【写真:ベングリオンとポーラの墓】
「スデーボケルというのはですね、〈牛飼いの野〉という意味です。ここは1952年、もともと牧場であった所に、兵役を終えた青年たちが入植して建てたキブツです。初代首相のベングリオンが、1953年、自ら第一線を退いて、このキブツに住み始めたことから、一躍脚光を浴びるようになりました。
彼はすでに高齢に達していましたけれども、自然の困難を克服していくことが、新たな沃地をもたらし、民族に自身と勇気を与えると考えていました。多くの人たちは、その不可能なことを思って嘲笑したと伝えられています。しかし彼は、開拓魂に燃える青年と、ユダヤ民族の頭脳をもってすれば、きっとこの土地は甦るであろうと信じて疑わなかったそうです。
また、偉大な祖父たちが生きたのはこのネゲブであり、イスラエルの未来の道しるべである聖書の一舞台としても重要であることを思い、ここの開拓に全てをかけて生きようとしました。そして、その信念を自ら身をもって実行されました。しかしですね、2年後の総選挙の結果、再び首相に任命されるわけです。1963年にはこれを辞任し、再びスデーボケルの地で、砂漠の開発に努めました」
妻ポーラと並んだお墓の前で、ガイド倉田さんの説明にほろりとします。墓石の上には、子供たちがいたずらしたように、小石がたくさん乗っていました。管理人が毎日お掃除してきれいにしても、旅行者が敬意うを表して一個ずつ置いていくらしいのです。このお墓のあるところが、スデーボケルの橋の頂上になっていて、石垣の向こうは、チンの荒野が広がっています。写真には、それを眺めて言葉を失っている人たちが遠くに見えています。
次回は、向こうに見えるチンの荒野を紹介します。
「スデーボケルというのはですね、〈牛飼いの野〉という意味です。ここは1952年、もともと牧場であった所に、兵役を終えた青年たちが入植して建てたキブツです。初代首相のベングリオンが、1953年、自ら第一線を退いて、このキブツに住み始めたことから、一躍脚光を浴びるようになりました。
彼はすでに高齢に達していましたけれども、自然の困難を克服していくことが、新たな沃地をもたらし、民族に自身と勇気を与えると考えていました。多くの人たちは、その不可能なことを思って嘲笑したと伝えられています。しかし彼は、開拓魂に燃える青年と、ユダヤ民族の頭脳をもってすれば、きっとこの土地は甦るであろうと信じて疑わなかったそうです。
また、偉大な祖父たちが生きたのはこのネゲブであり、イスラエルの未来の道しるべである聖書の一舞台としても重要であることを思い、ここの開拓に全てをかけて生きようとしました。そして、その信念を自ら身をもって実行されました。しかしですね、2年後の総選挙の結果、再び首相に任命されるわけです。1963年にはこれを辞任し、再びスデーボケルの地で、砂漠の開発に努めました」
妻ポーラと並んだお墓の前で、ガイド倉田さんの説明にほろりとします。墓石の上には、子供たちがいたずらしたように、小石がたくさん乗っていました。管理人が毎日お掃除してきれいにしても、旅行者が敬意うを表して一個ずつ置いていくらしいのです。このお墓のあるところが、スデーボケルの橋の頂上になっていて、石垣の向こうは、チンの荒野が広がっています。写真には、それを眺めて言葉を失っている人たちが遠くに見えています。
次回は、向こうに見えるチンの荒野を紹介します。