」以降も地域の情報を吸い上げる政策マシーンとして、公明党の存在感はますます高まるばかりです。

 下の動画は、2010年10月2日の第8回公明党全国大会のラストをしめる、山口さんの「勝ちどき」の実にうるわしい声です。聞き惚れます。新進党のころは、旧民社党(民社協会)の(団結)ガンバロー3唱という文化が入り、旧自民党(新生党、新党みらい)、日本新党の議員らも初めて腰に手をやり、ガンバロー3唱をやりました。この文化は、今の民主党にも引き継がれています。公明党は「勝ちどき」に変わったようです。なお、第8回公明党全国大会は、マスコミフルオープンで、私は、開会の相当前から雰囲気を楽しみ、しっかり聞き、閉会後の代表記者会見まで、じっくり公明党を勉強させていただきました。ただ、「勝ちどき」のときに、10年以上ぶりの公明党取材だったので、感覚がなく、カメラ撮影をしていませんでした。なので、静止画で構成しましたが、公明党はフルオープンだったことを強調させていただきたいと思います。

 私が知る限り、戦国武将たちは、勝った後にも、もう1回、「勝ちどき」をやったんだと思います。というわけで、動画の方でも、ぜひ「勝ちどき」をもう1回聞いてみたいと思います。別段、公明党支持者でなくても、元気の出る、山口なつおさんのつややかな声。そして、統率力。それでいて、けっしてトップダウンではなく、むしろかなりボトムアップの力が強く働き、山口代表は騎馬戦の押し合いへし合いの中、絶妙なバランス感覚で代表をしています。

 日本の国を「もう1回」。そして、もう1回・・・新進党で復縁しましょう、とまでは申しません。やはり、システムの違いがありますから、同じ党にはなれないかもしれない。でも、例えば、国政限定で「連立政権」とか、あるいは「政党連合」とか、そういったかたちで、もう1回やれないものでしょうか。私は公明党が好きです。かたちは何であれ、もう1回、新進党の志に立ち戻ろうではありませんか? あの日と同じ澄んだ瞳で。




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