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さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」 「あたろうか」
しもやけ おててが もうかゆい
ご存知、巽聖歌 作詞の童謡「たきび」の歌詞だが、さざんかというと、直ぐ この「たきび」を連想する。
さざんかは、ツバキ科の常緑広葉樹で、秋の終わりから、冬にかけての寒い時期に、花を咲かせ、今の時期 あちこちに見られる。
ツバキ科に属するということで、さざんかと椿はよく似ているが、花が散るときが異なり、椿は花弁の基部が合着しており、ボテッと花全体が落ちるのに対し、さざんかは花びらが一枚いちまいばらばらに散ります。
散り始めから終わるまでの状態から、さざんかの方が気品があり、小生としては、椿よりさざんかが好きである。
それにしても、冒頭の「たきび」の歌詞、今の子供が理解できるだろうか。
「たきび」は、CO2の排出、安全面などにより数10年前から家庭では禁止されているし、
「しもやけ」も、生活環境の向上になどにより、先ず都会の子等は、この、痛がゆい状態も、
経験または体験したことがないと思うためである。
作品は、近所のフェンス越しに咲いていたさざんかを、ャXタリーゼィションと切絵効果を用い写画にしたものだが、質素で気品ある画像に仕上がったと思っている。
保育園のお姉さんに見守られ、跨線橋のフェンスの金網をしっかりと掴み、下を覗きながら電車が通るたびに喚声をあげる園児たち。
ウォーキング途中の、JR 港南台駅近くの跨線橋でよく見る微笑ましい光景である。
現役の頃は、速さの点からもっぱら京浜急行オンリーで、JRは滅多に利用したことがなかったが、今では、時間に余裕もでき 横浜・大船方面ともJRである。
作品は、園児の目線から撮りたかったが、金網が邪魔し、チョット外れた脇から撮ったもの。撮った場所の前方が下り坂になっており、その先の中央にトンネルから出てきた電車が捉えられる。
作品はペイントドライブラシ効果を用いたものだが、肝心の電車が小さすぎ残念。
今か今かと、つぼみが見られてから、ほぼ、3週間 今週の日曜日にヤット花が開いた我が家のねりね。
彼岸花に似ているが、ご推察の通り、南アフリカ原産のヒガンバナ科の球根性植物で、日本には明治~大正時代にやって来たという。
数年前に近所の人から球根を貰い植えたものだが、それ以来、この時期になるとひょろ長い茎の先に、彼岸花より花弁が太いだけにあでやかな花が開き、我が目を和ましてくれる。
名前の由来は、ギリシャ神話の妖精、ネレイデスを元にしたと言われ、花言葉は、「また会う日を楽しみに」・「忍耐」・「輝き」という。
作品は、エンボスとャXタリーゼーション二つの画像処理効果を用いたものだが、被写体のもつ色彩もあり、赤・黄・緑のバランスのよい作品に仕上がっている。
家系存続のため、不幸な結婚をしいられた女、路が、上意討ちに失敗して周囲から「役立たず」と嘲笑され、左遷された曽根兵六に、亡父から受継いだ無外流の秘伝を教える。
粗忽者だが、夫よりはるかに人間らしい昔の父の弟子、曽根兵六によせる、武家の娘の淡い恋心を、かえらぬ燕に託して描く、情緒豊かな藤沢周平の作品。
先に紹介した「麦屋町昼下がり」同様、1時間足らずで読める短編で、ご推奨。
藤沢作品は殆ど愛読しているが、その魅力は、登場人物の性格や、自然描写の緻密さがあげられ、中でも女性の献身的で、躾のよさ、また、自制心に富み、欲望や感情をむげにだすことのはしたなさ、などを描かしたら絶品といえよう。
その代表例が、作品「蝉しぐれ」の最後に、お福が20年ぶり文四郎に再会したときにいう科白・・・この哀切さに集約されているように思う。
「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
作品は、表紙の挿絵をトーンカーブ効果を用いたもの。