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東大寺の四点王の胸像である。
元々、仏国土インドが発祥で 四点王とは、仏法を守護する鬼神で、仏教の世界説で、世界の中心に高くそびえ立つ須弥山の中腹に住み、東・西・南・北と4人で四方を守るという。
左側:広目天(こうもくてん)
西方世界を守護する。
古代インド神話に登場する Virupaksa (千里眼を持つ者)という意味から、この名がついたという。
その名が示すように、全ての世界の出来事を漏らさずに見届け、この世の真実を書き留めるため、手には巻物と筆を持ち、邪鬼を踏みつけた姿で表現されている。
四天王の中では、一番の男前で この人だけは武器を持っていない。
右側:持国天(じこくてん)
東方世界を守護する。
古代インド神話に登場する Dhrtarastra (国を支える者)という意味から、原名がそのまま和名となったという。
日本国内における時国天は、四天王の中で雄一兜をかぶり、長剣を構えて邪鬼を踏みつける姿が一般的である。
夫々の作品は大分前になるが、朝日新聞に東大寺 四天王の記事が掲載され、そこの写真をスキャナーでパソコンに撮り込み、原版にしたもの。
本来 全身像で、両手に持っている物、衣服、足元などが判らず残念であるが、逆に顔の表情が克明で、写画を作成するうえではメリットとなっている。
江の島に着き、参道を両側のお土産店を覗きながら7~8分も歩くと、正面に江島 (えのしまと読む) 神社への入口である朱の鳥居がある。
その左横に「エスカー」と呼ばれるエスカレータ乗り場があり、三基を乗り継いで頂上まで登ることができる。
勿論、階段を歩いて登ることもできるが、今回は350円を払って、これのご厄介になる。
一基のエスカレータを降りたところに、江島神社の一つである辺津宮があり、その境内の傍らに、作品の「龍神と銭洗い」がある。
銭洗弁天は鎌倉が言わば総本家だが、辺津宮の銭洗いの水は、その水源に純金の小判が沈められており、「弁財天黄金浄水」とも呼ばれている。
往昔より、龍は水の神として尊崇されてきたが、弁財天の神使 白龍王は、関東における最も信仰の篤い龍とされています。
御玉よりほとばしる霊水で、金銭を洗うと金運向上、財宝福徳のご利益があるというが、今は紙幣が大半を占め 後処理が面唐ネのか、又は、信仰が薄れてきているのか、小生が見ていた限りでは、結構 人が出ているにも拘らず銭を洗っている人は見あたらなかった。
作品は、エンボス画像処理後、切り絵効果を用い処理したもの。
ウオーキングの足をチョット伸ばすと、鎌倉街道沿いの小高い森の中に、日野郷四ケ村の総鎮守であったという春日神社がある。
京都仁和寺の僧都が、この地に錫を止め神祠を建立したという。建立後 900年を越える歴史があり、長い石段を登りきると、正面に横浜市の重要文化財に指定されている社殿があり、また、回りの社業林も天然記念物に指定されているという。
この神社には、ここ数年元旦に初詣に訪れるのを恒例としている。お正月は石段の上に提灯が吊るされ、上り下りともお参りの人で賑わっているが、夏の夕方、足を伸ばし来てみたが、社務所は閉まっており、人影も見えず、静かな佇まいだけがあった。
そんな森閑とした神社を、画像にしたかったが、サイケデリックな写画になってしまった。
鎌倉八幡宮といえば、関東近辺に住む者ならば、学校の遠足、家族旅行、会社の旅行、デート・・・と一度は訪れた場所。
中でも、800年の歴史を見つめてきた御神木の大銀杏を左前面に、その右に大石段を、奥に本宮を配した、この被写体は必ず目にし、その時の過去の出来事と想いあわせている方もいると思う。
そんなノスタルジアを感じて貰おうと、敢えてセピア色のモノトーン写画にしてみたのだが如何。
鎌倉を題材とした作品も一先ず今週で終わりだが、なんと言っても、この地は被写体が豊富であり、また機会を見つけ採り上げてみたい。
建長寺は、北鎌倉から鎌倉に抜けるコースの略中央に位置し、関東約500ある臨済宗・建長寺派寺院の総本山である。円覚寺より33年古く、今から756年前、北条時頼により創建される。
作品のカメラアングルは、円覚寺同様随所に見られるもので、何とか変ったものをと思い、今まで用いていない、ステンド・グラス効果を用いてみたが、グラスの目が細かすぎ、説明を加えないと判らず、また、画像自体も今一つバーッとせず平板な作品となってしまった。
右の作品は汚名挽回をと、同じ原版を用い波形効果を施してみたが、奇抜さはあるが、美的価値は低く、満足な結果は得られなかった。
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・・ということで、いずれも意にそわないが、今週は駄作2作品を以ってご勘弁を願う。