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・・・ウォーキングの途中にある、港南台西公園での「はと」・・・
一昔前は、すずめが我がもの顔で飛び回っていたが、最近はトント数が少なくなったのか見られなくなった。・・・と言って、はとが多いとも思えないが、スーパなどの広場で見かける印象が強いのか、どちらかと言えば、はとの方が目に付く。
平和の象徴と言われ、神社、公園、駅などで集団をなし、一時期は、人々の生活と隣り合わせに生き、親しまれてきたが、現在は生活環境で、はとのふん被害が深刻となり、やたら増やさないようにと「食べ物を与えないでください」の立て札があちこちに見られる。
人間様同様、はと、すずめも住みづらくなったということか。
この機会に案外知られていない「はと」の生態などを調べてみた。
はとの卵は3・4センチ程の白いタマゴで、普通2個単位で産み、夫婦協力してふ化させ、巣で育てると、3週間程で飛び立つようになる。
半年程で成熟すると繁殖を始め、多いはとでは年に7・8も繁殖を繰り返すらしい。
はとの寿命は、長生きすると10年から20年程生きるという。
はとという名前はパタパタと飛び立つときの音の様子に由来すると考えられ、「鳩」(九+鳥)の字にある(九)は鳴き声(クルッククゥー)からきた、とする説がある。
単なるオッチャンと思うなかれ・・・世界でも知られているという瀦Mの大家である、望月秋羅氏。
前週も紹介した、三石の海岸まで降りる途中にある望月秋羅氏の画廊喫茶、店内は1階と2階にギャラリーがあり、実際の瀦Mや作品の数々が、他の作者、例えば片岡鶴太郎氏の書・絵画などと合わせて、所狭しと飾られている。
作品にあるよう、先生は非常に気さくで ?、お客さんが数人集まると目の前で、瀦Mで一筆書いており、出来上がった色紙は、その場で下され、運がよければ手にすることができる。
師は、若い頃から短歌と書を嗜んでいたが、60歳の時に、窒フ根に直に墨をつけて「書」を書くことを思い付き、瀦ャを創設し、技法の確立と、技術の向上に努め、近年では、斬新さ・格調の高さ・件p性の高さから世界的に認められ、ヨーロッパ諸国で高い評価を受けているという。
現在、89歳でまだまだ血気盛んであり、オドロキである。
我が撃フ師? 森繁久弥、チョイと大袈裟やも知れぬが、高校時代演劇にかぶれていた時があり、役作りに大いに意識したものである。
また、一時 カラオケや宴会時の歌は、決まって森繁節で歌い、大いに喝采を受けたり?もした。
師を意識したのは、高校時代 確かNHKのラジオ番組で、叙情歌の詩の内容に合わせた短いドラマを朗読し、終わりに切々と、その叙情歌を歌うもので、毎週楽しみにし、聞き入ったものである。
それ以来、ファンで尊敬する人で、夫婦善哉、社長シリーズ、駅前シリーズなどの映画の他、舞台、テレビドラマと幅広く活躍し、我が人生の長い期間を楽しませてくれた俳優の一人である。
11月に96歳の生涯を閉じたが、つい先日、NHK衛星第2テレビで、蔵出しビックショーとして、「森繁久弥さんをしのんで」」が放映され、懐かしく視聴したが、これが機となり本ブログに紹介することにした。
6月下旬 朝から蒸暑い某日、写画の題材を探しにみなとみらい21を散策する。
予め大まかな散策コースを決め、先ずは、JR桜木町から動く歩道を経て、略3分のところにある 日本丸メモリアルパークへ。
パーク内には、「太平洋の白鳥」と呼ばれた日本丸が保存、展示されている他、港と船をテーマにした横浜みなと博物館、訓練センターなどがある。
作品の日本丸は、航海練習船として昭和5年に進水した帆船で、昭和59年の退役まで、約183万kmを航海し、約11,500名の実習生を育てたという。
主要諸元は・・・
船種 :(帆装型式) 4檣バーク型帆船
総トン数:2278トン
全長 :97m
全幅 :13m
総帆数 :29枚
定員 :138名
*その後の、海洋練習船としての役割は後継の日本丸II世が担っている。
メモリアルパークを15分ほどで切りあげ、ランドマークタワー、クイーンズスクエアを左に見ながら、海に向かい次の目的地へ。
毎晩、テープとCDで落語を子守唄替わりにしていることは、このブログでも記述したことがあるが、正月以来 半年振りに生に触れてきた。
先週の土曜日、戸塚公会堂で公演された「春風亭小朝 2009年独演会」に赴く。
出演者は、小朝と林家ひろ木の二人のみで、1日限りの公演ということもあったのか、会場の設営・プログラムの構成など、如何にもお手軽に済ました感じが見え見えであった。
ただし、噺の方は小朝の独演会と言うこともあり、「お化け長屋」「粗忽長屋」「越路吹雪伝」とたっぷり三席を務め、堪能させて貰った。
寄席も此処にきて若者の観客が増えてきたというが、若手倹lが出演する漫才・コントと比べ、ファン層が異り、90%以上が還暦を過ぎたお年寄りであったが、定員570席は略満員の盛況で、相変わらずの人気ぶりである。
作品はネットから抽出した画像を、背景彩色を変え、赤字の小朝文字を追加したもの。