【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「小沢一郎氏に連いていったら落選しますよ!」と議員宿舎に押しかけたら、比例復活で当選した小沢マジック

2011年02月19日 05時12分36秒 | その他

[写真]塩田晋・元衆院議員(国政情報センターの國会議員要覧平成13年2月版からお借りしました)

 考えれば考えるほど八方ふさがりです。ここで思いっきりグアムにでも遊びに行ってアタマを切り替えた方が、年度末・会期末に向けてアタマが冴えるかと思いますが、カネがないわけではないが、将来の日本を考えると、散財もできないしと思いながら、金曜日は寝込んでしまいました。

 いくつか明るい材料は、17日夜、元厚労相の尾辻秀久・参議院副議長(自民党籍)が、細川律夫大臣と副大臣の大塚耕平さん、小宮山洋子さんと懇談したこと。尾辻さんは日本遺族会の副会長であり、恩給を受けている人からの絶大な支持がある。年金が税と保険料で賄われているのに対し、恩給は全額税金(税収+国債)で賄われているのだと思います。それと、おそらく4月4日に新年度最初の支給日がくるのだと思いますので、恩給受給者は不安なのではないでしょうか。もちろんその時点で、「平成23年度赤字国債臨時特例法」が成立していなくても、恩給の支給が遅れるということはないでしょうが、恩給受給者のおばあちゃんから、尾辻事務所に「不安」が殺到するかも。尾辻さんに期待したいです。また、第22回参院選の結果、自民党から、参・議運委員長になったにもかかわらず、あまり民主党を妨害していないように思える、人柄の元官房副長官、鈴木政二さんにも期待したい。ぜひ、鈴木さんから、国会法改正案を発議してもらえないでしょうか。鈴木さんは、先日の「名古屋・愛知ショック」で、自民党愛知県連会長を辞していて、「既存政党不信」に危機感を持っているはずです。自民党でもなく民主党でもなく、参議院および国会のためにしっかりと議運委員長を務め上げて欲しい。鈴木さんは、小泉官邸→安倍官邸の移行期に、双方の官房副長官として、政権の引き継ぎに携わっています。正式には安倍晋三さんが官房長官から総理へと、官邸に居続けたわけですが、裏方として支えた鈴木さんは人望があるのでしょう。それと、脇雅史・参院自民党国対委員長は国交族です。また、予算関連法案が失効すると、離島便の飛行機の燃料税が上がり、ビニールハウスで使う重油も上がります。この辺から、鹿児島県選出の2人の自民党参院議員が、党利党略よりも「鹿児島選出議員」として行動してくれたらいいなあ、と考えています。まだまだ私はけっして絶望はしていません。なんとかなる・・・ハズです。

 自民党の大島理森・副総裁が18日、「総理が代われば、予算・関連法案への対応のオプション(選択肢)が変わるかもしれない」という発言をしました。これは民主党をゆさぶっているのではなく、自民党も非難を浴びているのでしょう。先日の新聞報道では、衆・予算委員会で、「政治とカネ」だけを取り上げた自民党議員が、「政策に集中しろ」という抗議が殺到して、「もう政治とカネは取り上げない」と述べたそうです。おそらく柴山昌彦・衆院議員ではないでしょうか。私は若干、この人の選挙区に土地勘があるけれども、基地があることから政治意識が高いし、東京の大手企業で働いていた人が一戸建てを構えて住んでいるので、民度も高いと思われます。

 それにしても、政治ブログで、小沢一郎氏をいまだに讃えている人って何なんでしょうね。基本的には、地方在住者、低所得者、高齢者に「小沢信者」が多い傾向がありますが、都会でも低所得者は娯楽がテレビなどに限定されるし、そもそも日本人はテレビに脳を犯されているし、この経済困窮状態になってから政治に興味を持った30~40歳代は小沢が新進党解党をはじめ、日本を振り回してきた過去(あるいは歴史的犯罪と言っていい)を知らないし、20歳代の有権者は新しい物に目が行って、流されやすい。

 だいたい予算関連法案が通らなくて困るのは、地方の貧しい高齢者じゃないですか。私はとくだん、すぐには困りませんよ。むしろ、私の兄なんかは、配偶者控除・扶養控除のダブル廃止による増税が先送りになってラッキーなくらいでしょう。予算関連法案が通らなくても困るのは、地方であり、恩給・年金生活者であり、農家であり、離島であり、公共事業受注者である、ということが3月に向けて浸透してくると、形勢は変わってくるかも知れません。困る階層と小沢信者が重なっていることから、小沢系が苦しくなるのでは。このジレンマ。

 まあ、「16人」も選挙区を持たないことから、あまり世論を直に受けるとも思えないけど、毎日ブログを更新してきた笠原多見子・衆院議員が、写真を掲載せず、記者発表文や、予算委員会に出ましたという当たり障りのない表現になっていることから、ある程度圧力を受けているのではないかと考えます。また、17日に、「16人」を個別に説得して歩いた、民主党国対筆頭副委員長の三日月大造さんが、18日の党首討論の理事会のアタマ撮り映像でやたら笑顔だったことに、精神力の強さと、あるいはなんらかの「手応え」を持っているのではないかと感じました。恒三さんと誕生日が同じ5月24日であることから「三日月大造大物説」を裏付けた印象。まあ、5月24日は、小沢氏の誕生日でもあるわけですが・・・。

 ところで、「一時不再議の原則」を調べてみたら、国会法上の規定はないんですね。昨年の通常国会で、自民党は横路孝弘・衆院議長の不信任決議案を2回提出しています。ここに光明を感じます。どういうことかというと、予算関連法案が「衆院で可決(過半数)→参院で否決→両院協議会で不一致→衆議院で再議決したのに3分の2を得られずに否決」された場合、その法案は廃案です。そのタイミングで、菅直人総理が衆院解散に踏み切るという選択肢は十分にある。300小選挙区の人選は、現職だけで300人以上いるから、問題ないし、党財政からしても公認料500万円は出せると考えます。とはいえ、政策面では、修正マニフェストも間に合わないし、税と社会保障の一体改革案も出来上がらないから、「消費税増税」を問えずにもったいない。それよりも、今通常国会の会期は6月22日まであるので、予算関連法案が廃案になったら、ほとんど同じ内容の閣法をもう一度、出し直して、野党に匕首を突き付けるという手もあるのではないでしょうか。

 それと、公明党が地方交付税法改正案にホントウに反対できるのでしょうか。地方議員に突き上げられないのだろうか。

 だから、絶望に近い気分だが、予算関連法案の成立には、いちるの望みを持っています。しかし、政治というのは流れだから、「会派離脱ショック」で完全に菅民主党の流れは止まってしまいました。政治というのはここからの再浮上は極めて厳しい。しかし、これから始まる財金委員会や、総務委員会、厚労委員会の審議で、政権交代チルドレンがしっかりと泰然自若とした質疑を作り上げれば、その人は評価が上がる。けっして消化試合にしてはいけません。辛いけどね。

 まあ、自分でいろいろ書いていて、最近まとまりのない文章になっていることは分かっているけれども、とにもかくにも、書きたいことは書かないと、自分自身が持たない。スパッと切り取って、簡潔明瞭な記事を書くのは、しばらくはどうでもいい。とにかく、国難にあたり、持っている情報、書きたいことはすべて書いていきます。

 ◇

 ところで、今回の事態に関して、笠原多見子・衆院議員は「岡田幹事長は私たちの話を聞いてくれなかった」と指摘しました。今回の16人のうち、1期生の14人は、比例単独「いちもく会」の会員であると同時に、小沢グループ「北辰会」(旧名称・一新会倶楽部)のメンバーです。以前、いちもく会が岡田幹事長と食事会を持ったときには、岡田さんが冒頭に、「きょうは飯がまずくなる話はやめよう」と言って、「支部交付金などの処遇に関する直訴」を封じ込めたことがあったようです。この不満が鬱積して、今回の事件につながってしまいました。18日の国対幹部会で齋藤勁・国対委員長代理がこのことで、幹事長を批判したそうです。ただし、元参院議員((日教組支持、神奈川選挙区)の齋藤さんも現在は南関東ブロック比例単独衆院議員です。まあ、齋藤さんには、なんとかつなぎ役になってほしい。一方、岡田さんと仲がよい、防衛大臣の北澤俊美さんも閣議後会見で、「ここにいたるまで、(執行部との)接点はなかったのだろうか」「執行部は慎重に対応した方がいい」として、岡田さんの対応に一部批判しながらも、岡田さんの「処分はしない」「目くじらは立てない」という2月17日の定例記者会見での発言を支持しています。

私は、2月14日の幹事長定例記者会見で次のような質問をしていました。

[引用はじめ]
http://www.dpj.or.jp/media/kanjicho_kaiken/20110214.html#03

【フリーランス・宮崎記者】岡田幹事長は、違う政党ではあるが、小沢(自民党)幹事長のもとで衆議院議員に当選された。今回21年たって岡田幹事長のもと、こういったこと(=小沢一郎氏への党員資格停止の発議)になって、今どのように思われているか。
 
【幹事長】今日、当選1回の皆さん(=北辰会)も来られて私にいろいろと言われました。私も20年前、派閥(=経世会)が分かれて、小沢・羽田グループ(=改革フォーラム21→新生党)に属して、そして橋本龍太郎さんや野中広務さん(=経世会→平成研)相手に1年生議員ではありましたが丁々発止やりとりをしたことを思い出しておりました。ぜひ今日来てくださった若い議員の皆さんが、しっかり政治家として成長し、そして有権者の皆さんにも理解されて、ぜひ連続当選を果たしてもらいたいと、そう思いながら話を聞いておりました。

[引用おわり]

 しかし、この岡田幹事長の発言は優しいようで、実に厳しい答えです。あの16人が連続当選できる人材に思えますか?  岡田さんは、2度目の選挙は中選挙区でトップ当選し、地盤の四日市が県都・津と分割された小選挙区となった3度目以降は、圧倒的な得票率で当選し、連続7回当選しています。会長と会長代行を名乗る2人の2期生も第40回衆院選で、政治改革ブームの中、中選挙区の下の方で、初当選した人たちです。渡辺浩一郎さんは日本新党、豊田潤多郎さんは、新生党でした。渡辺さん、豊田さんの初当選同期は、安倍晋三、福田康夫両元首相のほか、前原誠司さん、枝野幸男さん、野田佳彦さん、玄葉光一郎さん、河村たかしさんといった面々です。そして、次の選挙で議席を失って、13年ぶりに「小沢名簿」で国政復帰した2人です。それに渡辺さんは選挙区に住んでいなかったはずです。よく、駒込の本社で渡辺さんに似た人を見たので、日本新党の職員に聞いたら、「以前、クルマで送ったときに、選挙区に住んでいないと分かって驚いた」という趣旨のことを聞いた記憶があります。ちなみにこの日本新党職員は、松野さんではなく、今は日本創新党の職員をしています。それはさておき、他の14人もだれ一人、小選挙区は持っておらず、「連続当選を果たしてもらいたい」という岡田さんの発言は、厳しすぎ。

 実は笠原多見子・衆院議員は昨年12月13日のブログで次のように、岡田さんのことを名指しこと避けながら、「原理主義者ではない一面」に初めて気付いたようで、次のような感想を書き綴っています。

笠原多見子・衆院議員の2010年12月13日のブログ・エントリーから全文引用はじめ]

 今日は朝から慌ただしく動いておりました。責任ある役職の方で、すごく理論的にきちんと筋道をたててお話しをされる方だと思った人が、ちゃんとした説明をすることが出来ない事案を、強引に推し進めようとすることにビックリしました。話を聞いていて、思わずイナバウアーをしそうになりました!同席していた多くの方が、同じ思いを共有したのではないかと思います。それにしても、すべての事に共通して言えることは、溝を埋めるのは難しいということです。

今日も部門会議に参加したり、中小企業政策推進議員連盟に出席しました。議連で、増子(輝彦)先生が地元も大事かも知れないが、政権与党の議員しか関われない予算や税制議論をしなければならない大事な時なので、国会に来て、しかるべき旨の発言をするよう、議員を諌めていました。年末の大事な時期の我が党の現状を嘆いてみえる皆様、本当にすみません。

[全文引用おわり]

 笠原さんは、2009年7月までは、自民党県議だった人で、あまり岡田さんのことをよく知らなかったのでしょう。同じ東海ブロックの岡田さんを名指しこと避けながら、「すごく理論的にきちんと筋道をたててお話しをされる」原理主義者だと思っていたのに、「情」と「理」の使い分けができることに驚いたようで、私は当日、彼女のブログを読んで、「ザマーミロ!」と思ってしまいました。しかし、3ヶ月後にこのような事態になってしまい、僕自身が「隙」をつくっていたことに、反省するコトしきりです。しかし、笠原議員を見ていると、「一度裏切る人間は、二度裏切る」という言葉を思い返します。笠原議員にはナントカ思いとどまって欲しい。ところで、アラフォーの笠原議員は、イケメン・アラサーのM議員やS議員とよく飲んでいたようですが、最近はどうなんでしょうか。M議員やS議員も笠原お姉さんの説得に当たって欲しいですね。予算関連法案や小沢新党をつくったら、私も「情」と「理」を使い分けないといけません。

 で、小沢新党といえば、かつて、自由党がありました。これは、数人の友人にしか打ち明けたことがない、思い出話です。まとまらないエントリーの最後に書かせていただきたい。非常にまとまりがない文章だが、とにもかくにも、書かないと。ホントウは、半分、寝込んでいるんですけどね。でも考え出すと、八方ふさがりだから、多くの友人・読者から心配されるけど、挑発的に前に進むととともに、実はあの「16人」が第46回総選挙(小沢卒業選挙=仮称)で、当選してしまう可能性があるということを、指摘したいと思います。

 今は違いますが、以前は、記者章があると、議員宿舎の中に入って、各議員の住まいのインターフォンまで押すことができました。

 衆議院高輪議員宿舎というのがあって、国会議事堂からは遠いのですが、小泉純一郎さんら個性的な議員が多く、かつ夜回り記者は他の宿舎と違い、玄関にビジネスホテルのロビー調のソファーがあったので、雨や寒さをしのいで、おしゃべりしながら、担当議員を待てました。高輪宿舎が夜回り先になると、赤坂・九段・青山・麹町(参議院)の宿舎の担当からはうらやましがられていました。私は当時、新党友愛の担当で、他の宿舎が夜回り先でしたが、野党第4党の小所帯だったので、昼間に議事堂や議員会館、普及しだしたケータイ電話で取材すれば、ほとんどの用が足りていました。そのため、野党第2党の自由党担当の先輩からは、自由党議員でも民社協会所属なら、自由に回って良い、と言われていました。

 新進党解党時には、民社協会としては、タカ派の西村眞悟・議員が自由党に行くのは、「思想信条からしてしょうがない」として容認論があり、また、ベテランの中井洽さんに関しては、どういうわけだか、あまり引き止める人はいませんでした。ただし、中野寛成さんに関しては、長老の吉田之久さんや、関電労組委員長の名物委員長だった足立良平・参院議員らが、猛烈に押しとどめて、「新党友愛」の代表に、吉田先生に怒鳴られながら就任し、第二次民主党の初代代表代行に収まります。

 僕は、國会議員要覧の第41回衆院選の票を見ながら、面識のなかった塩田晋(しおた・すすむ)さんが、自由党から離脱するのではないか、と考えて面識がないのに、突然宿舎に押しかけたました。あるいは取材というよりも、一人の国民としての義憤からの行為で、日経新聞記者の行為として批判されれば、それは甘んじて受けるが、今でも一人の国民として間違った行為ではないと考えています。

 塩田さんは労働官僚出身で、民社党から衆院議員になりました。塩田さんは、最初の小選挙区選挙だった第41回衆院選で、新進党公認・元職ながら、小選挙区で勝ち上がりました。対抗馬は当時新党さきがけの渡海紀三郎さん(後に自民党に復党し、文科大臣)で、塩田さんが7万7919票(得票率43・1%)、渡海さんが7万4615票(得票率41・3%)の僅差で国政復帰を果たしました。

 ところで、「連合が民主党を応援すること」を当たり前のことに思っている人は多いでしょうが、1998年の結党準備会の時点ではそうではありませんでした。新進党解党後、連合がどの政党は応援するかはまだ決まっていませんでした。このため準備会は、連合副会長を務めた前川忠夫・参院議員(第1次民主党)を、第二次民主党の初代組織委員長にあてました。組織委員長に連合副会長をあてたこの人事は、「元連合副会長の参院議員を組織委員長にするから、頼むから連合は、民主党1党だけを応援してください!」というメッセージでした。

 このため、民社協会所属でも、小沢自由党に行った人たちは次の選挙で連合から応援をもらえないことが有力視される状況になったなかで、この塩田議員にねらいを定めて、私は議員宿舎に押しかけたのです。面識のない私に、塩田議員は、自室の玄関先で、ていねいに対応してくださいました。私は「あなたは前回の得票数からして、連合の応援がもらえなれば、次の選挙で、オヤジさんからの後援会がある渡海前議員に勝てるとは思えない」とハッキリ言いました。そうすると、塩田さんは「私の場合は連合以外にも自分の後援会があるんですよね」と答えました。それでも、「小選挙区は厳しいのだから、ムリだろう」という趣旨のことを言いました。塩田さんはそれでも自由党に残るという趣旨のことを言われて、ドアを閉めたと記憶しています。

 ここまで読んで、相当ハラハラされている読者の方もいらっしゃるでしょうが、当時私は24歳で、干支も一回りして、多少の分別もつくようになりましたので、この思い出話を書き続けます。

 さて、2000年の第42回衆院選(神の国解散)で塩田さんがどうなったか。兵庫10区では、自民党に復党した渡海紀三郎さんが9万3554票(得票率46・7%)で勝ち上がり国政復帰。一方、塩田さんは、ナントわずか2万7721票(得票率13・8%)の次々点。前回より5万票減らし、得票率は3分の1以下に落とす大惨敗となりました。なお、民主党公認の辻泰弘さんが次点になりました(辻さんは民社協会で、現在は民主党参院議員)。私の予想通りに塩田さんは、大惨敗を喫したわけです。ところが、ナント塩田さんは比例復活で当選し5選を果たしたのです。というのは、当時比例近畿ブロックは定数30で、小沢自由党はわずか「9・52%」の得票ながら、比例で3議席をとりました。近畿ブロックは全国一定数が多い選挙区で、西村さん、塩田さんが比例復活。京都4区の豊田潤多郎さんは惜敗率15・19%で復活できませんでしたが、比例単独4位の中塚一宏さんまで当選しています。中塚さんは現在は神奈川12区に国替え。豊田さんは2009年に小沢名簿で13年ぶりに国政復帰し、今回の自称・新会派の会長代行になっています。

 つまり、比例近畿(現在は29人)、あるいは笠原議員の比例東海(21人)では、得票率が10%以下の政党でも、比例で1人~3人程度の当選が見込めます。ということは、今回の新会派16人が、小沢新党をつくり、「消費税増税反対、TPP反対、子ども手当満額支給、高速道路完全無料化、小沢一郎氏支持」というマニフェストで第46回総選挙にのぞむと、16人のうち、数人が比例単独で当選する可能性があるわけです。

 もう、こういう小沢マジックを根絶すべきときを迎えています。

 小沢さんに振り回されているだけでは、日本は前に進めないし、私たちの投票行動と国会での意思決定に齟齬をきたす可能性があります。政治を国民の手に取り戻すために。ぜひ、うんざりせずに、16人の説得を続けなければならないし、“小沢卒業”のために、自民党(石破政調会長、小池総務会長ら“小沢被害者”含む)、公明党(新進党解党後、国政では長期低落傾向)も今国会で、協力して、つぎのまた違った局面でのねじれ解消に向けて答えを出さなければいけない。

 そして、何よりも早ければ、ことし5月、遅くとも2013年7月ごろに施行される第46回衆院選を「小沢卒業総選挙」にしましょう。それを強く訴えたいのがとりあえず、現時点での私の心境です。

 このエントリーを書くのには、珍しく2時間ほど時間がかかりました。いろいろ書いてだいぶ楽になりました。最後までお読みいただいた方には、私の与太話におつきあい下さり、感謝します。

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