イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

73.ラクダのストライキ

2006年10月03日 | Weblog
 【写真:最後の休憩所、ラクダはここで終り】

 しばらくして妙な光景に出会いました。ラクダが座り込んでいるそのそばに、誰かが立っているのです。暗がりの中、首を伸ばしながら訊ねますと、小室さんでした。
「どうしたの?」
「ラクダがストライキしちゃったよ。あ~あ」
というわけ。片道10ドルで、シナイ山のタクシーと呼ばれているラクダ、何度も往復したに違いありません。今日は人が多いから稼ぎ時なのでしょうが、少しは休ませてあげないと・・・・。飼い主も座り込んで、一生懸命スキンシップしています。私は自分のペースを守って、ひたすら歩きます。

「私の目的は頂上ではない。自分の体力と精神力で、どこまで行けるか、そして、その過程で何を感じるかだ。それが肉体にトゲをいただいている私の、最大の目標なのだ。ラクダになんか乗るもんか」
 一番最後だという焦りもさることながら、半分は意地で歩き続けます。上に行くに従って息が荒くなってきました。マイペース、マイペースとひとり言を言いながら歩いていますと、再び小室さんを乗せたラクダが、いとも優雅に気品高く、スッ、スッと追い越して行ってしまいました。またビリです。
 ずっと上の方には、最後の休憩所の明かりと、そこを目指す人たちの懐中電灯の明かりが揺れています。ふと、モーセのことが頭をかすめました。

 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山の麓にたった。シナイ山は全山煙った。主が火の中にあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。ラッパの音がいよいよ高くなったとき・・・・(出エ19:17~18)

 聖句を思い出しながら、また回りの暗い景色を眺めながら、ラクダの終着駅である最後の休憩所に着くと、みんな待っていてくださいました。ここからはラクダが登れないような、更に険しい、道なき岩を登ります。暗くてはっきり見えないのが、むしろ祝福かも知れません。ビデオを担ぎながら、岩と岩の間を這うように進みます。
 危険信号を発したのは、膝よりも股関節でした。ここでは児玉さんと一心同体、彼女も傘を杖にして頑張ります。やっぱり私たちが最後です。
「もう、ここでいいわ。足が・・・・」
 そんな私たちに、倉田さんがアドバイスしてくれます。
「せっかくここまで来たのですから、もう少し頑張ってください。頂上の手前でご来光を仰げる場所がありますから、ゆっくりでいいですから」
 従うことにして、もう少し頑張りました。
コメント
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