イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

77. たとい死んでも

2006年10月07日 | Weblog

 【写真は下山途中】

「それならば父なる神さま、せっかくここまで来たのですから、私をも光を出す石にして下さいな。暗闇を照らす人間になりとうございます。これから何をいたしましょうか」
 傲慢かと思いながら、心に念じて再び振り返った時は、黄金のシナイ山は別の峰の陰になって見えませんでした。それからです。やたらとシナイ山の石を拾い集めました。

「そのうち、ここにもロープウエイができるのでしょうかね」
「どうかな。ここだけは、このままであって欲しいね」
 とんでもない会話が聞こえてきました。
「そうだな、シナイ山だけは主が許さないでしょう」
「第一、ラクダが失業してしまいますからね」
 私がロマンに浸っている間に、男性は現実的なことを静かに語っています。もうだいぶ下に来ました。
「ところで、モーセが登っている間、民が待っていた場所はあの辺りでしょうかね」
「そうだと思いますよ。広さから言って、あの辺しか考えられませんね」

 いろんな会話を耳にしながら、目は石に注がれます。でもプレゼントにするような石はなかなか見つかりません。ちょうどいい大きさだと思っても、拾い上げるとラクダの糞なんですよ。それでもあきらめずに、石、石、石と目を注ぎながら歩いていますと、花が・・・・、岩の間に小さな、ホントに小さな花が一株、直径5ミリもないような黄色い花が、精一杯気取って咲いているのです。思わず声をかけました。
「あなたは、まあ、なぜこんな所で咲いているの?こ~んな岩場で・・・」
 まさかこの辺で命を落とした人がいるのでは? この花はその人の化身? ついそう思ってしまいました。そういえば、心臓病でドクターストップがかかっているのに、死んでもいいからと、この山に登った人がいると聞きました。信仰ですね。信仰って、そういうものなんですよね。主は言われました。
「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」と。(ヨハネ11:15)

                      
コメント
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