[写真]当時の民進党本部、4年前2016年4月22日、宮崎信行撮影。
4年前の、「立憲民主党」か「民進党」かの新党名の「民主的な決定」の際に、小委員会の赤松広隆さん、福山哲郎さんらが「結論が出るまで部屋を出るな、という感じで議論をした」のに、赤松さんが意外と早く「民進でいいや」と語り、立憲民主党ではなく民進党という名前になったことが改めて分かりました。これは6日前、2020年7月21日(火)の岡田克也さんが記者懇談会で語りました。
4年前は、維新の党の松野頼久代表は「民主党でもいい」という考え方だったと思いますが、江田憲司さんが「自分は民主党という政党に入ったことがない」などとして、松野代表として「党名変更」を合併の条件に。民主党の岡田克也代表・枝野幸男幹事長も、松野さんがひっしに維新の党をまとめてくれていることに配慮して、「民主的な決定」に舵を切りました。
インターネットで党名候補を募集。その4年前に分裂した民主党勢力でも、内輪では盛り上がり、ネットで応募した党名候補をSNSなどで明かす動きが出ました。その結果、「立憲民主党」「民進党」の2案に。内輪の盛り上がりから一転して、この2案を小選挙区の情勢分析に使うシステムを使い、「立憲民主党と民進党のどちらがいいですか」とランダムに電話。その結果、「民進党」がいい、という意外な結果となりました。
この後、民主党から赤松広隆さん、福山哲郎さん、維新の党から江田憲司さん、柿沢未途さんの4名が小委員会を設置。上述の通り、「結論が出るまで部屋を出るなという感じで」議論したものの、事前の数字が民進党優勢のため、赤松さんが匙を投げてしまった、ようです。
岡田さんから聞いた話ですが、松野さんからも手続きの経緯を聞いていますから、おおむね正しい話だと自負します。
[写真]民進党結党大会、2016年3月27日、品川プリンスホテル、宮崎信行撮影。
民進党に関しては、岡田代表、松野(前)代表とも、私が胸倉をつかまれたことがある両代表による新党結成ということで、政治記者史上に残る有力記者となり、記者会見でも第一質問者に参議院議員(現・大学教授)にあててもらいました。しかし、1年半で崩壊してしまいました。
なお、維新の党の解党では、松野代表が直前に呼び寄せた腹心のK事務局長(松野議員元政策担当秘書)とともに、所属議員に均等に分配し、端数だけ国庫返納しました。日本の政党史上に残る誠実で清新なふるまい。まさに細川護熙元首相の一番弟子。その実績から民進党でも国会対策委員長を任されましたが、臨時国会初日に解散されてしまいました。上述の経緯は、地元・熊本1区では、それは知っている人も関心がある人もごく僅少ですから、前議員となっています。
その解散直後に、赤松さんが枝野さんに「枝野立て」と呼びかけ、結党した政党の名前が「立憲民主党」。初代最高顧問の赤松さんが立憲民主党にこだわっているとされています。
教訓として前回の「民主的な党名選び」は、わずか1年半の歴史に終わってしまったのが実態のようです。
岡田さんは6日前の記者懇で、「この週末にはなんらかの合意に達してほしい」と語りましたが、その時期は既に過ぎました。先週現役東大生と差し向かいで長時間話しましたが、政権交代ある政治を望んでいるとのことで、勇気がわきました。新党についても、私も生暖かく取材を続けてまいります。ご期待ください。
このエントリーの本文記事は以上です。
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4年前の、「立憲民主党」か「民進党」かの新党名の「民主的な決定」の際に、小委員会の赤松広隆さん、福山哲郎さんらが「結論が出るまで部屋を出るな、という感じで議論をした」のに、赤松さんが意外と早く「民進でいいや」と語り、立憲民主党ではなく民進党という名前になったことが改めて分かりました。これは6日前、2020年7月21日(火)の岡田克也さんが記者懇談会で語りました。
4年前は、維新の党の松野頼久代表は「民主党でもいい」という考え方だったと思いますが、江田憲司さんが「自分は民主党という政党に入ったことがない」などとして、松野代表として「党名変更」を合併の条件に。民主党の岡田克也代表・枝野幸男幹事長も、松野さんがひっしに維新の党をまとめてくれていることに配慮して、「民主的な決定」に舵を切りました。
インターネットで党名候補を募集。その4年前に分裂した民主党勢力でも、内輪では盛り上がり、ネットで応募した党名候補をSNSなどで明かす動きが出ました。その結果、「立憲民主党」「民進党」の2案に。内輪の盛り上がりから一転して、この2案を小選挙区の情勢分析に使うシステムを使い、「立憲民主党と民進党のどちらがいいですか」とランダムに電話。その結果、「民進党」がいい、という意外な結果となりました。
この後、民主党から赤松広隆さん、福山哲郎さん、維新の党から江田憲司さん、柿沢未途さんの4名が小委員会を設置。上述の通り、「結論が出るまで部屋を出るなという感じで」議論したものの、事前の数字が民進党優勢のため、赤松さんが匙を投げてしまった、ようです。
岡田さんから聞いた話ですが、松野さんからも手続きの経緯を聞いていますから、おおむね正しい話だと自負します。
[写真]民進党結党大会、2016年3月27日、品川プリンスホテル、宮崎信行撮影。
民進党に関しては、岡田代表、松野(前)代表とも、私が胸倉をつかまれたことがある両代表による新党結成ということで、政治記者史上に残る有力記者となり、記者会見でも第一質問者に参議院議員(現・大学教授)にあててもらいました。しかし、1年半で崩壊してしまいました。
なお、維新の党の解党では、松野代表が直前に呼び寄せた腹心のK事務局長(松野議員元政策担当秘書)とともに、所属議員に均等に分配し、端数だけ国庫返納しました。日本の政党史上に残る誠実で清新なふるまい。まさに細川護熙元首相の一番弟子。その実績から民進党でも国会対策委員長を任されましたが、臨時国会初日に解散されてしまいました。上述の経緯は、地元・熊本1区では、それは知っている人も関心がある人もごく僅少ですから、前議員となっています。
その解散直後に、赤松さんが枝野さんに「枝野立て」と呼びかけ、結党した政党の名前が「立憲民主党」。初代最高顧問の赤松さんが立憲民主党にこだわっているとされています。
教訓として前回の「民主的な党名選び」は、わずか1年半の歴史に終わってしまったのが実態のようです。
岡田さんは6日前の記者懇で、「この週末にはなんらかの合意に達してほしい」と語りましたが、その時期は既に過ぎました。先週現役東大生と差し向かいで長時間話しましたが、政権交代ある政治を望んでいるとのことで、勇気がわきました。新党についても、私も生暖かく取材を続けてまいります。ご期待ください。
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Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki
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