父のブログは2005年6月から2010年4月まで、息子のブログは2014年5月から、それぞれご覧いただけます。
江の島に着き、参道を両側のお土産店を覗きながら7~8分も歩くと、正面に江島 (えのしまと読む) 神社への入口である朱の鳥居がある。
その左横に「エスカー」と呼ばれるエスカレータ乗り場があり、三基を乗り継いで頂上まで登ることができる。
勿論、階段を歩いて登ることもできるが、今回は350円を払って、これのご厄介になる。
一基のエスカレータを降りたところに、江島神社の一つである辺津宮があり、その境内の傍らに、作品の「龍神と銭洗い」がある。
銭洗弁天は鎌倉が言わば総本家だが、辺津宮の銭洗いの水は、その水源に純金の小判が沈められており、「弁財天黄金浄水」とも呼ばれている。
往昔より、龍は水の神として尊崇されてきたが、弁財天の神使 白龍王は、関東における最も信仰の篤い龍とされています。
御玉よりほとばしる霊水で、金銭を洗うと金運向上、財宝福徳のご利益があるというが、今は紙幣が大半を占め 後処理が面唐ネのか、又は、信仰が薄れてきているのか、小生が見ていた限りでは、結構 人が出ているにも拘らず銭を洗っている人は見あたらなかった。
作品は、エンボス画像処理後、切り絵効果を用い処理したもの。
・・・横浜周辺に住んでいれば、一度は訪れたことがあると思う名勝地 江の島・・・
歳を重ねるにつれ朝起きたとき、頭・身体ともスッキリしていることが、極端に少なくなった昨今、偶々調子の良かった、7月初旬の蒸し暑い日、急に思い立ち10数年振りに江の島に出鰍ッた。
今まで 車でしか行ったことがなかったが、今回はウォーキングを兼ねJRの大船駅からモノレールで湘南江の島駅にでたが、このモノレール、速度は65km/h前後であるが、上から吊り下げられている構造からか・・・揺の大きいこと地震みたいで、江の島駅までの約15分間 あまり気分のいいものではなかった。
湘南江の島駅から島の参道の入り口まで、30分程度、更に辺津宮・植物園を経て一番奥の岩屋まで30分、上り下りの坂と階段が多く、ぐっしょりといい汗を掻かせてもらった。
作品は、今や 江の島のシンボルともいえる展望灯台をトーンカーブ効果を用い画像処理し、その上から加塗りしたものだが、塗った部分が雑な感は否めないが、面白く仕上がっていると思う。
「のうぜんかずら」を漢字にすると「凌霄花」と書く由、即ち、霄(しょう)は空を意味し、他の樹木に絡み付いて天空を凌(しの)ぐ気配で、高くのびて咲くことから付けられたという。
冬場に剪定した時は、か細い枝ばかりで緑系の色彩は無く、茶系色でスカスカの状態であったが、春から夏にかけて この繁殖のすざましさ・・・今は 向こう側が見えないほどの花盛りで、既述したように画面 右側のしゅろの木に絡み付いて咲き誇っている。
ひとつひとつの花の命は短く、盛りの過ぎた花が散り際よく散っていく隣で、出番を待つつぼみが入れ代わり立ち代り咲き、何処からそんなエネルギーが湧いてくるのか・・・そんな状態が略1カ月 続くが、その間、朝と夕 散り落ちた萎れた花びらを曹ォ清めるのが日課となっている。
作品は我が家の玄関前に咲く、のうぜんかずらをペイント・ドライブラシ効果を用い画像処理したもの。
・・・スーパーや八百屋など、売り場では絶対 目にしない、この奇形なキュリ・・・
3年前に病を患い、暫くの間 外出が儘ならなくなり、その時から始めたプランターによる園戟B
植えるのは今のところ、代表的なキュリ・ナス・トマトの3点のみであるが、愛情を込めた料理が美味しいのと同様、自ら手を加え育てたものは市販品と異なり、採り立ての味の獅「こと・・・これが忘れられず、今年も5月の連休前に苗を植え、今、収穫期を向かえている。
作品は、冒頭に既述した採り立て前の奇形なキュリをエンボス効果にて画像処理したもの。
・・・何度振っても出る目は雀の目ばかり・・・
一時は、雀 気狂いと言われるほど、一週間に4~5日も浸り、且つ、休みの前日は徹夜と無茶なことを繰り返したが、今は、それも遠い若かりし頃のこと。
麻雀との付き合いは、小学校5年生の頃で、5/17 の「花札」の項で既述したが、4人兄弟であったため人数合わせもあり、強引に加えられ、覚えさせられた感がある。
花札同様、この遊びは賭け事の色彩が強く、出来るようになると幼いのに容赦なく、おやつ・おかず・お年玉で貯めた小銭・・・と、何かしら賭けていた記憶がある。
習いたての当時は雀牌が買えず、長兄がチョコレート色したベークライトを牌形状に成形し、それに彫刻刀とドリルで文字を入れ、手作りしたものを愛用していた。
新しい牌を購入してからも、暫くは実家にあったのだが・・・今残っていれば骨董扱いであろう。
そんなことで、麻雀は10歳頃から親しみ、今日まで長い期間付き合い、且つ、それが青春~壮年時代と人生の中で最も大事な時に、多くの時間を費やした遊びといえる。
今となっては、それで良かったかどうか・・・答えのでない問答を時々繰り返しているが、少なくとも麻雀という遊びを知らずにいたら、味気ない人生になったものをと・・・思うことで、人生に於ける 遊び「麻雀」を肯定している。