【2011年4月26日(火) 衆・予算委員会】
平成23年度本予算が4月1日から執行されていますが、その執行状況の初めての調査、東日本大震災と原子力災害について、集中審議がありました。
中井洽委員長らが黙祷。
その後、宮城5区選出の民主党国会対策委員長、安住淳さんが質問者席に。二大政党の国対委員長が、自ら質問に立つのは極めて異例のことです。
安住さんは、委員さしかえによる質問を認めてくれた、与野党の予算委理事に感謝。「きょうは国対委員長としてよりは、被災地選出の議員として質問します」。そして、この後、30分間コンパクトに、総理および7大臣からヒトコトヒトコト、超法規的に近い法律の運用などの言質をとりました。
私は一般傍聴席で直接質疑を見ましたが、なによりも、安住さんが泰然自若としたふるまいだったことに、その精神力の強さを感じました。
安住さんは「石巻はもっとも多くの被害が出ている」「まだ1万人以上行方不明だ」「私の家族もこの1ヶ月間、市役所の災害対策本部の避難所にいる」「私の地元は世界3大漁場のひとつだ」と地元の声を国会につなげました。そして、がれきの除去について、宮城県だけで日常年の23年分だとして、石巻では、「あの一瞬の津波で100年分のがれきが出た」として、それを津波災害の特徴だとしました。石巻では、およそ600万トンのがれきが出たそうです。日常年は、5・3万トンだそうです。
安住さんは「あまり回れていないが、30カ所の避難所を回って、最も要望が多いのは仮設住宅だ」としました。安住さんは第41回総選挙の小選挙区導入以来、宮城5区で5連勝しています。民主党国対委員長として国会指揮および政府民主党首脳会議メンバーとして、週末しか地元に帰れないにしても、この15年間に培ったネットワークが地元にあるので、少ない時間でも有効に声がすくえるのだと思います。
そして、安住さんは、「私のところ(石巻)なんかは、(仮設住宅を建てる)土地が狭い」として、民有地の借り上げのほか、対応策として、「仮設住宅は2階建てにしたらどうか」と提案すると、自民党からもそうだ、という声が上がりました。しかし、「建設基準法で、構造計算の結果、2階建ての仮設住宅は、杭は木ではなく、コンクリートでなければならず、そうすると、3週間工期が遅れる」として、柔軟な法律運用を求めました。そして、「細川律夫厚労相にお願いしたいが、仮設住宅の入居期間の2年は延長して欲しい」と要望しました。これについて、細川さんは「これは更新して住めるようにします。安心して住んでいただけるようにやっていきます」と断定調で述べました。これは安心感・安定感が伝わる良い答弁でした。
ところで、安住さんのご両親の安住重彦さん(84)、安住慶子さん(74)の消息は6日間分かりませんでした。安住家は元々高台に立っていたようですが、津波が来るときには屋根に避難。そして、見ていたら、津波がやってきて、家の屋根まできたそうです。そして、海側の傾斜のところまで来て、そこで、なんとか引いていったそうです。ご両親は、海側ではなく、丘側の傾斜にしがみついていたので、難を逃れたと言うことで、旧牡鹿町長を務めたこともあるお父さんらの機転・危機管理能力で一命をとりとめた、ということだったようです。そして、そのまま屋根で夜を明かし、ヘリコプターで救助されたと言うことです。安住代議士は、地元紙には、「写真で見た東京大空襲か、広島の原爆の後のようだ」と述べています。
安住さんは、最後に政府民主党首脳会議のメンバーでもある、福島3区選出の民主党政調会長大臣の玄葉光一郎さんに答弁の場を与えました。宰相候補の一人である、玄葉さんは、じゃっかんの気負い、疲労感も見られましたが、次のように雄弁でした。
「えー、安住国対委員長おっしゃいますように、私は福島県出身でございます。したがって被災地のみなさんのかなしみ、苦しみ、怒り・・・全身で受け止めております。特に、原発問題では、恐怖、緊張、ストレス、不安・・・これは言葉では表現できないほどのものであることを身に染みて感じております。さきほどもありましたが、タイセツなことは、国が最終的な責任を持つ。そして、既存の枠を越えて、前代未聞の事態に前代未聞の対応をしっかりやる。こういった事態のなかで、福島県民のみなさんは秩序をもって、冷静に対応されていることを心から誇りに感じております。必ず福島県民を守って、必ず福島県を復興させる、そういう強い決意でございますし、まあ、福島だけではございませんけれども、宮城、岩手含めて東日本の復興を日本の再生の先駆例にする。そして、日本の再生が東日本の復興を支える、と。そういう日本を作っていかねばならない、とそういう決意を持っております」
玄葉さんは福島3区選出。政調会長補佐を務める議員によると、田村市の旧船引町の自宅は、原発から40キロ。玄葉政調会長もそうとうな負担を受けているようです。この前日には、同じ船引町で県議・衆議院でしのぎを削ってきた、現・参院議員で、新党改革幹事長の荒井広幸さんが参・予算委で原発について、熱弁をふるっており、印象に残りました。
なお、政権交代前からずっと、長老ながら予算委員を務める渡部恒三さんもいつものように最後列から議場内を見渡すように腕組みをしてじっと見守っていました。また、宮城1区の郡和子・予算委員も議場でしっかりと聞いていましたが、じゃっかん郡さんはさすがに疲れを隠せないようすでした。ところで、「自称・新会派16人衆」で、予算委員を更迭された水野智彦さんが、この日の審議で予算委員に復帰しているのに気付きました。水野智彦さんのブログによると、3月24日に、石巻の安住事務所を訪れた、との記述があり、詫びを入れたのでしょうか。いずれにしろ、安住さんは厳しさとやさしさを兼ね備えた頼れるアニキだと感じます。優れた政治家です。
安住さんは「ありがとうございました。同じ被災地出身の小野寺議員と変わります」として、宮城6区選出の自民党の小野寺五典・影の外相と握手をしてバトンタッチ。そのまま、パネルを持って、委員室をあとにしました。
「代議士」。
法律には存在しない言葉です。衆議院議員のことだけをそう呼ぶます、参議院議員は代議士とは呼びません。昔の出世すごろくでは、親孝行をして、東京の学校に進み、実業界に行き、故郷に錦を飾り、そして最後に「代議士」になって上がりというほほえましいものがありました。自由民権運動の名残を感じます。これは明治政府(官僚)による地租(固定資産税)改正に怒った名士(地主)たちが、地租改正一揆を散発的におこしたり、板垣退助の自由党に参加したりして民選議院「帝国議会・衆議院」を設立させました。そして第1回総選挙、品川事件で死者も出た第2回総選挙では、板垣自由党と大隈改進党らの「民党」が、明治政府官僚による「吏党」に連勝(過半数獲得)したことで、大正デモクラシーという安定した時代へ、この国の政治を前に進めた。そのことへの論功行賞として、衆議院議員だけに与えられた一つの敬称であり、愛称です。
宮城5区・安住淳代議士、宮城6区・小野寺五典代議士、福島3区・玄葉光一郎代議士と小選挙区で連勝を重ねる代議士たちのさまざまな「強さ」を改めて感じた第一委員室でした。
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