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翌日、今回だけは外れて欲しいと願った天気予報はずばりと的中し、夜明け前から風雨が激しく、午前中はそのまま続くという。
旅行なんて1年に1回あるか、ないかなのに、この巡り合わせの悪さ、激しい雨の中を8時半に旅館を出て、ほぼ1時間弱にて、次の観光地である下賀茂の「みなみの桜と菜の花畑」に到着。
折角 来たのだからと激しい雨の中を、青野川の河畔を花街道マップを頼りに散策・・・と言えば優雅だが、傘を差していても、肩からズボンの裾にかけてずぶ濡れで、しかも寒く、此処では90分の観光時間があったが、20分ほどで引き揚げるあり様。
さて、残った1時間あまりをどう潰しましょう。
作品は、橋の中央から雨にけぶる河畔の桜を撮ったもの、構図的には気に入っているのだが、肝心の桜がぼやけており残念。
もう一つの「菜の花畑」は、雨のためバスの車窓からの観賞に留まった。
・・・河津の桜まつりの観光を終え、宿泊地の下田温泉に着いたのが午後5時弱・・・
夕食後、幻想的な河津の「夜桜」鑑賞が予定されていた。即ち、玄関に7時半に集合し、昼間観光した河津町までバスで案内するという。
ただし、参加・不参加は自由で、行く人は、食事を済ましていること、寒いため風邪を引かぬよう風呂に這入らないこと・・・が要請された。
結論から述べれば参加しなかったのだが、その理由は・・・
1.旅行の楽しみの一つが、風呂→ビール→食事だが、この順序が壊されること
2.バスガイドが説明した際、寒いことを強調し、前回は2名しか参加しなかったこと
などで、参加を決め兼ねていたが、フロントへの食事予約に対して、45分も待たされてもその回答が無く、止むを得ず再度問い合わせをする始末で、食事にありつけたのが、6時半を過ぎており・・・これが不参加の決め手となり?河津の夜桜見物はまぼろしと化した。
翌日、添乗員から夜桜の説明があったが、参加者は12名で、当日は比較的暖かく、好評であったとのこと・・・残念。
作品は、そんなことも考え幻想的な画像にしてみたのだが・・・
・・・つるし雛の稲取を2時15分に出て、略45分で河津の桜まつりへ・・・
つい最近まで、河津桜の存在さえ知らなかったが、ここ数年で全国的に浸透し、今では「河津桜まつり」として、150~200 万人規模のイベントになっているという。 ただ、河津桜は、立ち木が低く、花びらのピンクの紅が濃く、約1ヶ月も咲き続けるということで、パーっと咲いてパーっと散る江戸っ子気風の染井吉野などと比べると、くどい感じがし、あまり好感できなかったのは残念。
観光に当たり、伊豆急河津駅周辺の桜のイラストマップと、時間90分が与えられたが、観て回ったのは、樹齢50年以上とされる河津桜の原木と、河津川の堤を桜を愛ながら数百m歩いたのがヤット。
マップの30%も回っていず、バスの出発まで40分程度残っていたが、寒くて 既にくたびれ、バス駐車場付近の出店コーナーをプラプラし、時間を潰した。
作品の菜の花は、盛りを過ぎており冴えなかったが、花びらを点描で書き加えた後、水彩効果を用い らしく してみた。
(どの作品もそうだが画像をclickし大きして見てほしい・・・写画がより引き立つ)
熱海からバスに乗り換え1時間40分、最初の観光地である「雛のつるし飾り」発祥の地である稲取温泉に着。
いまでは「つるし飾り」は、関東地方各地で見られるが、雛の和裁細工のさげ物の風習は全国でも珍しく、九州柳川地区のさげもん、山形坂田地区の傘福と、この伊豆稲取地区の「雛のつるし飾り」と三地区の風習は、歴史的な背景や由来、文献など数多く残っているという。
稲取の雛のつるし飾りの風習は、江戸時代 お雛様を購入できる裕福な家庭はまれで、せめて、お雛様の代わりに、愛する子供や孫のために手作りで、初節句を祝おうという、切ない親心から生まれたのが発端という。
既に、100年以上の歴史を持つが、さげ物は30前後の種類があり、それぞれ意味を持つており、例えば、「ふくろう」・・呪力、福や不苦労をかけて 「すずめ」・・五穀豊穣をあらわして、食に恵まれるように 「とうがらし」・・虫よけの効果があることから娘に虫がつかないように などの意味を持つ。
今年、小学校に入学する孫娘に喜んでもらおうと、お手頃な値段の「雛のつるし飾り」をお土産にと手にした。
作品は、文化公園 雛の館に飾られた「雛のつるし飾り」のひとつ。