写画へのいざない

父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。

赤い靴の女の子像

2009-11-25 20:27:00 | モニュメント・オブジェ

      ・・・赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに連れられて行っちゃった・・・

 ご存知、大正11年に「赤い靴」として、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡であるが、二番の歌詞の「横浜の波止場から船に乗って・・・」の詩の縁で、山下公園の中央に、海を見つめて座っている女の子像が造られた由。

 てっきり、山下公園のシンボルとして、此処だけの像と思っていたが、静岡県の日本平山頂、北海道の留寿都村 、小樽市の運河公園などに、六つもあるという。
 ・・・と言うのも、歌詞は実話を題材にして書かれたということで、少女の関連した場所に夫々造られていったとか。
 
 少女のモデルは、静岡県清水市出身の岩崎かよの娘・きみ(明治35年~明治44年)で、後の、育ての親から買って貰った赤い靴をいつも履いていたという。
 岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、生活苦から、北海道に渡り鈴木志郎と結婚するが、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことになる。
 やがて、ヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、孤児院に預けられる。
 病と闘いながら、少女は9歳の年で独り孤児院で亡くなっているが、その間、育ての親である宣教師の迎えを、波止場に佇んでは待ちわびたといい、作品の像でも分かるよう、港を見つめる姿は、どこか哀愁を感じさせるものがある。

 夏から紹介した、’09年のみなとみらいの散策は、今週を以って終了とするが、この後、中華街にでて、一度味わってみたいと思っていた「刀削麺」を食し、帰路についた。
 残念ながら、期待したほど「刀削麺」なるもの、獅「と思えず。

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フラミンゴ

2009-10-28 14:54:00 | モニュメント・オブジェ

 ・・・日本大通りに面した植え込みに、放し飼い?されているフラミンゴ・・・

 7/5付けで、みなとみらい21を散策し、その際の作品を数回に亘り紹介したが、途中、暑さと疲れで中断し、その続きは後日とした。
 その後7月下旬に続行し、完了しているので、今週以降それを題材にした作品を掲載することにしたい。

 日本大通りは、横浜開港時、通りを挟んで日本街と外国人居留地に分かれたことから、この名が付いたという。
 作品のフラミンゴは、客寄せ用?として、30羽ほど設置されているが、夏場はサマーイルミネーションとして、光のフラミンゴが、オープンカフェと日本大通りの夜を彩るという。
 
 JR関内駅より横浜スタジァムを抜けた先に、本日本大通りがあるが、フラミンゴを横に見ながら、前回中断したみなとみらい線の日本大通り駅に向う。

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ゴジラのオブジェ

2008-06-04 21:00:46 | モニュメント・オブジェ

 有楽町駅から、映画館をはじめ、宝塚、件p座などが集まる歓楽街へ行く途中、日比谷シティに入って直ぐ、通路から目にするシャンテ前公園の「ゴジラの像」である。

 何の為に作成したのか不詳なれど、今は、日比谷での待ち合わせのスャbトになっている由。

 ゴジラの記念すべき第1作目の映画は、まだ、戦争の記憶が生々しく残る時代に「第五福竜丸」「原爆マグロ」などの社会不安を背景にしたストーリーで、爆発的にヒットしたという。
 即ち、昭和29年に産声をあげたゴジラは、怪獣映画の原点となっており、今日まで29作品が作られているという。
 こんなことから、ゴジラ様様ということで、この記念像が設置されたのか。?

 本物の「ゴジラの像」を見た方は、その原版を基に作られた写画とあまりにもかけ離れ、結びつかないと思うが、背景を塗りつぶし、太陽を書き加え、その後 モザイクバブル効果を用いたものである。

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かぶと虫

2008-05-14 20:56:29 | モニュメント・オブジェ

 4月の後半に、みなとみらいのランドマークタワーを訪れた方は、ご覧になったと思うが、入口に展示されていた、ステンレス製の巨大なカブトムシのオブジェ。

 製作者は、昭和19年生まれのステンレス彫刻家の中嶋大道で、今は、北アルプスの麓、安曇野穂高に大きな工房を建て、制作に打ち込んでいる由。
 作品は、トンボ・トノサマバッタ・ちょう・かまきり・アリなど、昆虫を主体に、恐竜・リス・白鳥・鳥など多彩で、数多く手がけている。

 素材は、ステンレスの4~6mmの板材で、機械や道具を使って切断→プレス→溶接→研磨まで全て自分の手で行って作品を創り出すという。今までの最大は、高さ12m、重さ5tで、因みに、カブトムシは、高さ3.3m、幅5m、重さ2tで、結構大きいものである。

 完成された彫刻は、生まれた長野県に多く、公園、役場、駅、動物園などに設置されている他、各地で展示会も実施されている。
 このカブトムシも、みなとみらい地区のドックヤードガーデンに、ゴールデン・ウイーク期間中、他の作品20点と共に展示されていた由。(5/1の朝日新聞より)

 作品は、背景を塗りつぶした後、鉛筆スケッチ効果を用いたもの。
 
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我輩は石である

2008-03-12 20:54:47 | モニュメント・オブジェ

 JRの港南台駅前通りの傍らにある「我輩は石である」という名のモニュメントである。

 既に、2005/8 と 2007/8 に同じ通りにある2作品、「涙」と「宿借り」を紹介しているが、本品も横浜彫刻展での受賞作品で、高橋浩之氏が作成し、平成4年に設置されたものである。
 高橋氏の実家は、滋賀県蒲生郡で石材店を営んでおり、記念碑・墓石・庭・彫刻などを扱っているとか。

 石の加工は、どういう技術があるか知る由もないが、あの固い石を衝撃を与えたように割れ目を2ヶ所設け、これを、ヒビが入った半面で支えている技巧、また、一部 石面を湾曲させている技巧など、ここを通るたびに、どのようにして作成したのか不思議に思う。

 作品は、彫刻品の画像を損ねたくないため、エンボス効果を用いて写画にしたもの。
 
 
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