皆さん、充実したお休みをとれましたか?
まだお休みの最中の方もいらっしゃるでしょうね。
私は勿論他にする事も無いので、光舜堂と、弓造り、と、中国琵琶の直し、これ黒檀だと言われていました、確かに見た目は、
でもシャム柿かなとも思っていましたところ、塗装替えを頼まれていましたので削りなおしたのです。
でも、塗装をはがしたら、出てきたのは、、、まあ、少なくとももう少し黒い物と思いましたが、茶色の綺麗な木目、
流石中国の塗装技術は素晴らしい。この茶色の木が黒檀に見えるように塗装するというのは、かなり高度のテクニックです。
とこんな生活でしたが、先週の日曜日、相当弾き方にくせのある方が、複数名いらっさいました。
私の意見はどんな弾き方であろうとそれぞれの体にあってその手の形癖などにあって、なおかつ良い音そして音楽を聞かせてくれるなら、
見た目はともあれどんな弾き方しようと良いと思っています。
特に二胡はですね。
ヴァイオリンやチェロはそうはいきません。
楽器自体の完成度が高いですから、演奏家それぞれにとんでもなく違うという弾き方は無いようです。
勿論弓を持つ右手の形はそれぞれ少しずつは違います。
この持つという言い方は二胡に関してはやめた方が良いかなと、、、
弓を持つのではなく、手の上に載せる、という言い方ぐらいはどうでしょうか。
中西桐子ちゃんは、(失礼、もうおネイさんですね)、桐子さんは、「運ぶ感じ」と言っていました。
これはとても良い言い方かもしれません。
何しろ運弓といいますから。
「持つ」とい言いますとどうしてもかなりしっかり指で弓を握ってしまうイメージがとれないですからね。
チェロなども、弓が落ちない程度に指に引っ掛けて、運んでいる感じです。
ところがまっすぐに弓を引くことこそ大事と、先生に厳しく言われたのかどうか。
まっすぐに弾くために手も腕もがちがちに固めて力が入ってしまう人も多いのです。
がちがちに固めても、まっすぐには弾けます。
そこそこ安定した「運び」でありさえすれば、かなり鳴る感じはします。
でも音色は相当良く無いです。
どうも、まっすぐに弾くことは教えられていても手の力を抜いた上で弓を引くということは教えられていないような気がします。
その欠陥を補うためかどうか相当千金の位置を高くして、良くなることを主体に教えている先生もいますが。
二胡そのものがそのような構造になっていません。
ですから弦を本来ならば作らなければならないでしょうし、木軸も長さなど変えなければいけないのですが、
そこまでは考えていないようです。
千斤の位置を高くすると弦は良く振動します。
ピアノなども低い音の方が弦が長いですから、よく音が伸びたりももしますね。
高い音は音がすぐ止まります。
あれは弦が短いので振動の余裕が無いからです。
それはともかく、これを指導している先生自体はとても良い音で鳴らしますしテクニックもあります音楽性も良いのでしょう。
しかしそれはそれまでに鍛えてきたご自身の体の癖の延長でしかないと思うのです。
あるいはこの方が良い音が出るという考え方から来た楽器の調整法なのかもしれませんが。
大人になってから、この高い千金の二胡を弾くのを覚えるというのはどうも過酷なような気がします。
そうでなくとも良い音色で、ましてや相当な鳴りで弾く人はたくさん居ますから。
また、弓の毛をかなり緩く弾く方も何人かお見えになりました。
これは癖というのか弾き方の一種でもありますが、
弓の毛を緩く張ると弦に対して弓の毛の引っ掛かりがとても良くなります。
ですから本来はかなり毛の数も少なく、150本ぐらい(ふつうは230本ぐらいです)毛もそれほど強く無かった今までの弓でこそ良い音がする弾き方でしょう。
また最近では少なくなった、弓の竹をがっちり握りこむ方もいらっしゃいます。
「いやー、どうも良く音が出なくて」とおっしゃるので、少しだけ弓の持ち方、のいろいろをお伝えしたところ、
「先生がこのように弾けと言っているので、でも、教えてもらったとうり竹に力を入れないようにしたら良くなりますね、、どうしようかな、弓の持ち方変えたら先生に怒られてしまう」
いずれにせよ教室に入る時に、この方の二胡の音色が好きとこのとは一番上手と思って教室に入られる方も多いでしょうね。
そうするとどうしても先生のおっしゃる通り、、、ということになるのは、これは必然でしょう。
でも、この地域には子の先生きりいないのですという地域も多いとは思います。
でもです、、一通り教わったらご自分でも研究というのは大切なのではないですかね。
ある演奏家が、「地方へ行くと演奏中に二胡の愛好家の方たちが、演奏している自分の右手の方ばかり見ている」と、
それだけ皆さんご自分の弓の持ち方などに疑問を持っている方も多いのでしょう。
勿論右手は動いていますから眼がその右手を追いかけてしまうということは、あるかもしれませんが、
ヴァイオリン等の演奏会では、ほぼない事です。
これだけ弾き方が違うということそのものが、二胡と言う楽器がまだまだ完成された楽器では無いということの証明かもしれません。
それでも良いのです、
皆さんが、まず脱力して、それからまっすぐに弓を動かして、色々な弓の持ち方を研究して、これなら良い音色がするということになりさえすれば。
人の体はそれぞれ、動き方が違います。
ましてや長い間にそれぞれの仕事や生活で出来上がった筋肉というのがあります。
子供のころから、ヴァイオリンにしろ、二胡にしろ弓を運ぶ落ちう事をやってきていなくても。
良い音色が出せるような、運弓の仕方というのは考え出せないものでしょうか。
まだお休みの最中の方もいらっしゃるでしょうね。
私は勿論他にする事も無いので、光舜堂と、弓造り、と、中国琵琶の直し、これ黒檀だと言われていました、確かに見た目は、
でもシャム柿かなとも思っていましたところ、塗装替えを頼まれていましたので削りなおしたのです。
でも、塗装をはがしたら、出てきたのは、、、まあ、少なくとももう少し黒い物と思いましたが、茶色の綺麗な木目、
流石中国の塗装技術は素晴らしい。この茶色の木が黒檀に見えるように塗装するというのは、かなり高度のテクニックです。
とこんな生活でしたが、先週の日曜日、相当弾き方にくせのある方が、複数名いらっさいました。
私の意見はどんな弾き方であろうとそれぞれの体にあってその手の形癖などにあって、なおかつ良い音そして音楽を聞かせてくれるなら、
見た目はともあれどんな弾き方しようと良いと思っています。
特に二胡はですね。
ヴァイオリンやチェロはそうはいきません。
楽器自体の完成度が高いですから、演奏家それぞれにとんでもなく違うという弾き方は無いようです。
勿論弓を持つ右手の形はそれぞれ少しずつは違います。
この持つという言い方は二胡に関してはやめた方が良いかなと、、、
弓を持つのではなく、手の上に載せる、という言い方ぐらいはどうでしょうか。
中西桐子ちゃんは、(失礼、もうおネイさんですね)、桐子さんは、「運ぶ感じ」と言っていました。
これはとても良い言い方かもしれません。
何しろ運弓といいますから。
「持つ」とい言いますとどうしてもかなりしっかり指で弓を握ってしまうイメージがとれないですからね。
チェロなども、弓が落ちない程度に指に引っ掛けて、運んでいる感じです。
ところがまっすぐに弓を引くことこそ大事と、先生に厳しく言われたのかどうか。
まっすぐに弾くために手も腕もがちがちに固めて力が入ってしまう人も多いのです。
がちがちに固めても、まっすぐには弾けます。
そこそこ安定した「運び」でありさえすれば、かなり鳴る感じはします。
でも音色は相当良く無いです。
どうも、まっすぐに弾くことは教えられていても手の力を抜いた上で弓を引くということは教えられていないような気がします。
その欠陥を補うためかどうか相当千金の位置を高くして、良くなることを主体に教えている先生もいますが。
二胡そのものがそのような構造になっていません。
ですから弦を本来ならば作らなければならないでしょうし、木軸も長さなど変えなければいけないのですが、
そこまでは考えていないようです。
千斤の位置を高くすると弦は良く振動します。
ピアノなども低い音の方が弦が長いですから、よく音が伸びたりももしますね。
高い音は音がすぐ止まります。
あれは弦が短いので振動の余裕が無いからです。
それはともかく、これを指導している先生自体はとても良い音で鳴らしますしテクニックもあります音楽性も良いのでしょう。
しかしそれはそれまでに鍛えてきたご自身の体の癖の延長でしかないと思うのです。
あるいはこの方が良い音が出るという考え方から来た楽器の調整法なのかもしれませんが。
大人になってから、この高い千金の二胡を弾くのを覚えるというのはどうも過酷なような気がします。
そうでなくとも良い音色で、ましてや相当な鳴りで弾く人はたくさん居ますから。
また、弓の毛をかなり緩く弾く方も何人かお見えになりました。
これは癖というのか弾き方の一種でもありますが、
弓の毛を緩く張ると弦に対して弓の毛の引っ掛かりがとても良くなります。
ですから本来はかなり毛の数も少なく、150本ぐらい(ふつうは230本ぐらいです)毛もそれほど強く無かった今までの弓でこそ良い音がする弾き方でしょう。
また最近では少なくなった、弓の竹をがっちり握りこむ方もいらっしゃいます。
「いやー、どうも良く音が出なくて」とおっしゃるので、少しだけ弓の持ち方、のいろいろをお伝えしたところ、
「先生がこのように弾けと言っているので、でも、教えてもらったとうり竹に力を入れないようにしたら良くなりますね、、どうしようかな、弓の持ち方変えたら先生に怒られてしまう」
いずれにせよ教室に入る時に、この方の二胡の音色が好きとこのとは一番上手と思って教室に入られる方も多いでしょうね。
そうするとどうしても先生のおっしゃる通り、、、ということになるのは、これは必然でしょう。
でも、この地域には子の先生きりいないのですという地域も多いとは思います。
でもです、、一通り教わったらご自分でも研究というのは大切なのではないですかね。
ある演奏家が、「地方へ行くと演奏中に二胡の愛好家の方たちが、演奏している自分の右手の方ばかり見ている」と、
それだけ皆さんご自分の弓の持ち方などに疑問を持っている方も多いのでしょう。
勿論右手は動いていますから眼がその右手を追いかけてしまうということは、あるかもしれませんが、
ヴァイオリン等の演奏会では、ほぼない事です。
これだけ弾き方が違うということそのものが、二胡と言う楽器がまだまだ完成された楽器では無いということの証明かもしれません。
それでも良いのです、
皆さんが、まず脱力して、それからまっすぐに弓を動かして、色々な弓の持ち方を研究して、これなら良い音色がするということになりさえすれば。
人の体はそれぞれ、動き方が違います。
ましてや長い間にそれぞれの仕事や生活で出来上がった筋肉というのがあります。
子供のころから、ヴァイオリンにしろ、二胡にしろ弓を運ぶ落ちう事をやってきていなくても。
良い音色が出せるような、運弓の仕方というのは考え出せないものでしょうか。