イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

90.想像を超えるチンの荒野

2006年10月19日 | Weblog
 【写真:チンの荒野】360度この光景なので、どこを撮っていいか迷う。

 昨年、石垣に寄りかかって初めてこの荒野を眺めた時、あまりの凄さに二度と立ち上がれないと思うほど、強烈なショックを受けました。今も興奮したみなさんの会話が耳に入ります。
「聖書に書いてある荒野ってこれ?」
「エジプトから出たモーセの民が、こんな所で40年もさまよったの?」
「これじゃ、誰がつぶやかずにいられようか」
「つぶやくなって言う方が無理よね」
 その後は絶句したまま、ぼーっと佇んでいます。

 聖書から、呟きの聖句を抜粋して見ましょう。
*・・・荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。(出エ14:11)
*・・・荒野で死ぬよりエジプト人に仕える方が、わたしたちにはよかったのです。(出エ14:12)
*わたしたちは何を飲むのですか。(出エ15:24)
*・・・われわれはエジプトの地で、肉の鍋のかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれを、この荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている。(出エ16:3)
*あなたがたはなぜ、わたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか。(出エ17:3)
*ああ、肉が食べたい。われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも。しかし、いま、われわれの精根は尽きた。われわれの目の前には、このマナのほか何もない。(民数11:4~6)

 こうして聖句を並べて見る限りでは、モーセという偉大な指導者に導かれながら、何という不信仰なことを! よくもまあ、こんなに呟くものだと、読むたびに吐き気がするほどムカムカした私です。それが、実際、この荒野を目の前にした時のショック!
 20年間(当時)、大切に育て、大事に咲かせてきた信仰という赤い花びらが、この荒野の突風に全部吹き飛ばされて、あっという間にメシベだけが残ったという、何かそんな感じでした。

 しばらく黙り込んでいた仲間たちが、再び会話を交わします。
「凄いなあ」
「来てよかったわ」
「ただ、荒野、荒野といったって・・・、日本ではこんなの想像も出来ませんものね」
「まったくだ。来てみなきゃ、分からないね。これをさ、口で説明しろったって出来ないよ」

 ミツペラモンの大クレーターとチンの荒野、これを見ずして本当の神を語れないとさえ思いました。チンの荒野についての聖句は、民数記をひもといてください。
コメント
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